秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見に臨み、長女眞子さんの結婚をめぐる影響などを振り返った。眞子さんの複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の原因ともされる誹謗(ひぼう)中傷の問題では、インターネット上の書き込みで自殺者も出ている状況に言及し「深く人を傷つける言葉は許容できるものではありません」と述べた。(阿部博行)
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秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見に臨み、長女眞子さんの結婚をめぐる影響などを振り返った。眞子さんの複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の原因ともされる誹謗(ひぼう)中傷の問題では、インターネット上の書き込みで自殺者も出ている状況に言及し「深く人を傷つける言葉は許容できるものではありません」と述べた。(阿部博行)
<長年にわたって世界各国で数十億円の私費を投じてきた慈善活動。そこには生涯をかけた強い信念と、困窮する人たちへの愛があった> 里子の数152人、投じた私財は数十億円以上──。歌手・俳優として活躍する杉良太郎は、個人として「桁違い」の規模で慈善活動に打ち込んできたことでも知られる。 国内ではデビュー前だった15歳の頃から刑務所や老人ホームへの慰問を始め、法務省特別矯正監や麻薬追放協会会長を務めるなど幅広く活動。その功績から、紫綬褒章や緑綬褒章を受章し、文化功労者にも選ばれた。 一方、国外で活動を始めたのは27歳のとき。アジア諸国やアメリカ、ブラジルなど世界中でチャリティー公演や孤児院・障害者施設への援助を行い、文化交流もしてきた。バングラデシュでは約50の学校の建設、ミャンマーでは孤児数百人の食事の世話や救急車の寄付と、億単位の資金を多くの国で費やしてきた。 なかでもベトナムとは、現在まで深
<長年にわたって世界各国で数十億円の私費を投じてきた慈善活動。そこには生涯をかけた強い信念と、困窮する人たちへの愛があった> 里子の数152人、投じた私財は数十億円以上──。歌手・俳優として活躍する杉良太郎は、個人として「桁違い」の規模で慈善活動に打ち込んできたことでも知られる。 【動画】7歳男児の口内から526本の歯! 国内ではデビュー前だった15歳の頃から刑務所や老人ホームへの慰問を始め、法務省特別矯正監や麻薬追放協会会長を務めるなど幅広く活動。その功績から、紫綬褒章や緑綬褒章を受章し、文化功労者にも選ばれた。 一方、国外で活動を始めたのは27歳のとき。アジア諸国やアメリカ、ブラジルなど世界中でチャリティー公演や孤児院・障害者施設への援助を行い、文化交流もしてきた。バングラデシュでは約50の学校の建設、ミャンマーでは孤児数百人の食事の世話や救急車の寄付と、億単位の資金を多くの国で費やし
いとうせいこう氏は編集者、音楽家、小説家、タレントなどなど、ジャンルを問わず多方面で活躍し、自らそう名乗っていないとしても「マルチクリエイター」という肩書きで呼ばれることの多い人物である。マルチに活動するというと、各ジャンルの知見を広く浅くつまみ食いする飽きっぽい人と言われることもあるが、実際に話を聞くと、彼が人並み以上の求道心を持っていたことがわかってきた。果たして、その道はどんなものなのだろうか? 文責/みんなの介護 「1人1業種」という常識は、実はそんなに古いものではない みんなの介護 いとうさんがいつからマルチな分野で活動することになったのかを調べてみたら…驚くべきことに最初からそうだったんですね。 いとう まぁ、そうかもしれないですね。大学卒業後に出版社に就職して編集者になったのが、世間的な職業を得たときということになるんでしょうけど、学生時代からプロの芸人にまじって営業にも出て
◆◆◆ ――今日はお時間いただきありがとうございます。オリンピックの主役はアスリートではなく観光客だったという指摘にはハッとしました。 マライ こちらこそありがとうございます。私自身はそれほど特別なことを言ったつもりはなかったので、反響に驚いています。ただ東京オリンピックって合計で4兆円くらいかかっていて、いくらなんでもアスリートだけのためにそんな額を出せるわけはないんですよね。だから何かプラスアルファの理由があるはずで、日本の場合はそれが「世界的な観光大国になるためのブースターとしてのオリンピック」なんだろうと自然に思っていました。 観光客が東京で遊んでくれれば… ――そのブースターの中心が、大会期間中に東京を訪れる大勢の観光客だったんですね。 マライ そうですね。私は千代田区や千葉市などのインバウンド政策のお手伝いもしていて、日本の交通機関や飲食店が海外から観光客を迎え入れるために何年
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。社会を見つめるヒントをたくさんくれた、田嶋陽子さんの登場も、今回がラスト。第4回は、これからの未来の日本について、語ります。 男も女も、互いにラクになれる方法を見つけよう。 高度経済成長期、日本経済は右肩上がりでしたが、それは家庭に専業主婦という“無料で家事をしてくれる人”を抱え込むことで、男性が長時間働けた結果のこと。その一面、男は過剰な残業に苦しみ、女は家事を押し付けられて自活できなかった。 現在、日本の経済は残念ながら下降線をたどっており、男だけが働き、男だけがトップにいるという既存の社会構造は、限界が来ています。確かに、出産は女にしかできないことだけれど、あとは男女ではなく人間としての個性の問題。お互いに参画し、お互いの重なり合わない部分を補え合えば、世界は1+1=2ではなく、何層倍も豊かになるはず。女性もフルタイムで働けば、男性
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。最近“わきまえる女”問題が話題になりましたが、今月のゲストは’90年代テレビの中で、わきまえない女として活躍していた、田嶋陽子先生です。第3回は、そんな“わきまえる女”問題について伺いました。 世間からの刷り込みで、女はわきまえてしまう。 小学校6年生、「将来総理大臣になりたい」と書いた私に対し、先生は「道は近し」と返してくれました。ところが中学に入ると、学年1位の成績を取れば「男は試験なんて真面目にやらないから」と、私の真面目な努力を笑って男をかばう先生や、「生理が来たら女は終わり」と、未来の夢を絶つ先生がいた。近所のオバチャンには「陽子ちゃんはいくら勉強ができても、女だからね」と嘆かれたり…。母親に至っては「勉強ができても女らしくしないとお嫁のもらい手がないよ」と。そういった言葉で洗脳され、手足を縛られていく、そんな感じの10代でした
人生の先輩的女性をお招きし、お話を聞く「乙女談義」。今月のゲストは、英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんです。第2回の今日は、ご自身が最初に“理不尽さ”を感じた経験と、そこから得た教訓を伺います。 “世の中は理不尽”、初めてそう思ったのは…。 私が生まれた年の12月に太平洋戦争が始まりました。その後私は新潟の母の実家に疎開。当時は人がいっぱい死んであちこちでお葬式があったから、ある日私は従姉妹と“お葬式ごっこ”をして遊んでいたわけ。祖母の腰巻き…って、当時の女の人にとっての下着をお坊さんの袈裟に見立てて肩から斜めに掛けて、お茶碗をチンチン叩きながら村中を練り歩いた。そうしたら祖母にものすごく怒られて! で、文字通り、手にお灸を据えられたの。私は、悪い子として怒られたんだから…と熱くても我慢していたんだけど、なんと従姉妹はモグサを払いのけて逃げたの。びっくり! でも祖母は「(従姉妹は)すばしっ
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは、ジェンダー問題が課題である今の日本で、再び注目が集まっている、田嶋陽子先生。第1回はフェミニズムについてお聞きしました。 “女”から解き放たれたら、人生はもっと広がる。 大化の改新以降、女性の社会的地位は下がり続け、女の人は、“一人前の人間”として扱われたことはほぼありませんでした。江戸時代までは、極端な言い方ですが、“子産みの道具”。明治になると“良妻賢母”であれと言われたものの、それも妻や母という“役割”であって、“私という人間”の存在が認められたわけではなかった。ずっと役割の中だけで生きさせられてきた女の人たちが、人間として生きる権利を取り戻そうとする動き、それがフェミニズム。女も、男と同じ人間である。たったそれだけ、簡単なことなんです。 女だからこうしろ、女だからそんなことするな。私が若かった頃に比べたら、女らしさ
ほとんどの女性が日常生活のなかで経験していることについて語ったキーラ・ナイトレイの言葉に、多くの賛同が集まっている。(フロントロウ編集部) キーラ・ナイトレイ、女性たちが直面する日常を語る 映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『イミテーション・ゲーム』などで知られるキーラ・ナイトレイは、フェミニストとして声をあげてきた。そんな彼女が、社会に存在する女性差別を意識することになったきっかけは、幼少期の経験にあるという。 「私はとてもスポーツ好きな子供だったけど、サッカー選手とかになるというのは私の選択肢にはなかった。彼ら(大人)の頭の中では、それは男の子たちのためのものだったから。それは、すごく幼い時から私の中で引っかかってる」と、英Harper’s Bazaarのインタビュアーと散歩をしながら振り返ったキーラ。 そんな彼女が、サッカーに熱中する少女たちを描いた『ベッカムに恋して』で
このまま開催に突き進んでいいのか。東京五輪の開幕まで、残り50日を切った。国際オリンピック委員会(IOC)は緊急事態宣言下でも行う方針を示し、大会組織委員会の橋本聖子会長(56)も4日の定例会見で「100%の開催ができるように準備していく」と改めて明言した。新型コロナウイルス禍で多くの国民が不安を抱える中、かねて五輪のあり方に疑問を抱いてきた神戸親和女子大の教授で、ラグビー元日本代表の平尾剛氏(46)が緊急提言。強行開催によって生じる弊害とは――。 ――以前から東京五輪に違和感を覚えていた 平尾氏(以下敬称略) コロナが流行する前の2017年から反対している。社会的に弱い立場にある人たちに負担をかけていることがその理由だ。シンガポールのコンサルタント会社「ブラックタイディングス社」に(東京五輪招致委員会がコンサル業務として)約2億3000万円を振り込んだ件の疑惑があやふやになったままなのも
人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは歌手、俳優の中尾ミエさん。第3回は、その健やかな心と体の秘密に迫ります。 面白そうな扉は、片っ端から全部開きたい! 人生って長くても100年程度。何でもできるように思いますが、実はそんなこともないんです。74歳の私が言うんだから本当よ(笑)。とはいえ、この年になっても、経験してないことはたくさんあるし、出会っていない人のほうが全然多いわけで。私たちの周りには、開けていない“可能性の扉”がまだまだたくさんある。それに手をかけずに人生を終わるなんて、もったいないと思いません? 扉の向こうには、まだ知らない楽しい世界が待っているかもしれない。だから私は、最後の最後まで、それこそばったり倒れるまで、「もっと楽しいことない?」と、扉を開け続けていきたいんです。 アクティブな気持ちを持ち続ける秘訣? それはただ1つ。健康であること。そう
映画TOP 映画ニュース・読みもの 人情紙風船 山下達郎の“人生の一本”とは?「日曜邦画劇場」20周年&1000回記念で「どこが好きかしか言えない」と熱弁! 日本映画専門チャンネルの看板番組として2001年の放送開始から多くの映画ファンに支持されてきた「日曜邦画劇場」。その放送開始20年と1000回目の節目を迎えることを記念し、7月4日(日)に日本映画界を代表する名匠、山中貞雄監督の『人情紙風船』(37)が放送される。それに先駆けて25日、同作を“人生の一本”と公言するシンガーソングライターの山下達郎をスペシャルゲストに招いた収録が都内で行われ、“劇場支配人”であるフジテレビアナウンサーの軽部真一とトークを繰り広げた。 毎週日曜21時から放送されている「日曜邦画劇場」では、映画の感動を“再現”し“共有”することをモットーに、日本映画史に残る名作から劇場公開されてまもない最新作まで話題の邦画
「各国の議会で女性議員が占める割合、日本は世界で166位」 この春、報じられた残念な調査結果を聞きながら考えました。日本の女性が参政権を獲得し、初めて選挙で投票してからことしで75年。当時と今。何が変わり、何が変わっていないのか。75年前に1票を投じた女性たちに話を聞いてみることにしました。(ラジオセンター 瀬古久美子/社会部記者 松田伸子) 「実はあまり覚えていないのよ」 初めての投票はさぞ感慨深かっただろうと思いきや、意外な答えが返ってきました。 もろさわ ようこさん、96歳。 昭和21年4月10日、戦後初の総選挙で投票した女性の1人です。 75年前に投票したということは一番若くても今は95歳。 すでに亡くなったり体調を崩したりしている人が少なくない中、過去の地方紙を検索したところ、もろさわさんのインタビュー記事を見つけました。 肩書きは「女性史研究家」とあります。 連絡をとった私たち
16年にわたる連載がついに完結した、よしながふみさんの『大奥』。江戸城に男女逆転の大奥が生まれた3代将軍・徳川家光の時代から、江戸幕府の終焉まで、史実をモチーフにしながらまったく見たことのない物語が全19巻で繰り広げられた。 ついに完結! 大奥という場所が私たちに見せてくれたこと。 「マンガは難しいメディアで、買っていただかないと続きを描くことができないのですが、3~4巻の時点でここから10年はかかるとわかり、読者の方々に申し訳ないなと思っていました。将軍を女の人がやっても、男の人がやってもうまくいくわけではないというのを長々と描き、苦しんできたことに対するひとつの答えがラストでようやく出るので、辿り着けて本当によかったです」 男女が逆転する構想自体を思いついたのは、マンガ家になる以前。壮大すぎて実現には至っていなかったが、もともと’83年のドラマ『大奥』が好きだったのに加え、’03年にも
歌手・俳優の及川光博が5月12日、「ビゲン 香りのヘアカラー新CM発表会」に登場。デビュー25周年を迎えた及川の過去の写真が公開され、女性のリアルな悩みにも“ミッチー節”で向き合った。 「ハァ~イ! 生ミッチーです! ありがとう」と登場した及川は、同ブランドのアンバサダーを務めることについて「自分が白髪を染めるのかと思ったら、白髪染めをする女性を応援すると聞いて、いつもどおりだなっと」と笑顔。 おなじみの「ビゲン香りのヘアカラー」というキャッチについて「練習せずに歌えました。何パターンも撮ったんですが、いちばんクセのつよいやつが採用されましたね(笑)」と振り返った。 「パフォーマーとして本気出しちゃったな!」という“使い方動画「ミッチーといっしょ」”について、「台本を書いてくれた人が“ベイベー”とか“ファ~ビュラス”とか僕のことを研究してくれたみたいで、本人なのにミッチーのモノマネをしてい
映画TOP 映画ニュース・読みもの シン・エヴァンゲリオン劇場版 「役者人生を終えても、いいと思えた」三石琴乃と山口由里子が振り返る、庵野秀明とミサト、リツコとの25年 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(公開中)でついにフィナーレを迎えた。それぞれの運命と対峙する14歳だけでなく、大人たちの繰り広げるドラマも本シリーズの大きな見どころ。なかでも葛城ミサトと赤木リツコという、信頼で結ばれた2人の友情に胸を熱くした人も多いはずだ。そこでテレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」の放送開始から25年以上にわたって、ミサト、リツコを演じ続けてきた声優の三石琴乃と山口由里子を直撃。 「『エヴァ』の収録現場は戦いのよう」と声を揃えつつ、ミサト&リツコのように支え合い、励まし合って乗り越えてきたという彼女たち。まさに“戦友”となった2人が築いた絆。そしてそばで見て感
鳥取大学医学部附属病院救命救急センター教授の上田敬博(うえだ・たかひろ)が、2年前、あの患者と接した4ヶ月を語る 「どうせ死刑になる」――。全身の9割以上に深刻な火傷を負った男は、自らの命を救った主治医にそう言い放った。36人もの尊い命を奪った、京都アニメーション放火殺人事件の容疑者である。その困難な治療を担った上田敬博(うえだ・たかひろ)は、彼とどう向き合い、何を変えようとしたのか? * * * ■「もし来るとすれば"奴"かな」火災2日後の2019年7月20日、花が供えられた京都アニメーション第1スタジオ。この日、上田は青葉容疑者を近畿大学病院へ搬送している 上田敬博がその事件を知ったのは、2019年7月18日昼のことだった。京都市伏見区の京都アニメーション第1スタジオに侵入した男が、バケツ2杯のガソリンを撒(ま)いて火を点(つ)けたという。 当時、上田は大阪府大阪狭山市にある近畿大学病
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