先ほど「山月記」関連に関するエントリーを2つ書いたが、山月記というのは国語の授業でどのように取り上げられているのか気になったので調べてみた。 ものを書くことを好む人が多いのか、どうも国語教師というのはネットをやる人が多いようで、検索をすると「山月記」の授業に関しても膨大な量のエントリーが見つかる。 それを見ていて改めて思うのは、「山月記」を授業で取り上げるというのは結構難しいなあ、ということだ。 まず、「山月記」が李徴のような人間を煽りまくる目的で書かれたという側面があるのは間違いないだろう。 文学の世界では、今も昔も李徴のような人間には事欠かないわけで、中島敦に李徴のような生き方を批判する意図があったのは間違いない。 中島敦には書くことがなくなったのに作家という肩書にしがみつく職業作家を批判した一文があるが、職業作家に対する認識がこれなのだから、李徴のような生き方をしている者に対する認識