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ブックマーク / d4p.world (5)

  • 関東大震災から9年後、虐殺は「平時」にも起きていた | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)

    9月末になっても、岩手にしては珍しく、全身にまとわりつくような湿気が大地を覆い、山道を歩めばすぐに額に汗が噴き出す気候が続いていた。人間の背丈ほどもある雑草を分け入って、そろりそろりと山肌の急斜面を下っていくと、うっそうと茂る草木の合間からトンネルの入り口がのぞく。辺りは日中とは思えないほど薄暗い。飯森トンネルーー岩手と宮城の県境にまたがり、旧国鉄の大船渡線敷設工事の中でも、岩盤や水脈に阻まれ、最も難所と言われた場所だ。 このトンネルがある陸前高田市矢作町出身の伊藤郁夫さん(75)がぽつりと語った。 「過酷な現場となったこのあたりのトンネルでは、朝鮮人を“人柱”にしていたとも言いますね。あの頃の朝鮮の人たちは“人扱い”ではなかったと聞いています」 この“人柱”の話は、伊藤さんに限らず、度々この地域で語られることだ。 大船渡線敷設工事中に起きた「矢作事件」 1923年、関東大震災の発災後、「

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    nekoana
    nekoana 2024/10/10
  • 戦後日本はどのような「人権」を育んできたのか?――「意識が変わらない限り社会は変わらない」(ヒューライツ大阪 三輪敦子さんインタビュー) | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)

    「人権」――この言葉を耳にしたことがない人は少ないかもしれませんが、では人権とはどういったものなのか、改めて考えてみると簡単ではないと感じられるかもしれません。「人権」という概念の源流は、イギリスの思想家、ジョン・ロックに遡ると考えられています。ロックは、人は誰しもが、生命・自由・財産に対する権利を「自然権」として有しており、どのような権力もその権利を奪うことはできないと説きました。その後「平等権」―「参政権」―「社会権」と、時代を経るごとに様々な権利が保障されるようになっていきますが、当初、その権利の主体は男性や一定の社会的・経済的地位を有する人たちであり、女性や他の社会的マイノリティの「人権」が保障されるようになったのは、まだまだ最近のことです。 1948年、「世界人権宣言」という、基的人権のリストであり、国際的な人権保障にとっての最重要文書が国連で採択されました。その後、「社会権規

    戦後日本はどのような「人権」を育んできたのか?――「意識が変わらない限り社会は変わらない」(ヒューライツ大阪 三輪敦子さんインタビュー) | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)
  • 荻上チキ氏解説「パパゲーノ効果」/Chiki’s Talk_018 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    (荻上チキ)Chiki’s Talk_018_パパゲーノ効果 (画像をクリックすると動画が再生されます。) (荻上チキ)Chiki’s Talk 評論家荻上チキ氏が、様々な社会問題を取り上げ、独自の視点で分析し、分かりやすく解説します。 【今回のテーマ】 パパゲーノ効果 以前解説した「ウェルテル効果」は、安易な自殺報道などにより希死念慮の連鎖が起きてしまうというものでしたが、その反対の概念となるのが「パパゲーノ効果」です。モーツァルトのオペラ『魔笛』に出てくるキャラクター「パパゲーノ」は、大事な人を亡くし自らも命を絶とうしましたが、思いとどまりました。このように、希死念慮を抱えながらも、実際には思いとどまる人も沢山います。そうした自殺以外の選択肢のある社会を築いていくためには、当事者だけではなく、周囲やメディアの役割も重要です。様々な情報が飛び交う現在、その情報を拡散させる意味、役割につい

    荻上チキ氏解説「パパゲーノ効果」/Chiki’s Talk_018 - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    nekoana
    nekoana 2022/08/04
  • 被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)

    頭を圧するほどの強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ8月最初の午後。広島記念平和公園の木々の間からは、耳の中でこだまするほどのセミの声が響いてくる。うだるような暑さの中でも、慰霊碑に手を合わせに来る人の姿が絶えない。いまだ引き取り手のない遺骨、7万柱が供養されている原爆慰霊塔の前に差しかかったとき、日傘を差しながらゆっくりと歩いていた李鐘根(イ・ジョングン)さんが、噛みしめるように語った。「あの混乱の中で、姉を探しに行くことさえできなかったんです。だからここを訪れる度、姉の名を呼ぶんですよ」。1945年8月6日、陸軍の被服支廠(ししょう)で働いていた鐘根さんの姉は、今も行方がつかめないままだ。 鐘根さんは16歳の時、当時勤めていた広島鉄道局に出勤途中、爆心地から約1.8キロの場所で被爆した。その体験を人前で証言し始めたのは、2012年、80歳を超えてからだった。「自分の体の火傷にね、ウジがわくん

    被爆と出自、70年近く隠し続けた。今なぜ、自身の名で被爆体験を語るのか。 | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)
    nekoana
    nekoana 2021/08/06
  • “内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択するべきか ―相模原障害者施設殺傷事件、判決を前に - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People

    神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害し、殺人などの罪に問われた植松聖被告(30)の裁判員裁判が1月8日に始まりました。公判は16回、既に結審し、判決は3月16日に言い渡される予定です。植松聖被告が繰り返す「障害者なんていなくなればいい」という発言は、日社会に様々な波紋を広げてきました。被害者のほとんどが匿名で審議されていることを含め、この事件が社会に投げかけたものは何か。脳性まひの障害を持ち、障害者と社会のかかわりについて研究を重ねてきた、東京大学先端科学技術センター准教授、熊谷晋一郎さんと考えます。 他者が発信しているメッセージを、どのくらい拾ってきたか 安田:まずこの事件を最初に報道で知った時、熊谷さん自身はどう受け止めたのでしょうか? 熊谷:報道で知った直後は、自分の感情を自覚できなかったのですが、そのあと数日間、体調不良が続いていました。身体が重いよ

    “内なる優生思想”に気づいたとき、私たちは何を選択するべきか ―相模原障害者施設殺傷事件、判決を前に - Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)Dialogue for People
    nekoana
    nekoana 2021/07/26
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