物質性もサイバースペースも、どちらも僕にとっては、とても魅力的です。コンピュータだけが表現できる空間の世界、というのも魅力的だし、それからもう一方で、物質だけで表現し得る素材の世界というのもたいへんに魅力的だなと感じています。そのふたつともが魅力的なのはなぜだろうか。これが解けたら、おそらく二十一世紀がどういう世紀になるか、二十一世紀の建築がどのような建築になるかという大きな間題も解けるのではないか。それをなんとか解きたいのですが、そのヒントのひとつになるのが、もはや「かたちの時代」ではない、ということだと思います。 建築はかたちである、とは、昔からいわれてきたことですし、建築家というのは形態をデザインする人だと思われてきた。しかし、それは本当かなと、最近つくづく思います。形態はある意味でどうでもいいのではないか、むしろ形態以外に建築のいちばん面白いところがあるのではないかと。ただ一般の社
これは景色が日本難れしていますけど、実はフランスの芝練です。日本とフランスのプルタ−ニュ地方のニカ所にしか芝棟は残っていません。二カ所に残っているだけでなくて植えてるものも基本的に同じです。日本でもイチハツを植えますが、フランスの場合はイチハツしか植えません。種類は圧倒的に日本のはうがいろいろあります。残念なのは日本のはうが管理が悪い。フランスの芝棟は非常に美しく管理されています。ホントに僧らしくなりました。 ぼくは、今まで二度行っています。今年は花の咲く時期を聞いて行ったんですけど、開花が遅れているということで咲いていませんでした。この付だけで五、六十棟あって、政府が保護しているんですけど、プルターニュ地方だけでおそらく干棟くらいはあるのではないでしょうか。 屋根は急傾斜で、雨水のはけを非常によくしてあるんです。それから、フランスは日本とは違って、空気が乾燥していて湿気が少ないので、茅の
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