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ブックマーク / yanoz.hatenadiary.org (2)

  • 『動ポモ』再読(3)―スノビズム=シニシズムという短絡 - 白鳥のめがね

    東浩紀の『動物化するポストモダン』(『動ポモ』と略しています)を読み返すシリーズの続きです。 いままでのまとめと今回の論旨 第一回で私は、コジェーヴの日的スノビズム論には「特攻も歴史的意味を持たない形式的な自殺の一例である」という主張があり、日的スノビズムの頂点を武家的な教養である能や茶道のうちに見ているのに対し、東浩紀は特攻への言及を無視した上でその議論を「切腹」と「江戸の町民文化」に「代表」させることで、スノビズム論を日社会の歴史の一部にしかあてはまらないよう「局所化」し「無害化」し、オタク文化論に短絡させている、と論じておいた。 東浩紀は、コジェーヴの議論の都合の良いところだけを摘み取って、ad hocな議論をしている。コジェーヴには一貫した歴史哲学があるが、東浩紀には場当たり的な歴史判断しかない。 『動物ポモ』再読(1)―Kojeve/Yiyeasu/Snobisme -

    『動ポモ』再読(3)―スノビズム=シニシズムという短絡 - 白鳥のめがね
  • 『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね

    ※件のを冷静に読みたい方は、まず(↓)をお読みください(5月27日追記)。 『ゼロ年代の想像力』を読み直すためのレッスン+++ - 白鳥のめがね このから学べることは、こんなパフォーマンスに需要があると思われるほど文化的状況は貧しいことになってしまっているということではないだろうか。まずそれを直視しておきたい。 ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る 文化的状況の貧しさに徒手空拳で立ち向かう著者の努力とある種の真摯さには一定の敬意を払わなければならないだろうが、だからこそ、批判的な検討をもってエールとしたい*1。 以下、このの特徴の幾つかについて触れ、まず、あくまで著者自身が要請している倫理と論理を徹底することによって、この

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね
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