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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (19)

  • 書籍「ゲームの歴史」について(5) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当のの引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで文と若干ずれ

    natu3kan
    natu3kan 2023/02/28
    疑似3Dって2Dを画像回転と遠近法で何とかするヤツをいうのか。
  • 書籍「ゲームの歴史」について(4) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当のの引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで文と若干ずれ

    natu3kan
    natu3kan 2023/02/23
    Wikipediaみたらカセットビジョンの発売当時の競合って高額な海外製の輸入ゲーム機だったんだな。ファミコンがいい噛み合わせで強すぎた。
  • 書籍「ゲームの歴史」について(2) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当のの引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで文と若干ずれ

    natu3kan
    natu3kan 2023/02/18
    初期のRPGだとダメージや成否判定がボードゲームやTRPGまんまとかあるから、自動ゲームマスターとしても使われてた面あるよね。
  • 書籍「ゲームの歴史」について(1) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史の両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 また、これは史観なのだから実際の歴史から離れていてもいいという主張もあるかもしれないが、それは前書きの段階で無理があると言わざるを得ない。 書は、ゲーム歴史について書いた

    natu3kan
    natu3kan 2023/02/15
    ビデオゲームの最初期って電気の変動を測るオシロスコープをテレビの画面にしたアナログコンピュータのお遊びから発展したし。一次資料を引くまでもなくまともな校閲いたら、ツッコミまみれになってたんじゃ……。
  • イースⅠ・Ⅱのエンディングの開発版 | Colorful Pieces of Game

    手持ちで残っている開発過程のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月半ば~末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) この中でエンディングがまともに入っているバージョンは2つ、10月末と11月マスター版だけだ。 9月末バージョンではフィーナとしゃべるところまでは入っているけれど、プレイを終了するとハングアップ。 なんかちょっとぐらい入れておけよ俺! と突っ込みたくなるのだけど、まあ開発版なんてそんなもんだw で、エンディングが入っている10月半ば~末バージョンは、カットはほぼ全部入っているのだけど、大きく違うところが一つある。 それは踊りがないことと、スタッフロールの表記が違うことだ。 というわけで以下がその動画。

  • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

    『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

    natu3kan
    natu3kan 2021/02/17
    任天堂も当初は業務提携してないサードパーティがソフトを作るってのも想定してなかったって感じなのね。ソニーの台頭で任天堂がセカンドパーティやファーストパーティでキラータイトル作る方向に戻るの面白い。
  • さくま先生のこと | Colorful Pieces of Game

    先日、ちょっとしたことがあって、20年以上ぶりにさくまあきら先生に挨拶させていただく機会があった。 もう当に不肖の弟子筋(と勝手に思わせていただいております)として挨拶させていただいて、心の底から嬉しかった。 さくま先生は、僕にとってもうどれだけお礼を言っても言い足りない当の恩人にして先生と言える方だ。 1989年初頭、さくま先生(と桝田さん)は、どういう気まぐれだったのか、今でも不思議なのだけど『凄ノ王伝説』を僕の目の前でどんちゃん(と正確にはもう一人いたのだけど、まあどんちゃんで代表させておいて大丈夫なので、どんちゃんと書いておく)にプレイさせてくださった。 時期は、確か『凄ノ王伝説』のマスター前後だったと記憶している。ファルコムに行ったあとだったかは覚えていないのだけど『イースⅠ・Ⅱ』を(ファルコムがOKと言えば)やることは決まっていたと思う。 目の前で繰り広げられたどんちゃんの

    natu3kan
    natu3kan 2020/05/07
    ここで「凄ノ王伝説」出てくるのなんかワクワクした。
  • 『天外Ⅱ』に参加しようと決めたワケ | Colorful Pieces of Game

    『天外Ⅱ』の発売28周年というので、ちょっと記事を書いておこうと思った。 continueでちょっと喋って、下の記事でもちょっと書いた話だけど、詳しく書いたことはほとんどないなあという話。 どうして『天外Ⅱ』の仕事を受けることにしたのか? 大恩人の中さんに頼まれたら、やっぱり断りにくい…というか、断るなんてありえないっしょ。 また、当時は超大作RPGを作るのに憧れてたし、広井さんに「岩崎じゃないとヤダ」と指名を受けたのはもちろん嬉しかったし、かつ桝田さんがスゴく仕事が出来る人だったので一緒に仕事してみたかった。 ここまでは、まあ普通の話だと思うのだけど、あと一つ、とても大きな理由があった。 それは「辻野さんのコンテをちゃんとコンテ通りに動かしたかった」のだ。 どういうわけか、僕はたまたまコンテを読む能力があった。 不思議だけど、あったのだ。 そして、当時、コンテを読めるヤツはハドソンには

    natu3kan
    natu3kan 2020/03/28
    >CD-ROMのロゴが付く限りは、必ずイエローブックの規格を満たす=レッドブックの規格を満たす=物理的には音楽CDと同じ=CLVなのだから、自動的にデタラメだ。
  • 某プログラマが某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したの巻 | Colorful Pieces of Game

    ツイッターでポロっとつぶやいたのだけど、ここでも記事をば。 某プログラマが34年前に発売された某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したので、以下にリンクを置いておく。 GitHub - omuanko/nnjhtrkn: Famous Ninja game for NESFamous Ninja game for NES. Contribute to omuanko/nnjhtrkn development by creating an account on GitHub. 某プログラマからの箴言は以下。 ■某プログラマ ちなみに びるど とおりますうご(www act65 を cpm86 エミュで 試してみた ソース見られるの恥ずかしい いまさらおそいか ちなみに act65は つけてないよ どっかで ひろってね ところで、イマドキな方には全く理解できないことがいろいろあるだろう

  • 『ときメモ』を巡る25年前の風景 | Colorful Pieces of Game

    PCエンジンminiで初めてときメモを遊ぶ人は「幼馴染の万能超人、藤崎詩織にふさわしくなるために自分を鍛えるゲーム」と信じてプレイして欲しいw 元ツイート このツイートをしたとき、いろいろな反応をもらったが、どうしてこう書いたかというと、僕が初めてレビューしたとき、すなわち94年の4月ごろにコナミからやってきた『ときめきメモリアル』のPCエンジン版をプレイするとき、そう思ってレビューを始めたからだ。 それはファミ通のPCエンジン版の最初のレビューでも知ることができる。 僕には伝説的な(7/7/7/6)のまともにプレイしたとは思えないレビューで、じゃあ実質ベタ移植のPS1ではなんで32点(8/8/7/9)なんだよと皮肉を言いたくなる代物だったけれど、書かれていたゲーム内容紹介-- 幼なじみの藤崎詩織ちゃんから告白されるのが目的の、恋愛ときめきシミュレーションゲーム。エンディングはプレーヤーの

  • イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎 | Colorful Pieces of Game

    ”イースの世界設定は『I』・『II』で完全に完結することを前提に作られており、最終的に現実の歴史とリンクするようになっている” 僕のツイート このデタラメには続きがあり「オリジナルスタッフはⅠ・Ⅱで終わらせるつもりで辞めた(Ⅲはつまり他が作ったことになっている)」とか「山根は続けたかったからⅠ・Ⅱでシナリオいじった」とか、もうよくこんだけデタラメを書けると呆れる代物だ。 このとんでもないデタラメはwikipediaのイースシリーズの初期の項目を筆頭に、何か所かで書かれていたのだけど、これにモトネタがあるのか不思議に思っていた。 というのも、山根のくだりはともかく、それなりに発想力のある話で、素人がゼロから考られるとはさすがに少々想像しがたく、何か元ネタがあったのかなあ? と調べていただけど、さっぱりわからず、ツイートしたのだけど…そしたら、このツイートを日ではクトゥルーとレトロゲームにつ

    natu3kan
    natu3kan 2019/10/19
    世界観を売るから資料は貴重って当時のファルコムは考えてなかったと、オリジナルチームが作ったイースの設定をその当時のファルコムが上書きしたかったかもしれない感じか。
  • 1988年のPCエンジンCDROM | Colorful Pieces of Game

    とても楽しいハドソン系の飲み会があり、そこで預かってくれないか? と言われたのが、1988年9月に作られたNO・RI・KOのディスクだった。 ウラノリコと書かれているのは、画像データの大半が仮素材の代物だったからだ。 なお、当時のスタッフがPEというエディタで適当に描いたもの。 NO・RI・KOはアルファシステムが制作しているので、マウスで適当に描かれたテキストに結構九州弁が含まれているのがなかなかに面白い。 これはスタンパ(と当時は僕らは呼んでいた)形式、つまり当に生産されたもので、記憶ではマスターを出すとだいたい一週間ぐらいすると来るものだったわけだけど、どうしてこんな仮素材の代物をスタンパにしたのか? 誰も当にCDROMでゲームがちゃんとが動くのかわかっていなかったし、見たこともなかったから、実ディスクを作ってみるのが必須だった 1988年8月ぐらいまでBIOSを作っていて(僕も

    natu3kan
    natu3kan 2019/09/29
    昔のCD-ROMをつくるハードルの高さよなあ。ゲーム用のCD-ROMの生産って国内が主流だったのかな。PC用のソフトだと2000年代なら中国とか海外のプレス工場で安くCD-ROMを作る選択肢も増えてくるけど。
  • イースⅠ・Ⅱ通史(9):『ファザナドゥ』開発物語(2/終) | Colorful Pieces of Game

    ただ、奥野さんは開発は2~3月にスタートしたと記憶しているのだけど、これには少し記憶違いが入っている可能性が高い。 というのも、ウィンドウシステムを書いているヘクターさんは、この時、『ヘクター87』を作っている。だから『ファザナドゥ』に入れたはずもない。 まだ雪が残っていたとき『ヘクター87』の企画会議があって、ヘクター(小山さん)大変だなあと思っていたという話が複数あるのに加えて、『ヘクター87』チームのメンバーがゴールデンウィーク明けにマスター休みを取ったと証言している。 つまり『ヘクター87』のマスターはゴールデンウィークあたりなのは間違いない。 言い換えれば、それより前にヘクターさんが入れたはずがない。 だから2~3月頃に「作れ」と言われて、夏発売予定でスタートしたのはいいけれど、ゲームはプログラマ1人でなんとかなるサイズではなくなりつつある時代で、間に合わず、夏は無理で秋に延期さ

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    natu3kan 2019/04/20
    >ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』の制作エピソード。
  • 『だって「?」って描いてあれば、みんな叩くじゃないですか』::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

  • イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版のイース1から、PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱまでの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 イースを作ったころと重なるのもあって、一度イースを作ったころの記事は削除しようか迷ったのだけど、比較することで「何がわかったのか」がわかるようになるなと思ったので残すことにした。 ものすごく長くなると思うのだけど、まとめて夏コミで最終的に新刊としてリリースされることが目標だ。まあ問題はとんでもないページ数になりそうな予感がすることだけど… また、このシリーズは、山根のバカ、五十嵐さん、古代祐三さん、進藤、長山君、百田のバカ、飯淳、その他名前を少し書きづらい沢山の方々から得た情報で書かれている。僕に情報をくださった方々に感謝したい。 ということで編。 世がファミコンブームに沸き立ちつ

    natu3kan
    natu3kan 2019/01/03
    パソコンはシミュレーションやアドベンチャーが作られやすい土壌だったと。パソコンに漢字ROMが標準搭載するようになると、パソコンの高スペックを使った美麗な絵と文字で勝負できるようになっていったわけか。
  • 80年代末に作り手になった人間のRPG史観::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    natu3kan
    natu3kan 2018/11/20
    アローン・イン・ザ・ダークシリーズのポリゴンって味があるけど、言われてみれば三人称視点の3Dゲーの走りか。
  • リリアは誰が創りだしたのか?::Colorful Pieces of Game

    僕の書いたイース1・2を作った時の話には大きく欠けているところがある。 それはもちろん言うまでもなく、オリジナルのイース1およびイース2が作られたとき、誰がゲームにどんな風に貢献したかで、そしてイース3が実はどうだったのか? のあたりだ。 当たり前だが、イース1・2はあくまで移植で、山根がいるとかオリジナルメンバーから話を聞いているとは言っても「どんな風に開発が始まったのか?」とか、誰がどんな貢献をしたのか、については別の会社の話であり、わからなかったわけだが、これがなんと26年ぶりのイース1・2のメンバー+当時のファルコムに勤めていた人間との飲み会で、かなり詳しく分かった。 まあ26年以上経ってからの話で、例えば山根は「俺はゴーなんて言ってなかった」と主張して、飲み会メンバー全員から「忘れてるのかよ」と思い切りツッコミをらったり、さらに自分が飛行機のアナウンス無視した話とか忘れてたりと

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    natu3kan 2016/08/31
    >確かにヒットではあったけれど、当時のファルコムの感覚としてはまあまあ程度で、「2作りたいの? いいんじゃない?」って、かなりバブリーな感じで作り出したのが真実である
  • イースの裏設定ってブログ記事に驚いた::Colorful Pieces of Game

    この記事のシリーズでは、オリジナルスタッフがPC-88版を作った時のイースの設定について、オリジナルでは「誰が何を作ったらしい」というところまで含めて、自分が覚えていたり、あとで判明したりしたことを、できるだけ残すつもりで書き留めてきた。 ■オリジナルスタッフのイースの設定(ゲーム以前) ■オリジナルスタッフのイースの設定(アドルがつくまで) ■1989年9月 - どっちがヒロインなのよ? ■リリアは誰が創りだしたのか? だいたい上が、そのオリジナル&オリジナルスタッフに関係する記事なのだけど、ここらへんを書いていたおかげで、五十嵐哲也君がPC版のイース1のマニュアルの小説を書いて、アドル・クリスティンの名付けの親だったなんて驚くコトも知れたのだけど、まるで違うことで調べ物をしていたとき見つけてビックリしたのが… ■「イース」の裏設定 2009年の記事なので、このブログを見て書いたのでは絶

    イースの裏設定ってブログ記事に驚いた::Colorful Pieces of Game
  • 続・ダライアスの発売日::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    続・ダライアスの発売日::Colorful Pieces of Game
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