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人生と原発に関するnanashinoのブックマーク (4)

  • 余命5カ月で孤軍奮闘した南相馬”カリスマ産婦人科医” | 女性自身

    今年1月22日、福島のカリスマ産婦人科医が逝った。原発事故後、余命5カ月の末期がんと診断されても、産婦人科医がいなくなった南相馬市で診察を続けた高橋亨平(きょうへい)先生(享年74)だ。 大地震の後、福島第一原発が12日から立て続けに水素爆発を起こした。亨平先生の医院は原発から25キロ圏内。市はバスをチャーターし、近県に順次、住民を避難させていた。亨平先生は、患者が来るだろうと医院に残った。だが物流は途絶え、薬剤の供給も止まり、病院の存続さえままならず、震災10日ほどで亨平先生もいったんは避難した。 スタッフが避難できるようにと、病院を閉じたはずだった。ところが、当のスタッフたちがほかの施設で医療活動する姿が、ニュース番組に映ったのだ。亨平先生は「すぐに病院に戻るぞ」といい、わずか2日ほどで南相馬市に戻る。すると、医療スタッフも戻ってきた。「やっぱそうなるよね」「先生は帰って来ちゃうよね」

    余命5カ月で孤軍奮闘した南相馬”カリスマ産婦人科医” | 女性自身
  • ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。

    ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。 「お父さん、原子力発電所って怖くないの?危なくないの?」 「安全ということにはなっているけどねえ・・・ホントのところはよくわからないかもしれないねえ」 「でも電気がなかったらテレビが見れないからぼくも困るしなあ・・・原子力発電所に反対している人は、電気がなくなっても困らないのかなあ」 「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」 「ええっ、じゃあ自分たちが使えない電気のために、ぼくたちはちょっと怖くても危なくても我慢してるってこと?なんで?なんでぼくたち、我慢してるのに、あそこの電気使えないの?」 「東京のほうが人がたくさん住んでいるから、電気もたくさんいるんだよ。だから福島に発電所を作らせてくださいって、頼まれたんだ。あ

    ずっと昔、まだ子供だった頃、私は自分が住む県に原子力発電所があることを知った。
  • どうせ理系としてしか振る舞えないのなら、徹頭徹尾理系として振舞いたい - ただのにっき(2011-03-17)

    ■ どうせ理系としてしか振る舞えないのなら、徹頭徹尾理系として振舞いたい 今朝したこのtweetがなんだかウケまくってしまったらしく、やたらめったらRTされて、今日のTweetDeckはひっきりなりにポップアップしていた(TweetDeckは公式RTもmentionとして拾ってくる): 相手をなんとしても安心させなければならない状況で「絶対だいじょうぶ!」と言えるのが「文系」、「可能性はゼロじゃない」とか言っちゃうのが「理系」 — ただただし (@tdtds) 2011年3月17日 ここで一番重要なのは「相手をなんとしても安心させなければならない状況」という前提の部分なのだけど、非公式RTにくっついているコメントを見ると「当の理系はもっと厳密」とか「体育系ならこう」みたいなピント外れのものがついていて、なんというか……予想通りである。別に「文系」「理系」のステレオタイプ遊びをしたかったわ

    nanashino
    nanashino 2011/03/22
    "おれも「絶対だいじょうぶ!」なんて口が裂けても言えない、DNAに「理系」って刻みこんであるほどの悲しき理系"
  • 「名もなき人たち」へ - 琥珀色の戯言

    参考リンク:渡辺由佳里のひとり井戸端会議: いま、黙っている理由 地震が発生して以来、どうすればいいのだろう、と内心悩みながらも、実際には僕の周囲には目立った変化もなく、という時間を過ごしています。 twitterで、助け合う人たちの温かさに触れて思わず涙したり、不謹慎なネタツイートや、この機に乗じて、と宣伝をする人たちに憤ったり、いまここで自分に何ができるのか、と考えたり。 ここにも何か書こうか、いま感じていることを素直に書くべきなのか、もし避難所などで読んでくれる人がいるならば、気分転換になるような、楽しいエントリのほうが良いのか、などと逡巡していたのですが、↑のエントリを読んで、いま考えていることを書いておきます。すごく心に響いたので。 今日も勤務先の病院に行ったのですが、うちの病院からも、現地に医師ほかのスタッフが派遣されることになり、昨日の夜、すでに現地に向かったそうです。 僕は

    「名もなき人たち」へ - 琥珀色の戯言
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