1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市)の味噌(みそ)製造会社の専務の家が全焼、焼け跡から一家4人の他殺体が見つかり、当時その従業員であった袴田巖に冤罪(えんざい)が着せられた。 本書を読み改めて感じたことは、冤罪事件の性格は各々(おのおの)異なっていても、冤罪のつくり出され方には共通点が多いということである。「自白」のあとに供述に沿って証拠なるものが発見される。まさしく“予断と偏見”によって犯人と思(おぼ)しき人物をつくり出し、長期間の勾留による取り調べで反論の余地なく「自白」を引き出すやり口である。犯人をつくり出す際に標的とされるのは、布川事件の桜井昌司が事件当時「不良」と目され、狭山事件の石川一雄が被差別部落住民であるように、社会的“弱者”が狙い撃ちにされてきた。袴田もまた「ボクサーくずれ」とみなされたことが大きく影響していた。 本書の最大の意義は、事件発生から逮捕、そして「自