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ブックマーク / cruel.org (20)

  • Postnote for "Intelectuals as Clowns"

    解説:我一介の滑稽なり (大室幹雄『滑稽』(2001、岩波現代文庫)解説 pp.378-385) 山形浩生 まずは基的な情報から。書は、古代中国を徘徊していた遊説知識人たちについて分析・論述しただ。遊説知識人と言ってわからなければ、孔子とか、孟子とか、荀子とか、あなたのさぼっていたつまらない漢文の授業(いや、最近の「ゆとり教育」と称する衆愚不教育のもとじゃ、もう選択科目にすらなってないのかもね)にでてきた、いろんな「子」のつく名前の人たちのことだと思えばいい。そうでない人もちょっと入っているけれど、まあそれについては中身を読んでくれ。 書はそういうだ。 たぶん、これだけで買い気をそそられる人はあんまりいないだろう。あの「子曰く」とかの世界を思い出すだけで、多くの人は睡魔の猛攻にさらされるからだ。でも、慌てて書を置く前に、もうちょっとだけ話をきいて欲しいのだ。理由は二つある。孔子

    nisemono_san
    nisemono_san 2022/02/15
    今の漫才師が文化人としての役割になりつつあるのは、むしろ「伝統的」であるのかもしれない。
  • White Collars Turn Blue: Japanese

     ホワイトカラー真っ青 White Collars Turn Blue ポール・クルーグマン 山形浩生訳 読者への註。この文は、ニューヨークタイムズ誌の100周年記念特別号のために書かれた。このとき与えられた指示というのは、これがいまからさらに100年後の記念号用の文だと思って、それまでの過去1世紀をふりかえって書いてくれ、というものだった。 過去をふりかえるときには、いろんなことを大目に見るよう心がけないとね。20世紀末の観察者が、来る世紀についてすべてを予言できなかったといって責めるのは、不公平ってもんだ。長期的な社会予測は、今日でもまだ厳密な科学とはいいがたいし、1996年には現代の非線形ソシオエコノミクス創始者たちは、まだ名もない大学院生にすぎなかった。それでもその当時ですら、経済的な変化を駆動する大きな力が一方ではデジタル技術の絶え間ない進歩で、一方ではそれまでの後進国へ経済発

  • Pynchon goes to Tokyo

    トマス・ピンチョンが東京にきて真っ先にしたのは、まず国電山手線に乗って五周ばかりぐるぐると、まずは内回りに、それから外回りに乗ることだったという。もちろん、その話を聞いたときには、これがまさかあのトマス・ピンチョンだとは知らなかったもんでで「まあ何と物好きな毛唐かしら」と思っただけだったけれど、考えてみればピンチョンであっても相当な物好きにはちがいないな。とはいえ、これはどこへ行ってもとりあえず路電やバスの終点まで乗ってみるというぼくの習性とも、なんとなく相通ずるものがあって、人の聞くことにまともに答えようとしない変な奴だけど、まあ何とかつきあっていけそうだ。初対面の印象はこんなものだった。 そもそもの発端は、知り合いから「友人が日に行くのでよろしく」と言われたのがことの始まりだった。時は未だ八十年代末、こっちはまだ暇な大学留年生だったし、まあ多少は相手をしてやろうという感じで引き受けた

  • ネットスケープの仕事場。

    ネットスケープの仕事場。 © 1994-1996 Jamie Zawinski <jwz@jwz.org> nscp dorm. 以下はNetscape Communications (万歳三唱) の誕生から数ヶ月、まだぼくたちが Mosaicと呼ばれていた頃のぼくの日記からの抜粋だ。その頃は、いまみたいに何千人だかも人はいなくて、ほんの 20 人とか 30 人だった。もう中間管理職なんてものがそもそもいなかった頃。 これは「古き良き時代」と伝統的に称される時期だけれど、でも時間はいつも苦痛を和らげて、当時のできごとが実際よりももっと楽しかったように見せちゃうものだ。でも、なんでもかんでも楽しくなきゃいけないなんてだれが言った? 苦痛は人間を育てる(そして時には製品も育てる)。 で、きみも 新興ベンチャーで働きたいって? 以下は、警告の物語になるかも…… 1994年7月26日火曜日, 4a

  • 伽藍とバザール

    Eric S. Raymond 著 山形浩生 YAMAGATA Hiroo 訳    リンク、コピーは黙ってどうぞ。くわしくはこちらを見よ。 プロジェクト杉田玄白 正式参加作品。詳細は http://www.genpaku.org/ を参照のこと。 1999/07/30版、1999/08/16訳更新, 2000年5月2日更新 原文の最新版はhttp://www.catb.org/~esr/writings/cathedral-bazaar/にて各種フォーマットで入手可能。 翻訳の pdf 版はhttps://cruel.org/freeware/cathedral.pdfにある。 翻訳の PostScript 版 (tar+gzip圧縮)はhttps://cruel.org//freeware/cathedral.tgzにある。 第 2 部 「ノウアスフィアの開墾」 (Homesteadi

  • トーゴフ『ドラッグ・カルチャー』評

    トーゴフ『ドラッグ・カルチャー』評:ダメなをさらに劣化させた犯罪的な邦訳 山形浩生 トーゴフ『ドラッグ・カルチャー』(清流出版)書評 (図書新聞 没原稿 2008/2) 要約:60 年代以来、サブカル系の人はあれこれクスリをやってました、などという常識をくどくど書き連ねただけので、目新しいものはなにもなかった原著だが、かろうじて価値を与えていたドラッグ施策やリハビリ施設などの章を削除することで、原著唯一の取り柄だった網羅性すら殺してしまった邦訳は犯罪的である。 ずいぶんと古いを、なんで今頃翻訳したんだろうかといぶかりつつ読み進むうちに、原著が 2004 年刊だと知ってぼくは驚いた。1980 年代初頭に書かれたくらいのにしか思えなかったからだ。ビート文化やヒッピー文化の主要メンツがみんなドラッグ漬けだった、なんて話を今更聞かされましても…… だがこれはまさにそういうでしかない。何か

  • 橋本治vs山形浩生対談

    山形浩生 『atプラス04』2010年5月 特集:エコノミストはなぜ経済成長の夢を見るか? 要約:経済成長は当に必要なのかどうかとか、それが要るのはわからなくもないが、橋治は個人としてはなくてもかまわないとかいう話。 ——橋治さんは『大不況にはを読む』(中公新書ラクレ、二〇〇九年)の中で、「いるんだかいらないんだかわからないものを買って経済を拡大させる」という、成長が前提となった産業革命以後の体制にブレーキをかけ、「自分のものは自分で作る」という、経済タームでは「保護主義的」と呼ばれるあり方を、人間のあり方に立脚する立場から「自立」として提案されました。しかも、「我が身のありよう」を考えるのも大事なら、現実生活を維持するために働く「金稼ぎ」も大事であり、これは二者択一の問題ではなく、両者は両立して存在すべきだと書いていらっしゃいます。だからこそ、「大不況」という経済の話と、人のあり

  • トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』についての読売新聞書評について、… - Irresponsible Rumors 2010

    最近の噂 風の噂ではございますが…… なお、リンクする場合には各コメントの日付のあとにある「id」をクリックすると、そのコメントのユニーク id が url 欄に表示されるぞ。 2010/11 デリーでイタメシをべていたら(もう5日にわたりインド飯ばかりが続いて、さすがに飽きたんだよね)、店内でこてこてのアミターブ・バッチャンのインド映画をやっていて (写真は超お美しいアシュワリー・ライ様なり)、それで店員さんと少し話をするうちに、かのラジーニー「躍るマハラジャ」カントの話になって、かれはすっごい儲けていて出演料はシャルーク・カーンの優に倍、しかも地元では学校や病院や慈善事業を山ほどやっていて、もう神様的な存在だとか(比喩でなく、貧乏人はみんなラジーニー・カントに祈るんだって)。 これはある意味で、所得分配のジニ係数の非常な歪みの反映ではあるんだけれど、一方でラジーニー・カントの所得が平

  • 『CUT』 1998.05

    あなたは、自分が日人(またはそれ以外)だというのを誇りに思ってるだろうか。 ぼくはあんまりない。アジア顔した人間だというのは、まあ意識するかな。旅行先や会議なんかで、日本代表っぽい口をきかなきゃいけないこともある。でも、「オレは日人だ!」なんて誇りはない。恥とも思わない。それはぼくが関東中央病院で生まれた [註] のを恥とも誇りとも思わないのと同じこと。だってただの偶然にすぎないんだもん。宝くじにあたった人は、それを喜びこそすれ、誇りに思ったりはしないだろう。 こんなことを考えているのは、福田和也という保守反動ヒョーロンカの駄『近代の拘束、日の宿命』なんかを見てしまったせいだ。 うっとうしいだった。日は、日人は、とうるさいこと。バカの一つおぼえでなんでもカッコに入れるダサさ。論理展開はゲロゲロ。こんな感じ。「『日』は『近代国家』に『なる』ために、『『資源』確保』が『必要』で

  • 貧困と闘いつつ、貧困者に害をなすNGOたち

    NGOs: Fighting Poverty, Hurting the Poor セバスチャン・マラビー (Sebastian Mallaby), Public Policy September/October 2004 山形浩生 訳 要約: 貧困に対する戦争は、善意の砲火に脅かされている。メディア指向の西洋活動家たちが援助機関に襲いかかり、途上国を搾取すると称するプロジェクトを阻止すべく抗議運動を繰り広げているのだ。こうした抗議運動は、職業扇動家たちのお気に入りのテーマを目立たせてくれるので、かれらには好都合だ。だが、飲料水も水もなく暮らしている何百万もの人々には必ずしも役にたつわけではない。 去年、わたしはウガンダを訪問した。アフリカの絶望的な状況がどうやって改善に向かったのか、貧困ライン以下で暮らしている人々の数を 1990 年代にほぼ 40% も減らせたのはなぜなのかを理解したかっ

  • 歴史家としてのフーコー キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle)

    Foucault as Historian キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle) (Critical Review of International Social and Political Philosophy Vol 1, No 2, Summer 1998, pp 5-35, Robert Nola (ed.) Foucault, Frank Cass Publishers, London, 1998 にも再録) 要約: フーコーの「歴史」と称するものはいい加減であり、実際の歴史とは全然対応していない。実際の歴史と並べてみると、フーコー流の「知」の考古学や系譜学はでたらめ。かつて中世にキチガイがうろついていたのは、連中が人間として権利を認められていたからではなく、人間以下の動物としか思われていなかっただけのこと。精神病院に入れたのは、別に人間以下のも

  • 富岡日記

    右は一人にて二十五釜受持、繭えり場・糸揚場見廻りもこの内。 日婦人中廻り 尾高 勇   この方は尾高様の令嬢、只今は渋沢男御子息の令夫人の筈に有之。 青木 けい  総取締青木たい様の御孫 森村 時 (武州)  畑銀 (七日市) 太田たい (武州)  笠間愛 (武州) 轟 とね (武州)  若林若(高崎) 磯貝某 (上州小幡) その他の姓名忘れました。 右は五十釜に三人、二十五釜に一人ずつ。一人は二時間ごと位に交代。一釜を三人で代る代る に糸をとって居ります。男女二人二十五釜の前を行き来して、糸のむらになりませんように見て 歩きまして、太過ぎても細過ぎても切れてしまいます。湯かげん、しけの出し方、蛹(さなぎ)の出し方等 やかましく申されます。それで聞きませんと叱られます。その上西洋人が見廻りまして、目に止 りますと中々厳しく申します。これは直に工女中の評判になりますから、如何なる者も恥かし

  • 富岡日記 (執筆1905-13)

    *1 2006 6 30 *1 (1857 - 1929). 1981 , 1976) 3 1 ( 6 2 7 7 ) 1 1.1 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1 1.2 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2 1.3 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2 1.4 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3 1.5 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 4 1.6

  • 法に抗っての進歩:アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権

    Progress Against the Law: Fan Distribution, Copyright, and the Explosive Growth of Japanese Animation ショーン・レナード, Massachusetts Institute of Technology <http://web.mit.edu/seantek/www/> 翻訳:山形浩生 <https://cruel.org> 原著2004年4月29日、翻訳期間2004年8月10-29日- Ver.1.1 © 2003, 2004 by Sean Leonard and 山形浩生 作品はクリエイティブコモンズ の Attribution-NonCommercial-ShareAlike ライセンスを採用している。 pdf 版は https://cruel.org/other/animeprog

  • 世界システム学派 (World System School)

    世界システム論は学派としてはさほど有力なものではなく、経済学全体から見れば新マルクス派の一部としてのみ意味を持つ。しかし、一方でこの学派はかなりの通俗的人気を持っている。このため少し別枠で述べておく価値はあるだろう。 世界システム論は、ある意味でイマニュエル・ウォーラーステインの一人学派であるとすらいえる。ここ数十年にわたり、かれがこの学派の筆頭格であり、理論的にも派閥的にもウォーラーステイン以外に目立つプレーヤーはいないと言っていい。 この学派は、フェルナン・ブローデル/アナール学派の地中海研究や資主義の発展史を直接の先人としている。その意味でフランス歴史学派の後継学派といえないこともない。資主義の発展プロセスにおいては、単に市場に参加者が参加することで一気に資主義が形成されたわけではない。多くの要因が相互にからみあい、その複雑さを増してきたこと、そしてその過程でそれまでは世界市場

  • わかりやすさは、ただの表現技術の問題ではないのだ。

    (『ダ・カーポ』(2002 年 4 月, ダ・カーポ)p.21) 山形浩生 いま、日はいろんなところで閉塞感がただよっている。それは各種の領域で、人々が自分のことば世界に閉じこもっているのも一因だ。官僚は官僚語だけで話し、そこから出てこようとしない。外交コミュニケーションの下手さ加減は言うべきにも非ず。オープンなはずの学問の世界まで、変な学閥と権益でタコツボの巣窟だ。それじゃあダメだ。これはすべて、極端な話、わかりやすい説明ができないことからきている。同じことばで、同じ中身が何百回も繰り返されるだけで、それがだんだん腐り、あるいは縮小均衡に陥る――もういたるところで見られる現象だ。もうちょっと各領域に、自分のなわばり外に対してわかりやすい説明のできる人がいれば、これはだいぶ変わるだろう。そう思わないだろうか。そこからもっと何か新しい芽も出てくるだろう。 わかりやすい説明なんて簡単だ。単に

  • 五十歩百歩のぬるま湯。――小室直樹『日本人のための経済原論』

    五十歩百歩のぬるま湯。 ――小室直樹『日人のための経済原論』 (某誌ボツ原稿、1998 年 11 月) 山形浩生 買う価値のないだ。最初の六割は、経済学の教科書をぬるめただけの代物。後半三割は、よくある官僚バッシング。はさまった一割くらいが日経済の話だけれど、それが前半後半とほとんど関係がついていない。 まず前半。ふつうの経済学教科書をかみ砕いてるつもりらしいんだが、それが教科書の記述の間にどうでもいいヨタ話と合いの手を入れただけなんだ。それもくどい。大事なことをくどく繰り返すんならいい。でも小室の「くどい」というのは、理論のとこじゃなくて、合いの手をしつこく繰り返すだけの、無意味なくどさなの。 「内生変数と外生変数とのちがい、とっくりお分かりかな。トコトン納得できましたかな。腑に落としきりましたかな。ここが理論経済学の核心、理解の急所である」(p.141) うるせぇ。とっくりだのお

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/05/25
    『このおまぬけな漢文多用癖はなんとかならんのか。』それは恐らくひろまつわたるとかのごにょごにょ。
  • アイアンマウンテン報告

    『アイアンマウンテン報告』(ダイヤモンド社、1997年4月) 訳者解説 山形浩生 書誌 書は Report from Iron Mountain: On the Possibility & Desirability of Peace (New York: Dial Press, 1967) の全訳である。翻訳の底としては、一九九六年にフリー・プレスより刊行された新装版を使用し、これに収録されている新たな序文や書評なども加え、さらに日からの材料も加えたものとしている。 翻訳に当たっては、DEC HinoteUltra + Windows95 + ATOK8 +MS Word95を主要環境とし、松田徳一郎監修『リーダーズ英和辞典』(研究社)を主辞書として使用している。 書のなりたち 世界は完全な平和を迎えられるのか。そしてそのためにはどのようなステップが必要なのか。それを現実的かつ具体

  • 山形浩生 文化を保存する試みの失敗について。 My Adventures in Cyber Desolation, 2005 fall

    文化を保存する試みの失敗について。 (『SIGHT』2005 年 秋) 山形浩生 要約: 日の国立国会図書館が web ページの定期的な保存公開を行おうとしたところ、「保存する価値があるかどうかわからない」だの「著作権が云々」だので反対が起きて、保存範囲が大幅に縮小され、個人ページは対象にならない。でも、価値があるかどうかは後にならないとわからないし、著作権だっていつか切れる。そしてネットの価値は、個人が発言できるようになったことではなかったか。それを保存しないようでは意味がない。 その昔、NHKの古いビデオを上映するイベントがあって、あの(といっても若者は知らないだろうが)「ひょっこりひょうたん島」をやったんだ。いま、40歳代の日人ならガキの頃に必ず見た記憶があるはずの名人形ドラマ。正直言って、どんな話だったかさっぱり覚えてはいないんだが、何人か印象的なキャラだけは記憶に残っている。

  • Non-Slack City: Media, Suburb and the City (Japanese)

    都市はくつろがない:都市とメディアと郊外化 (『ハイライフ』創刊号1996年初頭? 特集「都市とくつろぎ」原稿) 山形浩生 序 友だちがビデオに撮ってくれたMTV。三倍速の、ハイファイ録音ですらない、音の狭い雑音まみれのテープ。その雑音の中からいきなり這い出るようにして曲があふれた。おまえを切り刻みにきた。縛り上げ、殴り倒し、刺し殺しに。おまえのちっぽけな世界を引き裂きにやってきた。そして、おまえの魂までも粉々に。背筋が痺れて、それまで適当に曲にあわせて「イエーイ」とわめきながら打っていた原稿が、とても続けられなくなって、思わずテレビの前に正座した。ガーベジ。初めて聞くバンドだ。曲の終わりですぐに巻き戻して聞き直し、三回目で、最初の印象が平板化していくのがもったいなくて、ビデオを切った。もう今日はほかの音楽を聴けない(どうせ夜中の一時だったし)。神経がたかぶって寝付かれず、しばらく放ってあ

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