かみつき@映画って楽しいよ。 @Kamitukit 自分が持つ先生観を明確にするために始めました。高校社会。20代後半 映画かなり好きです。映画を映画館でみよう! かみつき@映画って楽しいよ。 @Kamitukit 日本史Aで最後にやりたい授業のテーマが決まった。 「第二次世界大戦を起こさないためにタイムスリップできるとしたら、いつ、どこに行き、どんな行動をしますか?」 これだ。
高校・大学入試で問われる歴史用語が細かすぎるとの指摘が教員団体から挙がっている問題で、歴史教科書の執筆担当者らでつくる「歴史教科書執筆研究会」は20日、歴史的最重要人物を除いて原則イニシャル化する案を発表した。人名を極力省くことで文章の理解を妨げることなく、歴史の大きな流れがつかめるようになるという。 高校、大学の教員団体が今月、約3500語ある教科書の歴史用語を半分程度に減らすべきだとする提言案をまとめたことを受け、執筆研究会は20日、検討会を開催した。 入試で細かい用語が出題されている点について、参加者のほとんどが「改善すべきだ」と認める一方、用語の大幅削減については「本文の書き直しが面倒くさい」として慎重意見が大半を占めた。 検討の結果、教員団体が削除を提言した「坂本龍馬」や「大岡忠相」など、実際の歴史において重要な役割を果たしたとは言えない人名について、中学生向け教科書では原則的に
ケニアのトゥルカナ湖近くのナタルクで発掘された頭蓋骨の一つ。男性のもので複数の損傷の跡がみられる(2016年1月19日提供)。(c)AFP/NATURE/"MARTA MIRAZON LAHR/FABIO LAHR" 【1月21日 AFP】約1万年前、男性と女性と子どもの小集団が別のグループに捕えられ、縄で縛られた揚げ句に、矢で射られたりこん棒で殴られたりして殺された──。沼に投げ込まれた彼らの遺体は、数千年間、堆積物の中で保存されていた。 これらの遺体を、知られている中で最古の人間の「集団虐殺」の証拠として提示した研究結果が20日、発表された。なぜ人間は戦争をするのかをめぐる議論を再燃させる結果だという。 集団虐殺が起きたのは、有史以前の人間の祖先が狩猟採集民として暮らしていた時代の末期だ。この後間もなく農業革命が起き、初期人類は土地を耕すために定住するようになった。 ケニアのトゥルカナ
「科学的知識は万人によって共有されるべきもの」とトップに掲げるそのWebサイトには、北里柴三郎、志賀潔、寺田寅彦、本居宣長、九鬼周造といった日本の科学者・哲学者・偉人や、アルベルト・アインシュタイン、ルイ・パスツール、マックス・プランク、ヴィルヘルム・オストヴァルトなど海外の著名な科学者たちの著作がPDF形式で公開されている。いずれも著作権者の許諾を得て掲載しているという。 その数、500冊以上。PDFは、本をそのまま画像で取り込んだものではなく、組版(くみはん)用のマークアップ言語「TeX」で1冊1冊組版したものだ。実際にPDFを見てみると、丁寧に組版されており、昔の著作でも読みやすい。文章のコピーもできるため、単語の検索も容易に感じた。 一体誰が作ったのか。Webサイトには本人のプロフィールらしきものもない。Webサイト内にあったメールフォームから連絡を取ったところ、返信があった。なん
穀田恵二・衆院議員(右)の共産党国対委員長在任20年を祝う会に集まった(左から)二階俊博・自民党幹事長、河野洋平・元衆院議長ら=京都市中京区で2017年7月30日、三村政司撮影 国対委員長在任20周年記念、与野党の重鎮300人ズラリ 共産党の穀田恵二国対委員長は30日、委員長在任20周年を記念する祝賀会を京都市内のホテルで開いた。大島理森衆院議長や自民党の二階俊博幹事長、民進党の横路孝弘元衆院議長をはじめ、与野党の国対委員長経験者ら約300人が出席。共産党の集まりに与野党の重鎮が名を連ねるのは異例で、野党第1党の民進党が低迷する中、国政選挙や東京都議選で躍進が続く共産党の存在感が際立つ形となった。 穀田氏はあいさつで「採決強行は議会制民主主義の土台を崩し、劣化を招く」と与党の国会運営に注文。大島氏は「公正中立に物事を判断する時、自民党寄りかなと思えば、穀田氏が何と言うかを考えて判断する」と
『風雲児たち』という歴史マンガでお馴染みのマンガ家・みなもと太郎さんは、1947年生まれだから団塊世代のど真ん中だ。物心ついた頃からマンガを読み、ひらがなは全部マンガで覚えたという。当時は物資が不足している時代で、当然マンガも少なかったけど、そういう中でみなもとさんは貪るようにマンガを探し、読み続けていたという。 それが、小学校に上がったり中学校に上がったりする頃になると、状況が変わってくる。一つは、高度経済成長で日本が豊かになり、それまで以上にマンガが読みやすくなったこと。もう一つは、団塊の世代がとにかく人が多かったので、その層を狙ったマンガ単行本や雑誌が次々と刊行されたこと。みなもとさんたちが小学生の頃に少年月刊誌が創刊され、中学に入ると少年週刊誌が創刊され、大人になると劇画青年誌が創刊された。つまり、マンガというエンタメ産業あるいは文化の成長は、団塊の世代の成長とともにあったのだ。
富永恭次陸軍中将フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。 菅原道大陸軍中将陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。 敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。 倉澤清忠陸軍少佐菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日 「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。 戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。 玉井浅一海軍大佐フィリピンで特攻隊
歴史上の民族としての「ケルト」と、近代に作り出された「ケルト的なもの」の間には、深い溝がある。多くの人が持っているイメージは商業的な、そして近代のナショナリズムが生み出した「ケルト的な」幻想に過ぎない。 ――という話はわりと昔から言われていたのだが、最近の研究を久し振りに読み返してみたら、まさかの展開になっていた。 「そもそも島のケルトはケルトじゃない」 「中世以降のケルトは自称してるだけだった」 なんとアイルランドもウェールズも「ケルトを自称する別の何か」でケルト人の子孫じゃなかったのだ。 ******************************** 【旧来説】 ・ケルト人はローマに大陸から追い払われて島の片隅にしか残らなかった ・ケルト人が移住していったから製鉄技術が広まった ・「島のケルト」と「大陸のケルト」は少し違うものとして扱われる このあたりは知ってる人も多いだろうし、いま
1830年の江戸時代にあった鎖国中の日本・徳島県牟岐浦に異国船が漂着していたことを示す水彩画についてアマチュア歴史家が調査した結果、漂着した船はオーストラリアで船を拿捕して逃走していた海賊だったことが判明しました。 Australian convict pirates in Japan: evidence of 1830 voyage unearthed | Australia news | The Guardian https://www.theguardian.com/australia-news/2017/may/28/australian-convict-pirates-in-japan-evidence-of-1830-voyage-unearthed 日本で英語教師として働くニック・ラッセルさんは、アマチュアの歴史家でもあり、2014年に徳島県立文書館のウェブサイトでイギリス国
今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに本当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、 戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、 本当に熱心に動いてくれたらし
全39巻に及ぶ旧約聖書の2巻目にあたる、「出エジプト記」。 旧約聖書の中でもひときわストーリー性に富んでおり、「モーゼが海を割った」や「神様から十戒を授けられた」といった、よく知られたエピソードが登場する書物であります。 出エジプトのあらましこの出エジプト記で語られているのは、いわゆるイスラエル人の集団脱走です。 時のファラオに迫害されたかわいそうなイスラエル人たちが、偉大な預言者モーゼに率いられ、約束の地へ移動していくという筋書き。 ものすごく端折ってあらすじを書くと次のような感じ。 詳しいストーリーは、ビジネスホテルに泊まった際にでも旧約聖書を読んでみてください。物語調で、わりと読みやすいですよ。 民を率いた預言者モーゼ。統率力◎。 で、よく議論になるのは、この「出エジプト」は史実かどうかという点です。 もちろん、旧約聖書に書いてあることが全て事実というのは考えにくい。その内容には史実
旧約聖書の原文にある「msrym」という単語。 これは、一般的には「エジプト」を意味する単語とされていますが、どうも怪しいというのが前回の内容でした。 B.C.3世紀に旧約聖書はヘブライ語からギリシャ語に翻訳されたわけですが、それより古い時代に「エジプトをミツライムと呼んだ事例」は一つも見つかっていません。 この時点で、七十人訳聖書が「msrym」を「エジプト」と翻訳したことに、何の根拠もないことがわかります。 そして、さらに調べてみると、「msrym=エジプト」ではどうも違和感のあることがいくつも見つかるのです。 今回は、その違和感について。 エジプトの象徴エジプトと言えばピラミッド 高さ147m アレクサンダー大王やヘロドトス、ナポレオンなど、多くの軍人や歴史家がこれまでエジプトを訪れましたが、彼らはエジプトについて思い起こす時、必ずピラミッドについて触れてきました。 特にギザの大ピラ
なぜイスラム教団は短期間で領土を拡大できたのか? 預言者ムハンマドから正統カリフ時代を経てウマイヤ朝が成立する過程で、 イスラム帝国は爆発的に拡大し、西はリビア砂漠から東はペルシア高原まで征服してしまった。その後ウマイヤ朝の元でさらに拡大し、イベリア半島やインダス川まで支配してしまいます。 なぜここまで急速に拡大したのかの理由は、ムスリムに言わせれば「正しい教えに人々が開眼したから」ということになります。 また、通常の説明だと「これまでの部族社会ではなく、宗教という新たな秩序を創造したから」というのが一般的であります。 ですが歴史学者の後藤明氏によると、「単純に人々が安全保障を求めたから」というのが主な理由だそうです。 個人的にこの説は非常に納得したので、今回要約してご紹介させていただきます。 記事三行要約 ムハンマドは自分に降伏した者は全てムスリムであるとみなした だが多くの人は自分がム
ムハンマド、あまりに人間らしさにあふれているではないか。といえば、不謹慎になるのだろうか。抜群に面白い伝記であった。イスラームの開祖、より正しくは、アラブにおける唯一神アッラーの言葉をつたえた預言者ムハンマドの伝記である。その啓示は、クルアーン(コーラン)としてムハンマドの死後20年たって公式に編纂され、聖典となった。いかにたくさんの人が、クルアーンの朗読に圧倒されてイスラームに改宗していったかに驚かされる。 クルアーンの内容の一部が紹介されているが、どこがそんなにすばらしいのかがわからない。当時のアラビア半島における社会状況もあるのだろうが、どうやら、それ以上にクルアーンの美しい響きが重要らしい。だから、クルアーンはアラビア語でないとダメなのだ。YouTubeで聞いてみると、意味がわからなくとも心地よい。砂漠のような環境で、美しい調べにのって語られる、住みよい社会を目指す教えというのは、
のっけから著者に反論申し上げたいことがある。出口さんは「まえがき」で、「積み重ねられた歴史を学んで初めて、僕たちは立派な時代をつくれるのではないか」という。つまり本書は良き未来を創りあげるという目的のために、テキストとして読むことができると言っているように聞こえるのだ。 たしかに歴史から学ぶべきこと、いや本書から学べることはあまりにも多い。それは歴史だけでなく、生き様や人間関係、組織経営に至るまで、読んでいて気付かされることが多いのに驚くばかりだ。 しかし、本書は時代をつくるという崇高な目的のためだけのものではないように思われるのだ。いやそれ以上に、純粋に読む愉悦に浸ることができる本だと断言できる。これからの時代を考えることはひとまず脇に置いて、早く次のページを開きたいと思わせる本。本書は高度に知的なエンターテインメントでもあるのだ。 本書を読むときのイメージは「人類5000年史」という名
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