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2008年9月17日のブックマーク (6件)

  • 我ながら釣られ過ぎですね&知識層にはそこまで言うなら「責任」を果たして欲しい(マジで) - HALTANの日記

    なにごとかを批判する際に「ホロコースト」を参照することが許せないらしい id:HALTANとか id:Sokalian のような潔癖な方々(しかしその割には「ポル・ポト呼ばわり」はスルーするんだよね)には、日銀や大阪府下の市町村教委と関東軍の間にどれほどの接点があるものなのか、ぜひともご高説をうかがいたいところだ。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080915/p2これに対してd:id:HALTANは「汚いぞ(怒) - HALTANの日記」(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080915/p2)で怒っているみたいですが、怒るところがコミニュケーションの不成立なのか。確かに皮肉めいた部分は多分にあるとしても、関東軍呼ばわりについての意見を聞きたいというのは、それに対する批判的な意見を良しとしている、少なくとも悪いとは思っていないと判断で

    namawakari
    namawakari 2008/09/17
    そこまで他人に行動を求めるなら、御自分も体を張って渡辺文樹を止めるべきでは?/↓「司書をホームレスボランティアに下放しろ」んなこたあ誰も言ってない。/自分は「注意を喚起」で済むんだ。
  • 2008-09-17 - NaokiTakahashiの日記 - 「甘い恋人」ばっか歌ってちゃダメなのかなあとか

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    namawakari
    namawakari 2008/09/17
    「生存権なんてただの理想だ、とか、日本人として認められない奴に人権はない、なんてのは、参考書にでも載ってるくらいとっくに既出の論点」
  • ベタがベタでなくなったとき - kom’s log

    紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。 近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえな

    ベタがベタでなくなったとき - kom’s log
  • 後藤和智さんの言説について、最後に - on the ground

    おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154) 作者: 後藤和智出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 2008/09/10メディア: 新書購入: 9人 クリック: 334回この商品を含むブログ (74件) を見る 後藤和智『おまえが若者を語るな!』を読みました。従前通りのクオリティで、ほとんど見るべきところは無いだと思います。いわゆる「俗流若者論」への戒めの書としては、既にご人が『「若者論」を疑え!』(宝島社(宝島社新書、2008年))を書かれていらっしゃいますから、この新刊に社会的な存在意義はあまり無いでしょう。ざっと目を通しただけでも色々と突っ込み所の多いですが*1、基的に「実証性が乏しい」の一槍で(多くの場合は)積極的な反証が為されるわけでもありませんし、東浩紀についても(「「動物化するポストモダン」は若者論でしかない」と断言に至った割には)

  • 稲葉振一郎氏の議論を読むときに(18日・19日修正・追記) - CUATRO GATOS広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』

    どうも、ここまで三つ連続で稲葉さんを対象にしたエントリーを書いてしまったいうのはブログの開設の趣旨からはるかに飛んでしまっています。このこと自体、私がいかに現在ダメダメであるかという証拠ではありますすが…。ここはとりあえずブクマコメントをいただいたのでちょっとだけまとめます。コメントもしました。*1 *2 いきなりこういうことを書くのもなんですが、私の稲葉さんへの不満は議論の内容(そこで違いがあるのは当然として)というよりも端的にネット上の議論でのその振る舞いに信頼が置けないところにあります。その具体的な例については直前のエントリーで取り上げました。個人的に思い入れがあるテーマでもありますので、まずはそれを読んでください。 http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080718/1216332197 ↑のエントリーの後半部です。塩川さんの「和田春樹論」の援用は論

    稲葉振一郎氏の議論を読むときに(18日・19日修正・追記) - CUATRO GATOS広報部はてな非公式出張所・『渋谷ハチ公前広場』
  • 桜桃の味 - 地を這う難破船

    私の住居には包丁がない。自炊しない暮らしゆえ必要ない、とはいえ料理に開眼してから実家や所謂恋愛の相手のところでは嬉々としてカレーやら炒め物やら作っている。ひとりで包丁と向き合い刃物を見つめているとろくな記憶と質感が喚起されずまた厭な感覚が蘇る。冷汗がにじむ。刃物の存在する場所にひとりで暮らしたくはない、まったく安堵して過ごせず眠れないから。殺傷道具としてのそれに、忘れたい自分が呼ばれる。私にとって包丁とは今でも調理道具ではない。 実家に居た頃、私は自身のその諸悪の根源たる掌を出刃で刺し貫こうと幾度か試みて果たせなかった。誰かと同居することはそういうとき実際的な救いだ。利き腕なら不具になって構わなかった。それが自らのあるべき姿と思った。誰かが右腕を切り落とすと言ったら、差し出しただろう。少なくともそうすれば、刃物に脅かされることなく残る人生を生きていけるだろう。気だった。 あいにく私はマゾ

    桜桃の味 - 地を這う難破船