ethicに関するnamako8のブックマーク (11)

  • 暴力? - 無産大衆

    しかし、暴力とは何なのか。抗議の声を遮断し、応答しようとしない警官たちに怒りを爆発することが暴力だろうか。集まった抗議者たちを無理やり解散させるために機動隊を投入することは事実としての暴力ではないというのだろうか。挟撃してくる機動隊の楯の列に向かって投石すること、消火器や自転車による攻撃が抵抗の実力行使として認められないのだとすれば、それは抵抗それ自体を認めていないということになりはしないだろうか。酷きに至っては集団がそこに居ること、道路を占拠し街頭で声を上げることそれ自体を否定しているが、もしそうであれば一体、彼らの言う正当な抗議とは何なのか。暴力に対して抗議の声を上げることは当然のことながら官憲の実力行使に対して、断固たる態度で応答することが含まれていないのだとすれば、どうして我々は正当な抗議だの正当な抵抗だのを考えることができるというのだろうか。 彼らは私有・公共を問わず近隣の施設を

    暴力? - 無産大衆
  • ナベアツのアホ芸は差別である - the deconstruKction of right

    http://news.livedoor.com/article/detail/3696173/ とhttp://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080623/1214243653 を読んでて思った。 しかし、このことを語るために見ないわけにもいかない。そこで、「世界のナベアツ」による芸の動画をいくつか鑑賞した。例の「3の倍数」の芸や、その他の芸も見たが、それなりに面白いと言えるものばかりだった。だが、これのどこに障害者との関係があるのだろうか? いや、別にこういうことを言っても擁護にはなっていない。まず、差別ではないと言いたいのが先にあっていっていると思う。けど俺はこれは違ってて、差別なのだと認めたほうがいいと思う。だからと言ってこの芸を規制すべきだとはまったく思わない。むしろ、やってはいけない、禁止があるからこそ、それを逸脱した瞬間が面白いのではないか。 笑いと

    namako8
    namako8 2008/06/26
    「笑いとは基本的に残酷なものだ...劣った相手を見て生じる場合が多い」/それが「基本」として了承される程度の文化ということか。抵抗や抗議としての笑いはこの枠組みではどう説明するのだろう。
  • 「赦し」の残酷さ - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    ある方にご紹介いただいて、「赦し」について聖書で述べられている箇所を読んだ。「マタイの福音書」18章21-35節である。 その時、ペテロが、イエスのそばに来て尋ねました。「先生。友だちが私に罪を犯した場合、何回くらいまで赦してやればいいでしょうか。七回でしょうか。」 イエスはお答えになりました。「いや、七回を七十倍するまでです。 天国は帳じりをちゃんと合わせようとした王にたとえることができます。清算が始まってまもなく、王から三十億円というばく大な借金をしていた男が引き立てられて来ました。その男は借金を返すことができなかったので、王は自分の身や持ち物全部を売り払ってでに返済しろ、と命じました。 ところが、男は王の前にひれ伏し、顔を地面にすりつけて、『ああ、王様。お願いでございます。もう少し、もう少しだけお待ちください。きっと全額お返しいたしますから』と、必死に願いました。 これを見て、王はか

    「赦し」の残酷さ - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    namako8
    namako8 2008/06/19
    「異教徒こそを赦せ」/これってまさしくキリストのような気もする(汝の隣人を愛せよ)。旧約の神と新約のイエスとは同じではない(と思う)けれど。
  • 和光大学YASUKUNIプリンスホテル、コケコッコーの政治と不正義のアウトソーシングについて - (元)登校拒否系

    このブログを以前から読んでくださっている方はお気づきのように、反自由党はid:mojimojiさんと敵対関係にあります。もちろん革命が成功したら思想改造キャンプで対応させていただくつもりです。けれども↓のid:inumashさんへの反論記事でmojimojiさんがとてもいいことを書かれたので、グランドプリンスキャンプ高輪のVIPルームを用意させていただくことを先ほど党幹部会で決定しました。 inumash氏へ、「観客席なんかありません」 (前略) 問題が「みんなの」問題であるなら、「みんなの」問題に対して誰かが何かをやることを期待したり、やらないことに失望したりするお前は一体何者だ、ということになる。この、問題に対して外部に立っているつもりの「期待/失望する人」とは、つまりは、政治的にノンアクティブな自称「普通の人」、自称「市井の人」だろう。そして、「政治的にノンアクティブである」=「ノン

    和光大学YASUKUNIプリンスホテル、コケコッコーの政治と不正義のアウトソーシングについて - (元)登校拒否系
    namako8
    namako8 2008/04/07
    「あたかも人間であるかのように行動せよ」/「建前」や「偽善」とは本来そのようなものであるべきだと思う。「人間としての行動」が何なのか、正確には分からないとしても(あるいはだからこそ)。
  • チベットとルワンダ、あるいは相対化と普遍化 - hokusyu’s blog

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080326/p1 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080331/p1 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080401/p1 ホテル・ルワンダ論争を思い出してしまったわ。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060228/p1 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060307/p1 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060324/p1 1月の南京事件論争のときは、右が他の虐殺事件と比較したことを左が叩いていたが、今回は左が他の虐殺事件や差別の問題と比較したことを右派が叩いている。ということは

    チベットとルワンダ、あるいは相対化と普遍化 - hokusyu’s blog
    namako8
    namako8 2008/04/02
    論旨には賛成。ただ、「あらゆる事件に均等なリソース配分せよ」「一つのリソースをあらゆる事件に適用せよ」のどちらの一貫性とも違う、論理的・倫理的に正当化し得ない「偏り」こそがcommitmentを構成するような気も
  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    さて、先の記事に対して、id:ruletheworld氏から返事があったので、応答する。>http://anond.hatelabo.jp/20080331011310 「お返事」部分に対して、逐一応答していく。 「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」 なんというわら人形。一番質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。 「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」 ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。 要するに、自分の信奉する政治

    排外主義者、あるいは日曜サヨク、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    namako8
    namako8 2008/03/31
    「右と左を対立させて…棄却した上で、その間に割って入って「市井の人」を名乗る」/同意。自らのイデオロギー性を隠蔽できるのは覇権的イデオロギーの特権だということを自覚して欲しい。
  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。

    今ここで手を組めば、この人を助けることができる。そのような決定的な場面においてであるならば、悪魔とだって手を組むかもしれない。ただし、ほとんどの瞬間は、そのようなマンガみたいな決定的瞬間の遥か手前にあって、そのような地味な場面で考えられるべきことは別にある。 倫理が力を持つのが、倫理を語る者が腕力を持っているからであるならば、倫理など不要であり、ただ腕力だけがあればいい。そうではなく、倫理が、倫理であるがゆえの力を持つとすれば、それは何に由来するのか。仮にそんな力があるとすれば、それはそこで語られる倫理の一貫性に由来するはずである。倫理が、その恥じ入らせる力によって力となるためには、一貫性がなければならない。一貫性を欠いた倫理は、既に倫理としての力を欠いており、ただの飾りである。その一貫性を欠いた倫理要求が仮に受け入れられることがあるとしても、それは倫理として受け入れられたのではなく、ただ

    排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。
    namako8
    namako8 2008/03/27
    原則論の必要性。「どの」原則が原則として優先させられるべきかという点で、常に苦悩はあるけれども、かといって「是々非々」の「現実論」に逃げるわけにもいかない。
  • 小児性愛の何を問題にしたいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    demianさんの記事とか読みつつ。>「最近のいろいろ」 セクシャルマイノリティ、という一般化 どうもこうしたテーマになると、同性愛者を迫害したり、SMやフェティッシュな志向を持つ人たちを鼻つまみものにしたりというのと同じことを小児性愛者や子供と恋愛関係になってしまう人に対してやってしまう人が多いなと。 これらはすべて、「成人対象の異性愛」という規範からの逸脱として同列に排除されてきた、という歴史はある。しかし、その意味で同列に扱われてきたということは、その含む内容において同列に扱うべきものだということを意味しない。だから、上記引用部におけるdemianさんの指摘は納得がいかない。 そもそも、同性愛やSMやフェティッシュのなにが悪いのか、僕にはさっぱりわかない。べものの好き嫌いとなんら違いが見出せないからだ。批判者の言説においても、それ以上のものを見たことがない。しかし、小児性愛において

    小児性愛の何を問題にしたいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。
    namako8
    namako8 2008/03/11
    「小児…の弱さをこそ嗜好している」成人と、成人の強さを嗜好する小児との関係は、<原理的には>あり得る(approveされるべきかどうかは別)。「関係をもつ」「嗜好する」の内容も含め、より詳細な検討が必要では。
  • 凶悪な殺人事件自衛のための報復行為 - 猿゛虎゛日記

    「パレスチナガザ地区での銃乱射・ミサイル乱射・爆弾乱投下事件」 は、まったく報道されなかったわけですが、 「エルサレムの神学校での銃乱射事件」 はさっそく大きく報道されています。 今日のNHK昼のニュース。 アメリカが提出した国連安保理の非難声明が「アラブ諸国などの反発により」採択されなかった。 ブッシュが「罪のない市民に対する野蛮で卑劣な攻撃」だ、と非難声明を出した。それで ブッシュ大統領としては、イスラエルによる報復を事実上容認することで、イスラム過激派のテロに対して強い態度で臨むことを示したものと見られます。 毎日の記事もこんな感じ。 <ブッシュ米大統領>エルサレムのテロを非難 3月7日11時9分配信 毎日新聞 【ワシントン笠原敏彦】ブッシュ米大統領は6日、エルサレムの乱射事件を受け「最大限の表現でテロ攻撃を非難する」との声明を発表した。大統領はオルメルト・イスラエル首相に電話で弔意

    凶悪な殺人事件自衛のための報復行為 - 猿゛虎゛日記
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    namako8 2008/03/07
    最初に記事を読んだ時、確かに一瞬わけがわからなかった<どちらが報復してどちらがされたのか。
  • http://www.ajwrc.org/modules/news/article.php?storyid=393

    namako8
    namako8 2008/03/07
    「住民の側も自衛措置を講じる必要があり」それは個々住民が考える問題。新潮が教えてあげる筋合いではない/「当該記事は、被害者に配慮しつつ」呆れて言葉もない。配慮は他に向けられたものだろうに。
  • 差別よりも残酷な - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51012727.html 肉業者が差別される理由に関してはいろいろ言いたいことがあるがここでは扱わない。 だいたいのことはhttp://d.hatena.ne.jp/yodaka/20060511/1147377031を読めばよくて、まさにこの記事自体が既にカウンターになっているのだけれど、とりあえず別の話をする。 つまり、肉業者が差別されているとして、差別する側には二つのタイプがあるということだ。一つ目は、当に肉業やその他の属性を蔑視しているタイプで、もう一つは「私自身は肉業者に対して蔑視感情は持っていないけれども、このような社会情勢あるいは彼ら自身の事情を考慮すれば、差別されても仕方が無い」として、直接の差別はしないまでもその差別が起こりうる状況を様々な形で結果的にサポートする。たとえば19

    差別よりも残酷な - 過ぎ去ろうとしない過去
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