nakashi_comのブックマーク (157)

  • コネ切符なし、傲慢で成功 ななつ星、王さんも断る | NIKKEIリスキリング

    コネ切符なし、傲慢で成功 ななつ星、王さんも断る九州旅客鉄道会長 唐池恒二氏2017 / 11 / 24 九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第13回は「ななつ星 in 九州」のデビューについて語ります。 ――世界の王(貞治)さんの申し出も断った。 コネやつては一切お断り――。スペインのレストラン「エル・ブジ」はマドンナのような著名人でさえも待たせます。そのこだわりが世界最高峰の地位を作りあげているのでは。心に留め置きました。 2012年10月1日、「ななつ星」の予約受付の初日。石原進会長が相談に来ました。「香港の超VIP(最重要人物)が乗りたいと言っている。何とかなるだろう」。「会長、残念ながら公正な抽選なんです」と答えると、「君、そんなこと言ったってできるでしょ」とい下がられましたが譲りませんでした。 その2時間後、なんと次は王さんから「知り合

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  • 「ななつ星」始動、反対派を責任者に | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第12回は寝台列車「ななつ星 in 九州」プロジェクトの立ち上がり時期について語ります。 ――「ななつ星 in 九州」の反対派を責任者に抜てき。 「豪華寝台列車はどう思いますか」。2009年に社長に就任して半年がたち、「ゆふいんの森」などの鉄道デザインを手掛けた水戸岡(鋭治)さんに相談したところ、「20年以上前からやりたかったことだ」と気になって。2カ月でイメージパースを書き上げてきました。でも、当時はまだ7割ぐらいは作ろうと思っていたけれど少し迷いもあってね。 その水戸岡さんが親しい記者にも話しちゃったもんだから、週刊朝日に「寝台特急今こそ復活を」の記事でイメージパースとともに出ることに。後にひけないなと100%の決意になりました。とはいえ、社内は半信半疑の社員が多く、特に「無理ですよ」と反対していたのが運輸部

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  • 九州に豪華列車を 「ななつ星」の原点、28年前に | NIKKEIリスキリング

    九州に豪華列車を 「ななつ星」の原点、28年前に九州旅客鉄道会長 唐池恒二氏2017 / 11 / 10 九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第11回は「ななつ星 in 九州」の誕生について語ります。 ――話はいよいよ「ななつ星 in 九州」の誕生秘話へ。原点は、今から遡ること28年、営業課時代にあった。 丸井での研修を終え、1988年にJR九州に戻りました。そこで手つかずで残っていた仕事を引き継いだのですが、その中に日一周列車の企画がありましてね。熊県を出発し東北まで行って帰ってくる。しかも出発は夏で期限はわずか半年。焦りましたが運が良かった。 JR発足2年目でまだ国鉄時代の人脈が残っていてね。JR他社に頭を下げて何とか形にしました。品川駅では2時間も止めさせてもらいました。JR西日や東海、東日の線路を通る企画は今ではとてもできません。最初

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  • 九州新幹線、静かに開業 震災でCM中止 | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第10回は九州新幹線の全線開業について語ります。 ――九州新幹線のCMに沿線の2万人が参加 九州新幹線は整備新幹線の計画から約40年の悲願。2011年3月12日の全線開業に向けて、長年の思いをCMに乗せて全国に届けることにしました。 若手社員の発案で鹿児島中央駅から博多駅までの試験走行の際に、沿線から手を振ってくださいと呼びかけることに。新幹線は虹色に装飾し、沿線住民には衣装を着たりダンスをしたり思い思いの形で祝っていただきたかった。列車にカメラ十数台を載せ、上空や地上にもカメラを配置して準備を万端に整えました。 迎えた撮影日。新幹線の沿線には実に2万人もの人。ウエディングドレスの新婦、野球のユニホームを着た少年……。自発的に集まり喜んでいる。うれしさや期待感が伝わり、列車にいる社員やカメラマンは感動で涙がもう止ま

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  • 初のM&A、ドラッグストアで大勝負 | NIKKEIリスキリング

  • 駅のサービス、競わせ向上 覆面調査で採点 | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第8回は業の鉄道事業をもり立てた営業部長時代について語ります。 ――15年ぶりに鉄道に絡む仕事に。 外が黒字経営の軌道に乗ったのを見届けて、2003年6月にJR九州社に戻ってきました。役職は営業部長。高速船の立ち上げから足かけ15年を経て、ようやく鉄道に絡む仕事に携わることに。ですが、この時、鉄道収入は6年連続で減収。歯止めがかからない厳しい状況でした。 着任前に打開策としてサービスの抜的な見直しが進んでいましたが、前任の丸山康晴さんが「唐池くんが来るから、唐池流を作りましょう」と白紙に戻しました。はとバスのもてなしが先進的と評判を聞けば、東京まで勉強に視察。それまでのたたき台を基に新たな答えを導きました。名付けて「新・感・動・作戦」。 「お客さまの声はすぐに営業施策に反映しよう」。従来は対応まで1~2カ月

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  • 外食で「夢の東京」進出 猿之助さんと縁 | NIKKEIリスキリング

  • 「お荷物」の外食に転身、焼き鳥で反攻 | NIKKEIリスキリング

  • 日韓高速船、トラブル続きの航海 | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第5回は困難続きだった博多―釜山間の航路開設について語ります。 ――高速船は文字通り前途多難な船出だった。 博多―釜山間の航路開設と並行して、高速船のジェットフォイルの価格交渉にも動き始めました。発注先は川崎重工業。世界の名だたる船主と渡り合う相手に、できたばかりの弱小事業部では交渉の行方は火を見るよりも明らかです。「価格交渉は私がやりますわ」。大嶋部長が自ら交渉役を買って出てくれました。 業の鉄道は赤字であるだけに予算は限られています。大嶋部長は1円たりとも譲らない。半年かけた交渉で最後は相手が音を上げました。鉛筆1まで大事に使うよう指示する大嶋部長には「けちなおっさんやな」と反発心もありましたが、私のほうの国鉄意識が抜けていなかった表れでした。私なら相手の言い値で押し切られていました。 カブトムシを思わせる

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  • 鉄道マン、玄界灘に航路を開く | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第4回は福岡と韓国・釜山を高速船で結ぶ事業について語ります。 ――丸井から戻って1年。働く舞台は、なんと海。 「唐池くん、今はどんな仕事をしているの」。1989年2月、社の廊下で石井幸孝社長に声をかけられました。「営業部販売課で面白いイベントを考えたりして、毎日遊んでいるようなものです」。実際、充実していたのですが、いやはや率直に答えすぎてしまった。1週間後、突然、船舶事業部企画課長への異動を命じられました。国鉄に入社した鉄道マンがまさかの海を職場とすることに。 九州とアジアは近い。特に福岡と韓国・釜山との距離は200キロメートルしか離れていません。石井社長は福岡と釜山を高速船で結ぶ構想を描いていたのです。荒れた玄界灘を小さな高速船で行くのは至難の業でした。その実行部隊のナンバー2に選ばれたわけです。正直に答え

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  • 民間の発想、丸井で学ぶ | NIKKEIリスキリング

  • 入社2年目、労組との交渉担当に | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第2回は労組と交渉する若手担当者だったころや、福島県でのバス所長時代について語ります。 ――強い力を持つ労働組合との交渉に末席で臨んだ。 入社後配属されたのは上野から東北方面の路線を管轄する東京北鉄道管理局。そこで労組と交渉する要員係だった入社2年目に課長から突然こう命令されました。 「唐ちゃんね、君も団体交渉をしろ」 案件は1978年秋に大赤字の貨物の改革で行われた史上最大のダイヤ改正、いわゆる「ゴーサントオ」です。2年目での交渉担当は私だけ。課長は度胸のある人でしたね。 国鉄の現場は駅長、助役と一般職員との激しい対立で荒れていました。任されたのは、中でも最も温厚と言われた宇都宮支部。たばこで煙臭い会議室でしたよ。たばこを吸う間は労組もあうんの呼吸で回答を待ってくれますが、なんと私は吸えません。間を置かずに次々と

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  • 「ギョーザ300人前」で国鉄へ | NIKKEIリスキリング

    九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第1回は柔道に明け暮れた京都大学時代について語ります。 ――柔道一直線の青春時代だった。 大阪府立三国丘高校で柔道に目覚め、浪人時代も予備校には行かずに昼は後輩の練習に付き合っていました。京都大学に入学してもすぐに柔道部に入部。柔道経験者としてアメリカンフットボール部から下宿先に何度も勧誘が来ましたがこう断りました。「2つの遅刻ですよ」。4年前に柔道の道に進んだうえ、10日も前に大学で柔道部に入ると決めていましたから。 入部後すぐに大きな失敗をしました。10日目に新人戦がありました。その前日に高校の同窓会で深夜1時まで柔道着を持ち、何軒もはしご酒。酒のにおいをぷんぷん漂わせながら試合に挑みましたが、もうろうとして払巻込(はらいまきこみ)をかけられた際に脱臼してしまいました。 畳にあおむけになった私は審判に「気分が悪

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  • このセンス!とあるお店の広告がめっちゃ攻めてる「表現がすごい」・「そういうことか」

    このセンス!とあるお店の広告がめっちゃ攻めてる「表現がすごい」・「そういうことか」

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  • 海山きれいでご飯がおいしいは、もう競争力にならない|rutasai

    今日、LINEの広告事業責任者(もうすぐご退任とのこと)の田端さんが、エリア・イノベーション・アライアンスの代表の木下さん(別名:狂犬木下さん)の発言を受け、こんなこと言っていた。 これって、田端さんクラスの人が言っているから、ああ、遠い人が言っているなとか、別の世界の人が言っているな、とか、東京のベンチャーの人は言葉尻が激しいな、とか言っていたら負けだと思う。負けって誰にっていうと自分の未来と住んでいる地域の未来に。 この発言に関してはその通りだなあ、と率直に思った。「素晴らしさ自体が乏しい」というところに。これは、僕自身が地元に対して「素晴らしい!」と思っていないということではない。むしろ地元宮崎県に対して素晴らしすぎると思っている。 一方で、もし宮崎が地元でないとしたら、どう思うかな。たぶん、今は99%以上宮崎県にバイアスかかっているからかもしれなくて、日で最も素晴らしいのは他の県

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  • 【好評につき増枠!!】師弟登壇2018 【若手エンジニアの集い】 - 資料一覧 - connpass

    グループ情報 GMOペパボ株式会社 「もっとおもしろくできる」という企業理念のもと、様々なインターネットサービスを展開しています。

    【好評につき増枠!!】師弟登壇2018 【若手エンジニアの集い】 - 資料一覧 - connpass
  • ニトリ会長が2018年の日本経済を大予測!「今年はズバリ…」(週刊現代) | マネー現代 | 講談社(1/4)

    「経営者は先を読むことが大切な仕事」。似鳥会長はそう語る。目先のことばかりにとらわれていては、企業も個人も「勝てない時代」。なるほど、日経済のこれからはこんなに変わっていくのか! 株価はこう動く 経済界一、経済予測を的中させる男――。 ニトリホールディングス(HD)会長の似鳥昭雄氏(73歳)は、財界でそう呼ばれる。 毎年、年始に予測する株価、為替は連続的中。ニトリHDの経営は為替が1円円安になると15億円の営業利益を失うが、似鳥会長の予測をもとに為替予約契約をすることで、直近6年間で約630億円もの為替リスクを回避してきた。 同社は30年連続の増収増益中だが、その驚異的なパフォーマンスを支えているのが似鳥会長の経済予測なのである。 ニトリHDの東京部(東京・北区)。応接室に姿をあらわした似鳥会長はさっそく、「いまの相場はそれほど長く続かないと思うんですよ」と語り出した。 '17年の日

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  • ヤフー社員の挑戦 町一体でマーケティング、地域のファン拡大

    ゆるやかな丘陵地が広がり、「日で最も美しい村」連合にも加盟する北海道美瑛町。同町で地域おこし企業人として、ITを活用した観光振興に取り組む佐竹氏は、「地方には、『域外』をマーケットとする経営者が不足している」と語る。 美瑛町は「丘のまち」として知られ、年間170万人の観光客が訪れる。その美瑛町において、佐竹氏は新たな観光マーケティングを仕掛けている 北海道のほぼ中央に位置する美瑛町。東京23区がおさまるほどの面積のうち、70%以上が山林、約15%が畑地で、美しい景観が観光資源となっている。 そんな美瑛町に、ヤフーは2012年、廃校を活用して研修所を設置。それを契機に連携協定を結び、2016年10月には「地域おこし企業人」としてヤフー社員を町に派遣している。 白羽の矢が立てられたのは、公私にわたり数々の地域プロジェクトに携わってきた佐竹正範氏だ。 「ヤフーでは、広報やブランド・マーケティン

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  • 貸切も高速も「プレミアムバス」が増えるワケ

    今年に入って、大手旅行会社が高級貸切バスを刷新したり、導入したりするケースが相次いでいる。 超豪華貸切バスの頂点に立つ「三越プレミアムクルーザー」。2008年に三越の旅行部門が上得意客を対象に、移動時間もセールスポイントにできる専用車として導入した。 大型観光バスの乗客定員は通常は45~60人程度だが、プレミアムクルーザーは2人×5列の10人に抑え、運転者、バスガイドにアテンダントも加えた3人乗務で運行する。主に首都圏の顧客を対象にしており、厳選した宿と味覚、見学場所をゆったりした時間で巡ることが売りだ。 バス業界で話題となったのは、破格の商品価格だけでなく、通年の稼働を支える需要の存在だった。リピーターも多く、2016年6月には1号車を新車に交代した。 20~30万円の高価格ツアーも登場 兵庫県に社を置く神姫バスは2016年10月、グループの旅行会社が企画したプレミアムブランド「真結(

    貸切も高速も「プレミアムバス」が増えるワケ
  • ブログを1年続けたら人生180度変わった。累計400万PV達成! | まじまじぱーてぃー

    ブロガーのあんちゃです。当ブログは開設からちょうど1年経ちました。 忘れもしない去年の1月30日。深夜の成田空港で野宿をしているとき(北海道に帰省する予定だった)、あまりの暇さに勢いで開設したこのブログ。 いまとなってはわたしの生きがいになり、会社を辞めてブログひとつでメシをうなんて誰も想像しておりませんでした。 今回はブログを始めてから今までのアクセスや記事などいろいろ振り返ってみたいと思います。 ブログのおかげで自分に正直になれました わたしがこの1年ブログを書き続けて心底良かったなあと思うのは、「自分の心に素直になれたこと」です。 わたしは昔から自分の思ったことをうまく口に出せない性格だったので、いつも内側に溜め込んでいました。 それがブログを始めてから少しずつ文章にのせて自分の思っていることをさらけ出せるようになって、さらけ出せるようになると今度は自分自身が何を大切にしているの

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