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東北地方太平洋沖地震に関するnaturlaut1のブックマーク (132)

  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • なぜ全国紙は被災地の“真の姿”を伝えないのか?毎日新聞が「報道とモラルの壁」に挑み続ける理由

    1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 震災を報じる新聞、テレビ、雑誌は、私

  • トウホク復興ブログ

    あすと長町では、災害公営住宅の住民リーダーたちと、仮設から災害公営住宅まで支援を継続してきたNPO、大学研究室等が、連携・協働する枠組みとして、「つながりデザインセンター(NPO法人)」という中間支援組織を設立する方向で準備を進めています。 そんな準備の様子を新聞各社が取材してくれましたので、ご参照ください。 河北新報 2016.6.23 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160623_13058.html 読売新聞 2016.7.14 http://www.yomiuri.co.jp/local/miyagi/feature/CO004108/20160714-OYTAT50006.html あすと長町では、仮設住宅から継続して支援を実施してきた10数団体が、復興公営住宅でも連携して支援やイベントを実施することで、高齢者等が安心してく

  • www.さとなお.com(さなメモ): 仮設住宅格差の顕在化

    昨日は「仮設住宅の勉強会」を「助けあいジャパン」情報発信部で開いた。 実際に仙台近郊の仮設住宅を見に行って現地で関係者と話してきた内藤久幹くんを招いて、現状をくわしく教えてもらった。 大きな流れで言うと、避難所はどんどん閉じられていき、これからは仮設住宅フェーズに入っていく。 タテマエとしては2年間住めるということになっているが、そう簡単なことではない。阪神大震災の例から考えると5年くらい住む方も数多く出そうである。 その中で、仮設住宅格差が顕在化してきているようなのだ。 あるデータによると、全仮設住宅の中で施工を請け負ったのは プレハブメーカー 65% 住宅メーカー   25% 地元工務店    10% だそうである。 そして、そのクオリティの差が実に大きいというのである。 プレハブメーカーの利点は早く作れること。一刻も早く仮設住宅が必要だったのでその利点は大きいが、でも、出来上がりの

  • 大規模被災地の下水道の問題 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    【被災地の下水道復旧はどうあるべきか】 被災地を駆け足で見てきましたが、被害の度合いは自治体や集落によってかなりばらつきがあります。 大船渡や気仙沼などは海に近いところでの被害は大きかったものの、高台に広がる市街地も多くて、主たる部分が残っています。被害規模は甚大とはいえ、そこを起点にして被災区域を復旧することはまだ可能でしょう。 しかし、南三陸町や陸前高田市などは市街地が広範に津波によって押し流されてしまい、上下水道や電気・通信などの基的なインフラがほとんど残っていない状況です。 こうなると、人が住むのが先かインフラを整備するのが先かという鶏と卵の議論に陥ってしまいます。 また被害があまりに甚大な集落では、住民の多くが亡くなっていますし、地盤が下がってしまったようなところで生き残った人がすぐに住宅を再建できるでしょうか。 学校などの公共施設は立て直すとして、民間の各種商店などはどれくら

    大規模被災地の下水道の問題 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 東日本大震災:東北放送・荒井送信所、震災後1週間 安否や生活情報発信 /宮城 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 国民負担はあたりまえ - Chikirinの日記

    福島の原発事故の補償費用をどこから捻出するかという議論において、「電力料金に転化するのはおかしい」とか「国民負担が発生するスキームはだめ」的な意見を聞くたびに、「なんでよ?」と思います。 どう考えても国民負担すべきでしょ。 東京電力が発電や送電に必要な設備を除き、保養施設や社員寮など業務に不可欠でない資産を手放すこと、役員、社員の給与をせめて“協力企業”である東芝程度に引き下げることは当然としても、徹底した東電のリストラで足りない分は電気料金の値上げと公費(税金)で補償するのが当然だと思えますけどね。 御用学者がどうの癒着がどうのというけれど、突き詰めれば「原発を利用しながら、豊富な電力を得て利便性の高い社会を作ろうとしていたのは、まさに日の国民(有権者)の民主的な意思決定の結果だった」とちきりんは理解しています。 その意思決定に伴う損害を、今は福島県の人が一身に背負わされているのだから

    国民負担はあたりまえ - Chikirinの日記
  • 中央構造線が動くとこんな震度予想だそうだ : 2のまとめR

    2011年05月08日 ➥ 中央構造線が動くとこんな震度予想だそうだ 102 comments ツイート 449:名無しさん@涙目です。(秋田県) []:2011/05/07(土) 21:58:37.43 ID:2T6Q5Ch30 でかいのまだー?スマトラの余震クラスの 491:名無しさん@涙目です。(チベット自治区) []:2011/05/07(土) 22:00:26.51 ID:cvHHvIAy0 >>449 中央構造線が動くとこんな震度予想だそうだ http://climsy.com/wOBdD87s0b.png 541:名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区) [sage]:2011/05/07(土) 22:01:28.98ID:8dB4FZwDO >>491 日オワタw 545:名無しさん@涙目です。(愛知県) [sage]:2011/05/07(土) 22:01:36.46

    中央構造線が動くとこんな震度予想だそうだ : 2のまとめR
  • 選挙アーカイブ - 毎日新聞

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  • (今さらですが)地震発生から一ヶ月の記録 - ポンパドール・パラソル:野望編

    はじめに 地震発生から二ヶ月が過ぎようとしています。ぼくの生活は、原発への不安を除けばほぼ完全に地震前と同じレベルまで回復しましたが、生活の隅々まで見渡せば、今回の震災に起因する不自由・不便がまだたくさん残っていて、これを徐々に回復していく作業を今後1年くらいは続けていかなければならないのだな・・・と思うくらいの段階にいます。 一方で、ときどき仕事で沿岸部の方まで行く機会があるのですが、未だ復旧の手がかりすら掴めていない地区もあり、当に暗い気持ちになります。一日も早く復旧出来るよう、ぼくも仕事を通じて貢献しているつもりですし、今後も続けていきたいと思っています。 今回は、当に今さらですが、地震発生から一ヶ月の記録を忘れないうちに書いておこうと思いました。以下、twitterで当時のつぶやきを交えながら進めて行きたいと思います。 3/11 地震が発生したとき、ぼくは大学の研究室にいました

    (今さらですが)地震発生から一ヶ月の記録 - ポンパドール・パラソル:野望編
  • ナショナルジオグラフィックの東日本大震災特集がすごいと話題に

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  • 論の焦点:4月 違和感ある「寡黙で粘り強い」東北人 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災関係の論文などで「寡黙で粘り強い東北人」といった賛辞をよく目にする。その多くは紋切り型の表現なので、どうしても違和感を覚えてしまう。 東京大准教授の池内恵は『文芸春秋』で、震災関連の物言いについて<現場を称賛する世論を作り出して批判を逸(そ)らそうとする、情報分析能力と決断能力のない高給取りたち>を批判する。さらに<日人の忍耐力と秩序は素晴らしい(略)といった「大営発表」を政府が行い、(略)人々が信じたいことを伝えるのが日の大メディアである>と容赦がない。 池内の言う<人々の信じたいこと>の一つが、ステレオタイプの東北人像なのだろう。それは一体、何に基づくのか。 仙台市出身のジャーナリスト・作家で日銀副総裁も務めた藤原作弥は同誌に、かつて東北各地にいたイタコの伝承を記した。蝦夷(えみし)の族長アテルイが朝廷に敗れた悲話から<風水害、寒冷害、疫病(略)大飢饉(ききん)。農村

    naturlaut1
    naturlaut1 2011/04/28
     “紋切り型の賛辞は「弱者の立場に甘んじろ」という物言いに聞こえなくもない”
  • 日本の我慢と過疎問題 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    最近、海外メディアの日関連記事で「そう見られているのかw」と思うような内容がとても多い。確かに、日社会や日人は特殊なのかも知れん。海外の連中に言わせると「うちの国なら、とっくに暴動が起きてる」ということのようなのだが。 Silenced by gaman The world has admired Japan’s stoic spirit. But there is a worrying side to it http://www.economist.com/node/18587325?story_id=18587325 暴動が起きない理由は、日人の特殊性に加えて、若い人が少ないからというのもあるかなあと思いつつ。 twitterでも指摘されたけれども、福島の原発問題と、沖縄の在日米軍基地問題というのは、ある種の過疎問題というか、僻地や前線を機能的に選んだ結果、なし崩しに決まってし

    日本の我慢と過疎問題 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない

    岩手県釜石市では、市内の小中学生、ほぼ全員が津波の難を逃れた。多くの人たちは、これを「奇跡」と呼ぶ。しかし、そうではない。教育で子どもたちが身につけた対応力が「想定外」を乗り越えさせた。★英訳版はこちら ⇒ http://p.tl/UDIF 死者の声に耳を傾ける 最初にある少女のことを書かせていただきたい。私は、岩手県釜石市の小中学校で先生方とともに防災教育に携わって8年になる。「どんな津波が襲ってきてもできることがある。それは逃げることだ」と教えてきた。特に中学生には「君たちは守られる側ではなく、守る側だ。自分より弱い立場にある小学生や高齢者を連れて逃げるんだ」と話していた。今回の震災では、多くの中学生が教えを実践してくれた。 ある少女とは、私が教えた中学生の一人だ。彼女は、自宅で地震に遭遇した。地震の第一波をやり過ごした後、急いで自宅の裏に住む高齢者の家に向かった。そのおばあさんを連れ

    小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない
  • asahi.com(朝日新聞社):体育館に段ボール教室 仙台の小学校 - 社会

    体育館を段ボールで間仕切りした教室で授業を受ける児童たち=18日午前8時56分、仙台市太白区、金川雄策撮影  仙台市太白区の市立西多賀小学校では、地震で一部の教室の壁が崩れたため、体育館を段ボールで間仕切りし、教室を作った。5、6年生6クラスの約200人がここで授業を受けている。  18日、手前の5年3組では転校生が紹介されていた。仮設校舎ができるまで、半年程度ここで学ぶ。

  • 「段ボールの“教室”がお目見え 被災地の新学期」:イザ!

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    naturlaut1
    naturlaut1 2011/04/19
    同じ教授の初出はこれ→ http://goo.gl/0931b 慶長地震の前に宿場町はあったそうだから、「たまたま津波被害を受けなかった街道が残った」わけではなさそう。補足。
  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

    naturlaut1
    naturlaut1 2011/04/19
    同じ教授の初出はこれ→ http://goo.gl/0931b 慶長地震の前に宿場町はあったそうだから、「たまたま津波被害を受けなかった街道が残った」わけではなさそう。補足。
  • 震災7日間

    まだ余震でペン入れ無理でした。6/1追記5/31発売の別冊spoon.で「震災一ヶ月」が収録されました。情報はこちらhttp://www.pixiv.net/member_illust.php?mod

    震災7日間