9月末になっても、岩手にしては珍しく、全身にまとわりつくような湿気が大地を覆い、山道を歩めばすぐに額に汗が噴き出す気候が続いていた。人間の背丈ほどもある雑草を分け入って、そろりそろりと山肌の急斜面を下っていくと、うっそうと茂る草木の合間からトンネルの入り口がのぞく。辺りは日中とは思えないほど薄暗い。飯森トンネルーー岩手と宮城の県境にまたがり、旧国鉄の大船渡線敷設工事の中でも、岩盤や水脈に阻まれ、最も難所と言われた場所だ。 このトンネルがある陸前高田市矢作町出身の伊藤郁夫さん(75)がぽつりと語った。 「過酷な現場となったこのあたりのトンネルでは、朝鮮人を“人柱”にしていたとも言いますね。あの頃の朝鮮の人たちは“人扱い”ではなかったと聞いています」 この“人柱”の話は、伊藤さんに限らず、度々この地域で語られることだ。 大船渡線敷設工事中に起きた「矢作事件」 1923年、関東大震災の発災後、「