「午後0時の小説ラジオ」・「教育の偶発性について」1・「まるごと(whole)と全体(total)」を区別することの意味について鶴見俊輔さんが書いた文章を引用することから始めてみたい。 「教育の偶発性」とは、「まちがい」によって進む教育であるともいえる。鶴見俊輔はこのように結論づけている。「正しいことの上に正しいことをつみかさねることによっては、わずかの正しさを実現することさえむずかしい」と。 高橋源一郎さんの「午前0時の小説ラジオ」・「・「『痛み』としての教育」1・教育者にはどんな「資格」が必要なのだろう。」 続きを読む