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ブックマーク / maga9.jp (5)

  • 第694回:唐沢俊一氏の訃報に、サブカルと孤独死とヘイトと「受援力」などについて考えた。の巻(雨宮処凛)

    ホーム 雨宮処凛がゆく! 第694回:唐沢俊一氏の訃報に、サブカルと孤独死とヘイトと「受援力」などについて考えた。の巻(雨宮処凛) 9月末、唐沢俊一氏が亡くなったことが報じられた。享年66。 2000年代に放送されたバラエティー番組「トリビアの泉」のスーパーバイザーをつとめ、「トンデモ」などを品評する「と学会」などの仕事で注目された「雑学王」。 90年代にサブカル女だった私にとっては代表的な「サブカル文化人」だったが、特に追ってはいなかった。「鬼畜系」にどっぷりハマっていた私にとっては馴染みの薄い存在だったのだ。 が、「トンデモ」などを品評する際の冷笑・嘲笑的なスタンスには大いに影響を受けたと今になって思う。そしてそんなスタンスは、現在この国に蔓延する「冷笑系」にも通じるものなのではないかと思ったりする。 そんな唐沢氏の死を告げる言葉の中には、訃報にふさわしくないものが散見された。 例

    第694回:唐沢俊一氏の訃報に、サブカルと孤独死とヘイトと「受援力」などについて考えた。の巻(雨宮処凛)
    navix
    navix 2024/10/09
    “ちなみに今の私は、「困窮したら素直に助けを求めればいい」とわかっている。  しかし、困窮・貧困に至る過程で人は裏切りに遭い、他人や社会への信頼を根こそぎ奪われることが少なくない”
  • 第503回:木内みどりさんの訃報。の巻(雨宮処凛)

    木内みどりさんが亡くなった。 11月21日、唐突に報じられた。亡くなったのは18日。出張先の広島で、突然の死だったようだ。と書きながらも、まったく実感がない。悪い冗談のようにしか思えない。 だって、私の知る木内さんはいつも元気でパワフルで明るくてオシャレで、エネルギーに満ちた人だから。 今年の夏の参院選では、れいわ新選組の街宣の司会をいつもやっていて、連日のようにご一緒した。街宣は、毎度のように直前にタイムテーブルが突然変わって、木内さんも私も目を白黒させる日々だった。だけど木内さんはそんなドタバタも楽しんでいる様子で、余裕で現場を回していた。かたや舩後靖彦さんサポートチームの一員だった私は、応援演説に来てくれる車椅子や人工呼吸器の方々の登壇時間が直前に変わることに、いつも舞台裏で一人パニックになっていて、時々そのパニックに木内さんを巻き込んだ。 そんな木内さんと初めて会ったのは、3・11

    第503回:木内みどりさんの訃報。の巻(雨宮処凛)
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    navix 2019/11/30
  • 第72回:「放射能デマ撲滅」の伝道師が実はデマゴーグ? 日本社会が進むべき道(想田和弘)

    早野龍五・東大名誉教授らによる論文に、深刻なデータ不正提供疑惑と「重大な計算ミス」が発覚した。その詳細については、牧野淳一郎・神戸大教授がわかりやすく解説しているので、ぜひとも読んでほしい。 早野氏はかつてBuzzFeedのインタビューに、「僕はデータを語って『大丈夫』だと言っているのであって、思想を語っているわけじゃないんです」と述べた。 しかしそのデータが間違っていたのでは、お話にならない。 不可解なのは、「思想ではなくデータで語る」という早野氏が、牧野氏や黒川眞一・高エネルギー加速器研究機構名誉教授などによる物理学上の疑義に対して、答えようとしないことである。黒川氏がレター論文で指摘した10箇所近い間違いについて完全にスルーしているのも、実に不自然。間違いでないなら得意のデータで反論すればいいし、単なるミスなら訂正すればよい。なのにそれをしない。なぜ? 私見では、ここまで「間違い方」

    第72回:「放射能デマ撲滅」の伝道師が実はデマゴーグ? 日本社会が進むべき道(想田和弘)
  • 第125回:「野党ねじれ」が深刻化する前に(南部義典) | マガジン9

    憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。「日の立憲政治は、崩壊の危機にある!」そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。

    第125回:「野党ねじれ」が深刻化する前に(南部義典) | マガジン9
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    navix 2018/01/14
    「疑惑追及に応じ「丁寧な説明を心がける」と繰り返し述べているわけですが、客観的な日数だけみても36.6%」「他の総理が、60~70%くらい」「安倍総理の数値は異様に低い」
  • 第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎) | マガジン9

    ニュース番組にかかわるようになって20年以上、私の心のなかには、もやもやした疑問がずっとつきまとってきた。それは日航空123便の墜落原因だ。1985年8月12日18時12分に、大阪に向けて羽田空港を飛び立った日航123便は、同日18時56分に御巣鷹の尾根に墜落した。乗客乗員524人中、520人が死亡するという、一機では、世界最大の航空機事故となった。 事故の原因は、その後の運輸省の調査で、機体後部の圧力隔壁が破損し、そのときの圧力で尾翼の一部が吹き飛んで、油圧装置も破壊され、そのことで機体のコントロールが不可能になったことだとされた。機体は、過去に伊丹空港で尻もち事故を起こしており、そのときに破損した圧力隔壁をボーイング社が修理した際、十分な強度を持たない方法で行ったため、それが破損につながったとされたのだ。いまでも、この公式見解は一切変更されていない。 しかし、この事故原因に関しては、

    第76回:日航123便はなぜ墜落したのか(森永卓郎) | マガジン9
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    navix 2017/09/01
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