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Philosophyに関するnash-bridgesのブックマーク (29)

  • 英語の感覚×日本人の英語:冠詞パラダイム論 - Nash Bridgesの始末書

    マーク・ピーターセン『日人の英語』:日人の英語の感覚 日人の英語 (岩波新書)…定冠詞近辺以外の英語話は大学受験英語レベル。『Forest』でも読めって話。 「意図」――つまりは「文脈」が冠詞を決定「してしまう」というピーターセンの話は、「文字通りの意味だけ」じゃない。もっと過激な事を言っているんだよ。つまり、無冠詞だから抽象だとか、有冠詞だから具体だとかいった一意的な学校文法的公式の不完全さの暴露なんですよ。日人の冠詞理解は「ペンギン的な知識ですね」って言われてるんですよ! しかし、そうであるがゆえに、彼の『日人の英語』には「まだ先が在る」んですよ!ピーターセンは、その「先」を語らない事で《その先、にある認識論的なパラダイム》――つまりは、冠詞をポストモダン的に理解できる可能性を示してしまっているんです。ピーターセンは「冠詞」という「意味の産出機構」の存在を明かにしたんです。

    英語の感覚×日本人の英語:冠詞パラダイム論 - Nash Bridgesの始末書
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/12/07
    セルクマ ピーターセンで物足りない人に大津栄一郎はオススメ
  • ポストモダニストなら理解できてしまう英語冠詞文法のパラダイム - Nash Bridgesの始末書

    冠詞用法(aとtheの使い方)をプログラミング言語の文法で比喩 nanigac.com 冠詞を付けない場合 - クラス/構造体自体 I like books. これはbookクラス自体を指しているのではなく、bookクラスを複数保持するbooksコレクションクラスを指しているため、一般のことを指します。 これは面白い喩え。構造というか抽象化される部分も「複数形」にはある。『英語冠詞事典』で言えば「完結以上」。ポモに言えば形而下的でもあり形而上的でもある。だが、「(広義の意味で)総称用法(的なもの)」は book / a book / books / the book / the books のどれでも成り立ってしまうのが困りもの。そう考えると、「aとtheの違い」だけでなく、「aとtheの同じ部分」も文法的に理解しないと大変だね。 冠詞用法(aとtheの使い方)をクラスとインスタンスで比

    ポストモダニストなら理解できてしまう英語冠詞文法のパラダイム - Nash Bridgesの始末書
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/12/07
    冠詞とポストモダン的なもの
  • HugeDomains.com

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  • Stanford Encyclopedia of Philosophy

    The Stanford Encyclopedia of Philosophy organizes scholars from around the world in philosophy and related disciplines to create and maintain an up-to-date reference work. Current Operations Are Supported By: The Offices of the Provost, the Dean of Humanities and Sciences, and the Dean of Research, Stanford University The SEP Library Fund: containing contributions from the National Endowment for t

  • マイナスをゼロにする努力や才能と、ゼロをプラスにする努力や才能はまったく違うよね、という話 - 世界のはて

    ここでいう「マイナス」は、劣等感とか抑圧とか差別とか、「人生の障害」的なもの。「プラス」は、「人生を楽しむ」とかそういうことなんだけど。 「マイナス」を持っている人間にとって、それを解消しようとすることは、人生の大きな「動機」になる。「動機」は「行動」を産み、「行動」は「充実」を産む。その意味で、「マイナス」を持っている人間の人生は、ある意味では充実しているということができると思う。 しかし「マイナス」が解決されたとき、その人はその後、何を「動機」にして人生を送ればよいのだろう?いま特に「マイナス」を持たない人間は、何を生き甲斐にすれば「充実感」を得ることができるのだろう? 僕は「ゼロをプラスにする」とは、要は「人生の楽しみ方を知っている」ということなのだと思う。しかしその努力や才能は、マイナスをゼロにする努力や才能とは、まったく異なるもののような気がする。 そしてこれまで「マイナスをゼロ

    マイナスをゼロにする努力や才能と、ゼロをプラスにする努力や才能はまったく違うよね、という話 - 世界のはて
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/09/02
    <ゼロ以上は「必要ではないもの」なので、行動の動機が沸きにくい>ってのは神経症的な強迫による動機だな。そーいうのは地獄行きだよ。
  • 赤の女王とお茶を : マイナス→ゼロ→プラスは一直線上にあるか

    マイナスをゼロにする努力や才能と、ゼロをプラスにする努力や才能はまったく違うよね、という話 殊に、前よりも、一層強くなったのは、あまり早く芋粥にありつきたくないと云う心もちで、それが意地悪く、思量の中心を離れない。どうもこう容易に「芋粥に飽かむ」事が、事実となって現れては、折角今まで、何年となく、辛抱して待っていたのが、如何にも、無駄な骨折のように、見えてしまう。出来る事なら、何か突然故障が起って、一旦、芋粥が飲めなくなってから、又、その故障がなくなって、今度は、やっとこれにありつけると云うような、そんな手続きに、万事を運ばせたい。 --- 芥川龍之介「芋粥」 ちょっと話は変わりますけど、バイオ界隈の話で、「病気を治すこと」と「能力を強化すること」は同じだ、という考え方があります。 例えば 超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会 作者: ラメズ・ナム,西尾香苗出版社/メ

    赤の女王とお茶を : マイナス→ゼロ→プラスは一直線上にあるか
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/09/02
    「バランス」と「強化」――id:xevraさんの「自己調和力」ってのにも繋がる気がする。(いや、意味的には自己調和力≒id:umedamochioさんの「サヴァイヴ」だろうけど)
  • 分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント - 「私」は一人しかいない。「人間」は掃いて捨てるほどいる。

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    分裂勘違い君劇場グループ - 劇場管理人のコメント - 「私」は一人しかいない。「人間」は掃いて捨てるほどいる。
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/27
    相対主義・ニヒリズム批判。『自分を知るための哲学入門』(竹田青嗣)を思い出した。
  • よみがえったソクラテス(魂と可能世界) ----物理主義と心的因果の問題を理解するために----

    よみがえったソクラテス(魂と可能世界) ----物理主義と心的因果の問題を理解するために----                          柴田正良 登場人物: 毒ニンジンを飲んだ後のソクラテス       物理主義者の「ミタマ」  アテナイ市内の牢獄の中。毒杯を仰いだソクラテスは、しかし、毒が効かずに数時間後に目を覚ましてしまう。独房の入り口近くから、なにやらの姿をしたものがこちらをぼうっと見ている。ソクラテスは、急に空腹を覚えた。 可能世界とあの世(輪廻転生) ソクラテス: う〜、やけに腹が空いた。ここはいよいよ、イデアの楽園か、はたまた死者たちの魂が集うという冥府ハデスか? しかし、はて面妖な。死んで魂だけになったというに、まだ腹が空くとは・・・。しかもここは、クリトンやケベス、シミアスたちがいたときのままの、あの牢獄ではないか。 それに、わたしの7

  • 『ロボットの心』から第0章「プロローグ------サラの話」

    0章 プロローグ---------サラの話  サラはその機械に入る前に一瞬ためらった。サラの生まれ育った街角のパンを焦がしたような懐かしい匂いや、人々の夕方のざわめき、そして何よりそこに残してきた娘の顔が心に浮かんできた。そこは地球だった。  ・・・ネフィー、お前にもうすぐ会えるわ。もしこの機械がうまく作動しないとしたら、わたしは地球でよみがえることはない。しかし原理上は完璧なはずだ。わたしはこの機械の中で分子単位にまで分解され、身体の隅々まで何一つ漏れなくわたしの「設計図」は読みとられる。わたしはそのまま分子の煙となってここで消滅するが、地球に転送された「設計図」はその周囲の分子から<わたし>を再び創り上げる。身体に残る人生の痕跡ばかりか、記憶に刻まれた苦い思い出さえもまったく同一の、もう一人の完璧にわたしである<わたし>を・・・  もうサラがためらっている時間はなかった。地球

  • Shibata-TSR「浅い指示」論

    弱められた指示概念は意味の文脈依存性をうまく捉えられるか?          -----伊藤「浅い」指示論の評価に向けて----(柴田正良) 1. 浅い指示論(theory of shallow reference:TSR)の動機  稿は、言語における文脈依存性の問題を「浅い指示」という独自の概念装置によって一貫してねばり強く追求してきた伊藤春樹の指示論(TSR)に、現段階で批判的な検討を加えようとするものである。この文脈依存性の問題は伊藤によれば指示ばかりではなく記述や比喩といった現象にも出現するが、それをてっとり早く理解するには、このところ心の哲学でずっと話題に登ってきた信念報告文の例を見るのが最善であろう。例えば、 (1) オイディプスは、イオカステこそ自分にふさわしいだと信じていた しかしもちろんオイディプスの悲劇は、彼には分からなかったことなのだが、イオカステが

    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/25
    「弱められた指示概念は意味の文脈依存性をうまく捉えられるか?」
  • 翻訳『意味の全体論』のあとがきと解説:

    書は、Jerry Fodor and Ernest Lepore, Holism, A Shopper's Guide, Basil Blackwell, 1992 の全訳である(翻訳はその初版によっている)。書は、「お買い物ガイド」というそのソフトな副題にも関わらず、意味の全体論に対するきわめて論争的で挑戦的なその姿勢で世界的な反応(賛同/反撃)を惹き起こした。ルポア教授によれば、1996年5月の時点で、およそ20のシンポジウムと、多くの論文と、そして『全体論:最新の消費者』 Holism: A Consumer Updated, Grazar Philosophishe Studien, Rodopi, vol.46, 1993 という、同じ著者たちが編んだ批判論文集までもがこの結果として出現した(ちなみにこの中には、クリプキ『名指しと必然性』の訳者の一人、カリフォルニア州立大

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    nash-bridges 2007/08/25
    「「意味は自然物の一種だ」という観点から見ると意味の全体論はどう見えるか」
  • 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ

  • 認知科学に現象学は何を寄与しうるか

    認知科学に現象学は何を寄与しうるか                         柴田正良(金沢大学) 1. 現象学とは何をする哲学なのか? 何が売りなのか?  ということは、だれに聞いても多分、「絶対これだ」という自信たっぷりの答えが返ってきそうもないので、正面から問わないことにしよう。その代わりに、「事象そのものへ」とか、「質直観」とか、「現象学的還元」とか、「客観的世界の手前にある生きられた世界に立ち帰る」といったスローガンを頭に思い浮かべながら、認知科学における一つの具体例に即して、現象学という思考方法(?)が心の科学に何を貢献しうるのかを少し考えてみたい。要するに、目指すところは現象学の可能的ケース・スタディであり、そのケースとは、コネクショニズムによる素朴心理学消去の主張である。 2. 素朴心理学に対するコネクショニズムからの攻撃  素朴心理学(folk psyc

  • zombi.htm

    ゾンビは論理的可能性ですらないか? ------チャルマーズに対するpros and cons------                                      柴田正良(金沢大学)  チャルマーズの性質二元論は、物理主義に対立するテーゼとして提出されている。通常、科学者(とくに物理学者?)は、よほど問いつめられた場合以外には物理主義者とはならないだろうと思われる。確信犯的な(?)実体二元論者を除くと、彼らがおしなべて存在論に無頓着であるのは、想像のかなたの可能世界で何が起きようとも自分の目下の研究に差し迫った影響はない、という理由からであろうか。しかし、われわれ哲学者でも、物理主義のギリギリのラインがどこに引かれるべきかに関しては完全な一致に達しているわけではない。その意味でチャルマーズの物理主義反駁は、どこまでが物理主義の主張なのかということの自覚をわれわれに

  • [B! 学問バトン] sakstyleのブックマーク

    学問バトンきたこれ  あとで答えるおーー やった 吐血 yuくんからきたのでやるお。何元ネタこれ? 荻上式BLOG - 学問バトンchikiさん恐ろしい大人 ◆あなたの専門・専攻・得意教科は? AV大学 文学部 ハリウッド映画音楽学科 攻殻機動隊SAC専修 社会学 カルスタ 菊地成孔鑑賞 ◆あなたは、どのようなテーマに関心がありますか? 警察の利権 野球勝利学 サッカー勝利の法則 マジレスすると秩序の維持方法 ◆あなたは、なぜその専門・分野を選んだのですか? ケーブルテレビ映画見たりアニメみたり、人と話してたらそうなった。 ◆あなたが最も影響を受けた人と、その理由を挙げてください(複数人可)。何回か書いてる気がするんだけど てかその前にマスターキートンとか火の鳥とか冨樫とか春樹とかの下地があるからなぁ 森巣博 : 高校終わりくらい ギャンブラーや思想の原点 東浩紀 : ゲーラボにえらく知

  • このブログについて - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    https://deepbluedragon.hatenadiary.com/entry/oldprof 上のリンクはダイアリー時代の古いプロフィールからのコピー。紹介してる記事の様子だと書かれたのはおそらく2008-9年頃かな。古臭いので迷ったが新しいプロフィールを書く気が起きないので参考として… プロフィール id:deepbluedragon

    このブログについて - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • ニートホープ - が…「学問バトン」だってっ!?(気まぐれで追記、修正しています)

    なんと葉っぱ大先生(id:kuriyamakouji)から「学問バトン」なんてもんを受け取っちまったぜっ。 2007-07-22 元々は「メディア論バトン」だったもんをヒントに「トラカレ」のチキさん(id:seijotcp)が「学問バトン」を作ったらしい。ちくしょー「メディア論バトン」だったら斎藤環ぶって 「メディアは存在しない」 とでもうそぶいて華麗にスルーするつもりだったのにっ! しかし、葉っぱ先生のご指名*1ということで、バトンとかめったにやらない僕が「鋭敏に反応して」みせましょう。良くも悪くも自分の勉強不足、馬鹿さ加減を披瀝するいいチャンスですからね。僕の言うことなんか信じるな!僕は真面目になんか答えてやらないんだからねっ(←さっさと始めろ ◆あなたの専門・専攻・得意教科は? はてな大学・第二文学部・哲学科・地球惑星科学専攻 得意教科は古典物理とタマキ派精神分析 ◆あなたは、どのよ

    ニートホープ - が…「学問バトン」だってっ!?(気まぐれで追記、修正しています)
    nash-bridges
    nash-bridges 2007/08/05
    学問バトン流ブレイクダウンタイフーンかよ、社長!はてな界のHighEST-Browに卒倒した挙句に七音剣で内臓ミンチ
  • 図録▽神の存在・死後の世界に対する見方

    「神の存在」や「死後の世界」を信じているかどうかについて、「信じている」、「信じていない」、「わからない」の割合を対象となっている世界77か国について図示した。国の順番は「信じている」の割合の大きい順である。 (神の存在を信じるか) まず「神の存在」についてであるが、「信じている」の割合は最も高いエチオピアの99.9%から最低である中国の16.9%まで大きく異なっている。神の存在感は国によってまことに様々であることが分かる。 それにしても図を見て、まず、目立っているのは、神の存在を信じている国民の多さである。90%以上の国民が「神の存在」を信じている国は36か国と半数近くにのぼっており、95%以上に限っても26か国もある。 95%以上と国民のほとんどが「神の存在」を信じている国を見るとイスラム圏の国が12カ国と最も多く、カトリック国が9カ国、それ以外の途上国が5カ国となっている。 主要先進

    nash-bridges
    nash-bridges 2007/01/08
    興味深い 逆にいえば、だからこそトンデモに縋りたがるのかもな
  • Amazon.co.jp: 善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫): 西田幾多郎 (著), 小坂国継 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫): 西田幾多郎 (著), 小坂国継 (翻訳): 本