「木崎原の戦い」は日向国統一を目指した伊東義祐が、当主を失ったばかりの島津家に挑んだ戦い。 この戦いでは伊東軍3000vs島津軍300という、島津軍の圧倒的不利な戦況でしたが、大将の島津義弘の活躍で島津軍が勝利。 両軍の戦死者が1000人を超える激戦となりました。 木崎原の戦いまで 当主、島津貴久の死 時は1571年、島津家当主の島津貴久が病死します。 父の肝付兼続が貴久との戦いで死に、島津家へのリベンジに燃える肝付兼亮は 肝付兼亮 当主が死んだ今が、島津家を倒すチャンスだ と島津家の代替わりを狙い、島津家の薩摩国へと侵攻を始めました。 そして同じく、日向国の大部分を支配していた伊東義祐も 伊東義祐 肝付家側について島津家を倒そう 日向国における島津家の勢力を排除するため、島津家への戦いを表明します。 木崎原の戦い 加久藤城での奮戦 義祐はまず、人吉城を拠点とする相良義陽に 伊東義祐 伊東