タグ

ブックマーク / morinaoto.hatenadiary.jp (27)

  • 文句があるならオレに言え - もどきの部屋 education, sociology, history

    それは,その学校にとって当に大変な,長い一日だった。 その小学校に勤める教師にとって――なかでも,少しでもよりよい実践をと日々懸命に努力していればいるほど,そういう教師にとって。そしてもちろん,その小学校に通う子どもにとって――なかでも,子どもが抱えるには苛酷すぎる重荷を背負って日々生きている子どもであるほど,そういう子どもにとって。 全校児童のほぼ全員が近傍の築35年を超えた県営住宅から通う。貧困層集住地域である。通り一挟んだ向こう側は名鉄不動産が開発した落ちついた分譲住宅地。校区は異なる。 それどころか,最近になって県営住宅団地の脇が宅地造成され,売りにだされた一戸建ては,校区がこの小学校では買い手がつかないと地主が騒ぎ,隣の小学校の校区――名鉄の住宅地が該当する校区――へと編入されたほどだ。 日人児童が3分の2,外国人児童が3分の1。外国人児童の世帯はほとんどが両親ともいるが,

    文句があるならオレに言え - もどきの部屋 education, sociology, history
  • いまどきの「AO入試」事情で考えてみた - もどきの部屋 education, sociology, history

    私の前任校は地方・無名・小規模・私立大学という「悪」(?)条件がいくつか重なっている割には,主に教員採用を中心とした就職実績の堅実さから,高校の進路指導主事の先生方からの信頼が厚く(←これ重要。ただし,この大学のことを知ってくれてる高校限定...orz),受験生からの支持を安定して集めており,入学者確保には比較的苦労しないで済んでいる大学であった。したがって,入試方式も「一般入試」「センター入試」「推薦入試(公募・指定校)」しか実施しておらず,「AO入試」というのは導入されていなかった。だから,私は日の大学のAO入試の実態については現務校に至るまで,実はかなり疎い。 そんなわけで,世界に冠たる日の大学入試多様化の極北において,昨今,「AO入試講義型」という入試形態が誕生していることを,twitter経由でつい最近知ったばかりである。 いやこの辺り,ウェブ上で少し掘ってみただけでも,「

    いまどきの「AO入試」事情で考えてみた - もどきの部屋 education, sociology, history
    namawakari
    namawakari 2010/08/24
    “「学生」としての「試用期間」”この考え方は面白い。
  • 捩じれの思想家(?)・佐々木輝雄 - もどきの部屋 education, sociology, history

    結局のところ,問題は,「教育の機会均等」の実質的な保障に関する方法論上の対立をどのように超克するか/しうるか,というところにある。実践上の課題――一斉教授様式/個別化・個性化教育学習――として,そしてまた,制度設計上の課題――単線型学校教育制度“内”機会均等/「単位制クレジット」による技能連携制度――として。 現在の私は,だから,異なる2つの主題を追っているのではなく,それらを同じ1つの課題として論述可能な地平をつくろうとしている,その途上にある(ということにしておきたい)。 田中萬年先生の議論は,後者――佐々木輝雄の所論――から発して,前者――「非教育の論理」――に突き抜けようとするところに賭ける。だが正直なところ,私の目には,それは途方もない賭けであるように映る。途中に突き破らなければならない思想的課題が,それも堅固な岩盤が陸続と連なっているように見えてならない。 そもそも佐々木輝雄の

  • 「僕達の職業訓練」とは何か――佐々木輝雄講義録より - もどきの部屋 education, sociology, history

    むかし,いまから15年ほど前,その被差別部落は日でも有数の大規模部落であったが,1990年代半ばのその時点で私がそこに行ったとき,その地区で現役の高校生は1人しかいなかった。中卒で働くか,高校に入学したとしても1学期のうちに退学するのが通例だったからだ。 「中卒で働く」とか「高校を中退」という事実に「貧困」がかかわっている,というのは正しいが,しかし,不十分である。ほぼ全員の教師も含めた地区外の人間からもたらされるさまざまな有形無形の差別,それを避けたいと思う心性――当然の心性――が複合的に折り重なってかれらを下層へと押し留める。規模が大きいだけに,そのような不愉快な「外の世界」との接触をもたなくとも,地区内に留まっても生活が――最低限の生活が――成立するがゆえの低進学状況であったかもしれない。 私が「職業訓練校」――高等学校,ではなく――に通っている/いた,という人間と直接の接触,面識

    「僕達の職業訓練」とは何か――佐々木輝雄講義録より - もどきの部屋 education, sociology, history
  • 大学教育の記憶 - もどきの部屋 education, sociology, history

    「最近の学生は勉強しない」「非常識だ(受講態度や勉学姿勢その他に関して)」「学力が低下している」「こんなこともできない」「あんなこともできない」...(以下省略)...とぶつぶつ言ってる大学教員がいた場合,ほぼ例外なく,その大学教員のほうこそ,まったく勉強(=研究)しておらず,研究=教育者として非常識で,学力が低く,無能である――ということを,私は数年間の大学教員生活でのゆるぎない確信として獲得した。 昨日もちょっと他人のついーとを見ていてうっかりスイッチが入ってしまった。学生のレポートにおけるコピペをめぐって「過剰に神経質」になる大学教員に対して,である→http://twitter.com/mnaoto/statuses/17389074009。「過剰に神経質」というのは,そういうコピペレポート防止にむけてその教員がとっている対策が,たいていの場合ほぼ無意味であり,非生産的で,かつ,学

    大学教育の記憶 - もどきの部屋 education, sociology, history
    namawakari
    namawakari 2010/07/01
    “この当時の大学教育に「職業的レリバンス」があったとかなかったとか,そういう次元の話ではない。あえて言うなら,そこには「教育」がなかった”/教師は学生に自分で書くことの自信をちゃんとつけさせているか?
  • 佐々木輝雄と「教育の機会均等」・序 - もどきの部屋 education, sociology, history

    ふたたび田中萬年先生よりお送りいただきました。佐々木輝雄職業教育論集・全3巻,多摩出版,1987年。 金子さんが「それにしてもこんな天才的な学者の研究を知らなかったとはまったく自分の不明を恥じ入るばかり」とまで評する研究者の論集である。萬年先生のホームページ(ブログ)で「申し出てくれたらお安くお送りしますよ」との呼びかけがあったのに無邪気に反応してお願いしたら,ほとんどタダのようなことで(しかもお手をわずらわせてまで)お送りいただいた。ありがとうございます。心して勉強させていただきます。 また,あわせて萬年先生からは「佐々木輝雄と「教育刷新委員会」研究――氏の『教育学研究』誌投稿論文の不掲載をめぐって」1998年4月,という(私家版であろうか)萬年先生ご自身がまとめられた資料集もお送りいただいた。 こちらはすごいブツである。 先生からは「大した編集になっていませんので,おじゃまな時は廃棄し

    佐々木輝雄と「教育の機会均等」・序 - もどきの部屋 education, sociology, history
  • シラバスお蔵出し――あるいは「各論に落とす」こと - もどきの部屋 education, sociology, history

    職業教育や職業訓練が重要であることは論をまたない。人は一生教育制度・訓練制度のなかに閉じこもったまま生涯を終えるわけではなく,ほぼすべての人は,いずれ「社会に出る」という名の職業への移行をはたすわけであるから。にもかかわらず,戦後日教育論議や教育政策において,それが不当に低く評価されてきたのだとしたら(いやされてきただろう),それは正さなくてはならない。 教育社会学において,そうした議論の先鞭をつけ,今現在その議論のトップランナーであり続けているのは,いうまでもなく田由紀さんである。『教育の職業的意義』(ちくま新書,2009年)はそんな田さんの議論のエッセンスを一般向けに書き下ろした渾身の一冊である。「職業的レリバンス」論の提出というのは,教育論議や政策提言への貢献という面で意義があるだけでなく,アカデミズムにおける教育社会学という一つの学問領域にとっても,「選抜・配分」系の研究が

    namawakari
    namawakari 2010/05/20
    “その論理内在的な結果として,「柔軟な専門性」概念は論じる文脈に応じて伸縮自在,融通無碍で,それゆえ(本田さんの真意にも関わらず)実質の無内容な“理念”へと堕している”/的確な職業レリバンス論への批判