日露戦争は基本的に朝鮮半島や満州・中国東北部へのロシアの脅威に日本が存亡の危機感を感じたところから発生したもので、明治33年(1900)の北清事変(義和団事件)以来すでにロシアは大軍を満州に駐留させており、戦争は満州での陸戦で決着せざるを得ない状況であった。 国交断絶を期して日本陸軍の一部は朝鮮半島に上陸し鴨緑江を越えて北進、主力は遼東半島に上陸して北進した。日本軍は鴨緑江、遼陽、沙河、黒溝台と続いた会戦でロシア軍の防御線を持ち前の突進力で突破した。 ロシアはナポレオン戦争やナチスドイツの侵攻にみられるように陸戦の伝統的な戦いかたは、敵の補給線が伸びきることを見越して戦力を温存して後退し、後に一挙に反撃に出るというもので、この戦争でもロシア軍総司令官・クロパトキン将軍はロシアが満州経営の中心に置いた奉天(現在の瀋陽)がその反撃のための拠点と見定め要塞化して待ち受けた。 日本軍も総司令官・大
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