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教育とコミュニケーションに関するnaturlaut1のブックマーク (2)

  • わざと皆の前で出席簿を忘れた、小学校の担任の先生の話。

    H先生の話をします。 H先生は、私が小学校3年から4年の時に担任を持ってもらった先生です。 男性で、眼鏡をかけていて、体格はそこそこ良くて。多分当時、30代後半から40代くらいだったのだと思います。気さくで、笑顔が多くて、授業中でもちょくちょく雑談をしては、クラス中を笑わせるような先生でした。 ちなみに、この記事で「巻物を触る仕事をしたい」という素っ頓狂な発言をした私に対して、「大学でなら触れるで」という適切な方向付けをしたのはそのH先生です。 私の人生において、ある意味かなり重大な影響を与えられた先生でもあります。 私が子どもの頃ですので、今の小学校とはまた色んな事情が随分違うとは思いますが、H先生がクラスで慕われていたことは間違いありません。 小3から小4くらいの小学生というのは当に難しくて、面倒くさくて、一歩間違えると先生の言うことなど全く聞かなくなります。 その点、私のクラスは、

    わざと皆の前で出席簿を忘れた、小学校の担任の先生の話。
  • マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記

    あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小

    マツダ先生(仮名)の思い出、あるいは議論の仕方を習ったことのない人はやっかいだということ - みやきち日記
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