晴れた日に名古屋駅前のツインタワービルから西を望むと、濃尾平野の西に壁のように連なる養老山地が目に入ります。山地と平野の境界には、垂直方向のズレが2,000m以上もある活断層の養老断層が存在します(図1)。濃尾平野は西を養老断層、東を猿投山北断層、南を天白川河口断層によって区切られています。これら3本の断層の活動によって地形的に落ち込んだ所に、木曽・長良・揖斐のいわゆる木曽三川によって中部山岳地帯から運ばれてきた大量の土砂が、100万年以上の長い時間をかけて堆積して濃尾平野はできました。 養老断層の垂直落差に比べて、猿投山北断層の垂直落差は小さく(100m以下)、この違いによって、濃尾平野の土台全体(中生代の地層や花崗岩)が西へ傾いています(図2)。養老断層のたび重なる活動によって、養老山地は上昇を続け、逆に濃尾平野の西部は沈降を繰り返しました。その結果、木曽川や長良川は養老断層の方へ流