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photographyに関するnamgenのブックマーク (6)

  • タルコフスキーのポラロイド - 記憶の彼方へ

    Instant Light: Tarkovsky Polaroids 晩年(1979年から1984年まで)のタルコフスキー(Андрей Арсеньевич Тарковский, 1932–1986)はロシアとイタリアで、好きな場所、家族(飼い犬を含む)、友人をポラロイドカメラで撮っていた。この『瞬間の光』には、フェルメールの絵画に準える評者もいる、彩度を抑えた色の中で光沢と陰翳を見事に捉えた60枚の写真(前半のロシア編には27枚、後半のイタリア編には33枚)が収められている。書の前書きでタルコフスキーの友人の一人、イタリアの詩人トニーノ・グエッラ(Antonio "Tonino" Guerra, 1920–2012)は、タルコフスキーのポラロイド写真を「人生の儚さを感じている人の目の周りを飛び交う蝶の群れのような映像」と詩的に評している。イタリア編にはトニーノその人とはっきり分かる

    タルコフスキーのポラロイド - 記憶の彼方へ
  • ティータイム:COVER PHOTOS: Sadao Toyoshima, 1965 - 記憶の彼方へ

    asin:B0028RBF48 二枚の魅力的なティータイム(お茶の時間)のモノクローム写真。CDカバーに使われたコントラストの強烈な二人の皺苦茶の老婆の写真と、CDに付された一枚両面刷りの解説の裏に縁なしで印刷された猿のような獣のそれと見紛うばかりの苦労と老いの刻まれた右手の写真。前者では、二人の手前にある卓袱台の上には急須と湯呑みが見える。後者では、おそらく仕事を終えた畑ちかくの地面の上に置かれた湯呑みに入れたばかりのお茶がちょっと泡立っている。それを今まさに持ち上げようとするおそらく老婆の右手の親指と人差し指が独立した生き物のように生々しく迫ってくる。ともに、ティータイム(お茶の時間)の一こまを捉えた写真。孤独の合間、労働の合間に、色んな時間と感情が交錯する豊かな瞬間を捉えたいい写真だと思う。その二枚の写真からすでにそれ自体音楽のような語りやつぶやきの声、そしてまぎれもない歌が聞こえて

    ティータイム:COVER PHOTOS: Sadao Toyoshima, 1965 - 記憶の彼方へ
  • 5月、郡山へ ― その3 - 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない

    この日は祖母の命日だったのでお墓参りへ。瓦が落ちちゃったので、元私の部屋は雨漏りし放題。ベッドは弟が生まれた時に設計士の父が作ってくれた2段ベッドの上部分。 一段目と二段目とばらして弟の部屋と私の部屋に置いたもの。あらぬとこへ吹っ飛んじゃった墓石。どこに水をかけようかで悩む。無事そうに見えても。 福島の人間は地震に対しては悲しんでいたとしても怒ってはいない。長く住んできた家が、土地が、壊れてもまた直せる。 苦しんでいるのは目に見えないものに対してだ。それは「放射能」なんて一言で言えるものではない。 人間の悪意、善意、思惑、嘘、不安、そういったものが織り交ぜられて混沌としている。私は郡山で生まれて郡山で育った。 生まれつき足が悪くて14歳の時に両足を手術した。 尖足と呼ばれる奇形だった私は、その時期に手術をしなければ子供を産めなくなるかもしれないと診断を受けた。「福島の人間は子供が産めなくな

  • la mort - 記憶の彼方へ

    スズメ(雀, Tree sparrow, Passer montanus)

    la mort - 記憶の彼方へ
  • 平民新聞 - トンボロ

    敬愛するブログ「平民新聞」の平民金子さんと会った。書きたいことが有りすぎて上手く整理できないけれど、拙いながら書いてみようと思う。 初めて平民新聞を読んだのは2008年1月21日のことだった。はてなブックマークの新着記事から見つけた、「エノキ炒め」という記事に衝撃を受けたのを覚えている。ブログには何を書いても自由なのだと目が覚める思いだった。ブログの更新を毎日追いかけるようになり、「と私」、「カレーの一生」、「残雪遊覧日記」といった素敵な記事を立て続けに読んだ。いずれも僕にとっては写真やブログについての考え方を覆すものだった。 当時の僕は少なからず平民さんと似通った生活をしていて、料理にはカセットコンロを使い、風呂の無いアパートに暮らしていた(今も住んでる)。こういう生活している人は僕のほかにいるんだろうかと閉塞感を持っていたときに、平民新聞を知って、世界が一挙に広がったように思われた。

  • 病み上がりの日記 - 記憶の彼方へ

    1夢現 体がだんだん重たくなり、言うことを聞かなくなっていくにつれて意識はどんどん内向して行く。そしてしだいに外界をシャットアウトし、ついにはシャットダウンする。夢現(ゆめうつつ)の状態のなかフジモトマサルのマンガがまた読みたくなって数冊読んでしまった。記憶の強引な編集によって生と死、この世とあの世の境界を往来する主人公日菜子の「二週間の体験」を非常に巧みに描いたフジモトマサルの『二週間の休暇』(講談社, asin:4062140659)のなかにフクロウのおっちゃんがやっている「ニライ書房」という屋が出てくる。ちなみに、日菜子が迷い込む「あの世」はある意味でヒッチコックの『鳥』よりもホラーな世界であり、住人はすべて飛ぶことを忘れた、飛ぶ必要のない鳥たちである。ニライ書房に置かれているはすべて店主のフクロウのおっちゃんが書いた変な題名のばかりだ。日菜子がそんなのなかで『給水塔占い』と

    病み上がりの日記 - 記憶の彼方へ
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