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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (31)

  • ハドソンがファミコンに参入するまで(2)::Colorful Pieces of Game

    前回、1983年に任天堂が…というところまで書いたのだけど、ハドソンと任天堂の関係が出来る話に入る前に、もう少しこの当時のハドソンについて話をしておきたい。 というのも、ツイッターで、どうしてハドソンがシャープと仲がよかったのか、どうしてX1を使っていたのか、当時どんな会社だったのかみたいなことを聞かれて気がついたのだけど、結局当時のことを、今の人が知るわけもない。そしてこの話は、当時のパソコン市場や、ゲーム市場、さらに開発環境などがどんなものだったのかをわかってもらわないと、うまく繋がらない。 というわけで、ハドソンや当時のことについて、今回もう少し書いていきたい。 以下文。 と書いたところで、のっけからハドソンじゃなくて任天堂の話。 まずこれを分かっていないと、話にならない。 当時、つまり1983年ごろの任天堂のイメージは今の任天堂のイメージとは全くの別物だ。 例えば僕より数歳上にな

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    nezuku 2024/03/10
  • どうしてMS-DOSでCP/Mのツールが動いたの? | Colorful Pieces of Game

    まず最初に書いておくと、当時はサードパーティの概念自体がまともになく、もちろん言うまでもなく任天堂さんの用意した開発環境だのデバッガだのなんてものは存在しない。 ではどのようにして開発したのか? ハドソンの場合には中さん・岡田さんを中心に(たぶん、プラスして結構野沢さん)、自分たちで勝手にファミコンの開発環境を最初に作ったのだ。 これが1983年の秋ごろ。くしくもナムコさんも同じ時期に解析して開発していたらしい。 どんな環境だったのか? 下の図のように、岡田さんが設計したROMシミュレータをファミコンに挿して、それにPCからバイナリをダウンロードする形になっていた。 実際の開発は PC上でファミコンROMシミュレータで動作するバイナリを生成する。PCからROMシミュレータにプログラムをダウンロードする。PC側からROMシミュレータの上にあるプログラムを起動して、ファミコンの上でゲームを走

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    nezuku 2024/02/28
  • FFIVとSFC | Colorful Pieces of Game

    五月雨式に要素の話は書いていたけれど、続けて編を書いていなかったのには理由がある。 マジメに書くのが馬鹿らしくなっていたからだ。ま、残しているが、ブログについたあるコメントが、あまりに失礼で、スタッフまで馬鹿にするような、何も知らない人間の不愉快極まりないコメントをつけられて、こんな馬鹿らしい思いをして書く必要はないと思ったので、書く気が失せてしまったのだ(今、読んでも失礼で気分が悪くなったのでポイントしない)。 だけど「お前が書かないと残らない」とか「書け」とか、当時のスタッフやら友達に言われまくったので、ま、出来るだけ最後まで続けて書いていくつもりである。なお、自分の記憶で自信がないところがかなりあるので、クボキュウ・松田君・山根・その他、あんときiv書きながら「ゼルダ最高だあ!」って1日SFCゼルダやってた、某蛯名まで、とっつかまえて、クロスチェックして書いてくつもりである。 と、

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    nezuku 2023/10/21
    “『画面モードは画面途中で変更してはならない』” ローンチソフトのマリオワールドもF-ZEROもパイロットウイングスも用いているのですよね… SFCは最後発だが最強ではなく、PCEが出た時代に対し高性能というか
  • OCRは「マリオプラザーズ」の夢を見る | Colorful Pieces of Game

    『ちょっとは正しいゲーム歴史』…というか、ともかく「ゲーム歴史」を批判するシリーズで困らされたのがOCRだった。 Kindleからテキストで全部コピー出来ればいいのだけど、Kindleは出版社それぞれがコピーできる量を規制していて(当たり前だ)、それを超える量はコピーのしようがない。 そしていうまでもなく、ゲーム歴史批判シリーズは、死ぬほど引用するので、当然のことながら出版社の制限を超えることになる。 なお、この膨大な引用を「これはいいのか?」と言っていた人がいたらしいが、全く問題ない。 引用は認められた権利で、引用した内容ではなく、それを引用する意味があった文があれば、なんの問題もない。 そうじゃないと「引用して批判する」ことが出来ないことになってしまうでしょ? といって、画像引用にすると縦書きになってしまい、ウェブでは読みづらい事、この上ないので以下の方法でテキスト化した。

  • バイオハザード(2) | Colorful Pieces of Game

    ■1991年 “Alone In The Dark”の登場 キングスクエストスタイルが完成して長い年月が経ち、アメリカではすでに主流のひとつとなり、アドベンチャに第三者視点が普及した状態になり、さらにパソコンでは3Dポリゴンでなんとかゲームを作ることが可能なレベルに達した1991年。 アドベンチャ界に、バイオハザードに決定的な影響を与えた作品が発売された。 それが『アローン・イン・ザ・ダーク』(1991/Infogrames。以下、アローン1)だ。 アローン1は、ホラーアドベンチャーゲームRPGに分類されることもある)で、ホラーであることをフルに感じさせるために、常に映画のような「カット割りされた視点」から画面を眺める三人称視点のゲームだ。 つまりアローン1は『キングスクエスト』側のアプローチを行ったアドベンチャゲームなわけだ。 さて、アローンの特徴の一つは3Dポリゴンを使ったアドベンチ

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    nezuku 2023/03/27
    プリレンダリングの背景と3Dモデルのキャラクターによる演出重視のカメラアングル、アングルが変わっても前後左右移動の操作が変わらないラジコン操作辺りがアローンインザダークのエポックメイキングなところか
  • 書籍「ゲームの歴史」について(1) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史の両氏による『ゲーム歴史』の1、2、3の中で、ゲーム歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当のは、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 また、これは史観なのだから実際の歴史から離れていてもいいという主張もあるかもしれないが、それは前書きの段階で無理があると言わざるを得ない。 書は、ゲーム歴史について書いた

  • 電撃プレイステーションD物語(1) | Colorful Pieces of Game

    考えてみれば「電撃プレイステーションD」および「電撃PS2」のコードを書いていたのは自分だけで、ほとんどの人間はなぜあれが創刊されたのかも知らないと思うので、ちょっとメモ書きがてらに、創刊から電撃PS2になったあたり、そして2006年の最終号あたりのエピソードまでをシリーズとして残しておきたい。 まず対象となっている電撃プレイステーションDについて。 電撃プレイステーションDは、「電撃プレイステーション」の別冊として1997年1月に創刊され、2008年の2月に休刊した、一時流行したディスク付き雑誌だ。 ディスクの中身はゲームの体験版・ムービー、さらにセーブデータ倉庫や独自ゲームや独自企画などまあいろいろなものを企画としてやっていた。 今なら全部ネットからダウンロード可能だけど、創刊された1997年当時はまだ高速なインターネット接続や、さらにCDROMの容量を楽に保存できるハードディスクなど

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    nezuku 2023/01/22
    体験版という形式ができる製造コスト、容量であるのも強みだったよね / いつしかの号に収録のあったパネキットをふれてソフト買った覚えが少々
  • イースⅠ・Ⅱ、オープニングの開発過程 | Colorful Pieces of Game

    手持ちで残っている開発途中のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) 正確には1枚を除いてディスクには日付が書かれているのだけど、それは「ハドソンに到着した」ということで、当時スタンパのテープを出してから1週間以上かかっていた記憶があるので、ディスクの日付と内容から察するに「ここらへんのバージョンだろう」ってことだ。 これらは全部リッピングしてデータの形にしてあるのだけど、なんてこともなくこのオープニングの中身を調べたところ、かなり中身が違ったのでtwitterに動画を上げて見られるようにしたのだけど、映像資料として残しておくという点では検索性が低いなと思ったので、全部yo

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    nezuku 2021/09/24
  • 『だって「?」って描いてあれば、みんな叩くじゃないですか』::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    nezuku 2021/06/03
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(3)::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    nezuku 2021/05/25
  • 「助けてハドソン!」とマイク入力 | Colorful Pieces of Game

    そういえばハドソン伝説FC編読了したけど、マイク入力が逆転してても検知できるメソッド誰が思いついたのか、の疑問は掘られてなかったのう。時期的に竹部氏か菊田氏ということになるんだろうけど、ファミリーベーシックV3持ってねえから解析できねえのが痛い。 — ねずみのティム@目​指​せ​付​加​価​値​税​2​5​% (@Tim_SOURIS) February 6, 2021 で、これについて「ああそういえば」と思って、確認したところ答えがわかったので、ちょっと記事にしておきたい。 まずファミコンマイク反転問題について解説したい。 ファミコンの2コンのマイクはそもそも1ビットしか入力を持っておらずon/offの判定しかできない。 だから「助けてハドソーン!」と叫ぼうが、それともマイクを爪でこすろうが、ファミコンにとっては全く同じだ。 同じ理由で『たけしの挑戦状』で「ぽっぽっぽー♪」と一生懸命歌っ

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    nezuku 2021/03/07
  • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

    『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

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    nezuku 2021/02/17
  • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

    『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

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    nezuku 2021/02/06
    ジョイカードmkIIの基板から起こした回路図を見るとNOTゲート/インバータを用いた非シンクロ式連射機のようで、個体によって連射速度のばらつき出るのは想像つく。シンクロ式であっても「16連射」は設計難しそうだし。
  • PCエンジンCDROMと物品税 | Colorful Pieces of Game

    1988年の12月4日はPCエンジンCDROMの発売日だった。 さて。 PCエンジンCDROMは、PCエンジン体、インターフェースユニット、CDROMの3つの部品として発売された。 当時は物品税と呼ばれる贅沢品にかかる税金があり、CDプレイヤーにはかかることになっていた。 だからインターフェースユニットとドライブを同梱すると、インターフェースユニットまで物品税がかかってしまうので、別売された。それぞれの値段は インターフェースユニット→27,000円CDROMドライブ→32,800円PCエンジン体→24,800円 定価ベースでは、なんと84,600円という、超高額ゲームマシンだった。 これが89年4月に物品税が廃止され消費税が導入されることになり、インターフェースユニット+CDROMドライブとしてセットで57,300円で売られるようになる。 ここまでは誰でも…ではないだろうけれど、よく

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    nezuku 2020/12/08
  • ファイアの魔法と橋本さん | Colorful Pieces of Game

    これまたイース通史に書き忘れ、PLUSでも書き忘れてしまった話なので、以下に収録。 何かのチャンスがあったら、どこかに収録したい。 ALUをフル使用しているのはスクロールの方で、合成じゃないですよと教えられたので、以下の計算は「だいたい間違っていた」のでいったん取り消し。間違いなく正しいところだけを残しておく ALUをフルに駆使することによって『ロマンシア』・『イース』・『ソーサリアン』・『イースⅡ』と、約1年の間、技術的なアドバンテージを得て、圧倒的な評価を受けることになる。 ではイースエンジンはいくつのソフトスプライトが表示可能だったのか? 3つだ。 PC88版では動かないキャラはBGを扱うマップチップ側置かれているが、PCエンジン版ではスプライトになっていて、動かせるが動かしていないが正しい。 パレットの都合もあるし、ゲームの状態ではPC88と比較してPCエンジンではVRAMには全く

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    nezuku 2020/11/02
  • さあにんさんの赤入れ | Colorful Pieces of Game

    ファミコン 誕生から37年も“現役” ブランド健在の理由(河村鳴紘) - エキスパート - Yahoo!ニュース 任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が1983年に発売され、7月15日に“37歳の誕生日”を迎えます。中古ゲーム店でもいまだにソフトが取り引きされており、ファミコンソフトのオンラインサー の記事について。編集者の赤字です。 「ファミリーコンピュータ」は、世界で6191万を出荷した家庭用ゲーム機で 単位が合っていません。 ですが20年後の2003年、部品の確保が難しくなり生産を中止、2007年には修理も終えて「ゲームオーバー」になったように見えました。 20年もゲームオーバーになってなかったのか! という驚きの方が多いんですが、どうでしょうか。 また特許権が切れたので、互換機がフリーになりました。なので今でも互換機で昔のカセットを遊ぶことができます。 またゲーム機「

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    nezuku 2020/08/10
  • PCエンジンminiのお手伝いしてました | Colorful Pieces of Game

    30年前あったPCエンジンという8ビットゲームマシンは、僕にとってとても思い出深いハードだ。 なんせこのハードでゲームを作るプロ側に立てるようになったのだから、そりゃあ思い出も深い。 そのPCエンジンがレトロゲームマシンの復刻ブームでミニとして出るという話になり、なんとそれのお手伝いをさせてもらえることになり、スタッフロールに名前が出ることになってしまった。 30年やっていると、こんなボーナスが出ることもあるんだなと思った。 ではなんのお手伝いをしてたのか? あまり具体的な個々の内容に触れないように書くと、30年前のソフトとハードの中身の説明ということになる。特に多かったのは圧縮・メモリの質問とビデオ周りの質問。 実は圧縮は難しくなくて、当時の圧縮はグラフィック側はLZSSを使って、コレはこんな数字を設定してますよって話を伝えたりすれば「なるほど!」でだいたい終わった。 奥村先生が当時のソ

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    nezuku 2020/03/29
  • 『天外Ⅱ』に参加しようと決めたワケ | Colorful Pieces of Game

    『天外Ⅱ』の発売28周年というので、ちょっと記事を書いておこうと思った。 continueでちょっと喋って、下の記事でもちょっと書いた話だけど、詳しく書いたことはほとんどないなあという話。 どうして『天外Ⅱ』の仕事を受けることにしたのか? 大恩人の中さんに頼まれたら、やっぱり断りにくい…というか、断るなんてありえないっしょ。 また、当時は超大作RPGを作るのに憧れてたし、広井さんに「岩崎じゃないとヤダ」と指名を受けたのはもちろん嬉しかったし、かつ桝田さんがスゴく仕事が出来る人だったので一緒に仕事してみたかった。 ここまでは、まあ普通の話だと思うのだけど、あと一つ、とても大きな理由があった。 それは「辻野さんのコンテをちゃんとコンテ通りに動かしたかった」のだ。 どういうわけか、僕はたまたまコンテを読む能力があった。 不思議だけど、あったのだ。 そして、当時、コンテを読めるヤツはハドソンには

  • 30年ぶりに同じ文句を言われたw | Colorful Pieces of Game

    PCエンジンminiのレビューが始まって『イースⅠ・Ⅱ』のレビューがあった。 【PCエンジン mini全タイトルレビュー!】「イースI・II」/「Ys book I&II」 ぶっちゃけた話として、30年前にパソコンユーザーに言われた文句とまるで同じ文句を書かれていて「こんなところまで復刻かよ」と笑ってしまった。 30年前にパソコンユーザーの特にPC-8801MkⅡSR以降版をプレイした人に良く言われた文句を順不同に並べると… イース1のエンディングがない (下と繋がるけど)THE MORNING GROWがない (これは綴り間違いではない。OSTでそうなっているのだ)ダームの塔でレベルが上がる、完璧なバランスを壊してるラストのリリアの扱いが気に入らないサウンドのアレンジ版が気にいらないⅠとⅡを別々にプレイできないイースⅡのボス曲”Protecters”が入ってない声がいらないダルク・ファク

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    nezuku 2020/03/16
  • リングフィットアドベンチャーでコントローラがおかしいときの較正 | Colorful Pieces of Game

    これはリングフィットを遊んでいるうちに、ある種の運動でベストが出にくくなったり、それともうまく出来ないときに、それはあなたのジョイコンのジャイロをリセットすると直るかもしれませんよ、ということを説明するお話。 問題。 自分が気が付いたのはリングフィットアドベンチャーを遊んでいて、腹筋にリングコンを押しつけて左右に身体を傾ける系列の運動で、左の傾きをうまくリングコンが取ってくれなくなって「?」ってなったことだった。 明らかにジョイコンのジャイロがおかしいのだけど、その時はジャイロの故障と思った。なぜなら僕はジョイコンを複数持っていて、他のジョイコンではちゃんと遊べたからだ。 ただジャイロが不調なのか故障なのかを知りたくて、体メニューを眺めていたのだけど、これをうまく知る方法がサッパリない。 困ってイロイロ考えているうちに、はっと気が付いたのがリングフィットのモード選択前にリングコンの状態表

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    nezuku 2020/03/16
    ジャイロの状態チェックが本体設定の入力デバイスの動作チェックに入っていないのはたしかに困る場面化も