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ブックマーク / hugo-sb.way-nifty.com (4)

  • Hugo Strikes Back!: 金子光晴×稲垣足穂×田中小実昌 鼎談 その3

    前々回、前回の続きです。 今回は何故かお化けのお話に・・・・・・ 鼎談 A感覚・V感覚 「ぼくは、一人で寝るのはこわいよ。今でも」という金子さんの一言をきっかけに、話は何となくお化け話にすべりこんだ。 稲垣さん、にやりと笑って、膝をのり出した。 稲垣「陸奥の国の人で、京都で永年奉公を勤め、主家の娘をもろうた人がいたんだ。で、いっぺん里帰りをするということになって、国へ帰ったんだがね。帰りが長びいた。ところへ奥さんが迎えにきたわけですよ。まあ、その晩は、久しぶりだてんで、語り明かし、ウトウトっとして、あくる朝、その男が表で顔を洗っていたところ、都から飛脚が来た。で、奥さんが急病で亡くなったという知らせである。冗談いうな、人は奥で寝てるじゃないかといってね、寝間へ案内してみたら夜具がペシャンコになっている。びっくりして、ぱっとめくってみたら、卒塔婆が入っててね、まん中からちょっと下方

    nobody
    nobody 2006/12/02
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  • Hugo Strikes Back!: 金子光晴×稲垣足穂×田中小実昌 鼎談 その2

    前回の続きです。前回は悪口メインでしたが、今回はエロトークが中心。相変わらず足穂がトバしてます。鼎談 A感覚・V感覚 稲垣夫人「二十二日からお酒飲んで待ってたんですよ、この人。飲んで飲んで飲みつづけていれば、調子が出るんだって。それが八日目ぐらいでダウンですわ。」 稲垣「(夫人の話を突然さえぎって)作家作家といばっているけれど、今東光の作品に何がありますかッ。ニワトリの喧嘩の話一つだけ。ひどい作家もあったものだ。」 稲垣夫人「(稲垣さんの浴衣を見ながら)このごろ、ハダカで暮らしてるんですよ。」 田中「ぼくもうちではハダカです。パンツははいてますけどね。ああ、いくらか回ってきた。(とウイスキーのグラスを上げて)ゆっくりいきましょう。話が出なくって、困るのは向こうだから(と記者を見て)こっちはどうってことない(笑)。ウイスキーをいただきます。ヘッヘッヘッ。先生はもうからだのほうは?」 稲垣「大

    nobody
    nobody 2006/12/02
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  • Hugo Strikes Back!: 金子光晴×稲垣足穂×田中小実昌 鼎談 その1

    金子光晴の「下駄ばき対談」という金子光晴の対談集があって、野坂昭如やら寺山修司、深沢七郎らそうそうたるメンバーと対談してるのだけれど、中でも稲垣足穂と(何故か)田中小実昌との鼎談がもう無茶苦茶で滅法面白い。 少し長いけれど、これから何回かの小分けにして紹介していきたいと思います。 鼎談 A感覚・V感覚 田中「ゆうべね、みんなで、先斗町のお茶屋さんに行きました。」 稲垣「いいとこでんな、うん。」 田中「ほんと。いいとこです。ええ。もうはじめて行きました。そしたら、そのうちの飼ってる犬が、ぼくの足をかじるんだ。血が出たよ(半ズボンから出たすねを見せる)。やっぱり、うさんくさい人間なのかな、ぼくは。」 稲垣「厄除けでいいじゃないの。きれいな脚だねぇ(笑い。やや声を大きくして金子さんに)。はじめてお目にかかったのはいつごろだったでしょうか……。」 金子「大宗寺の横の竹田屋にいたころだから。昭和八、

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    nobody 2006/12/02
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  • Hugo Strikes Back!: 内田百閒 ノラの迷い猫広告

    第1回 迷い広告 第2回 迷い広告 第3回 迷い広告 第4回 迷い広告 (英文) 久しぶりに内田百閒ネタで、百閒の愛ノラが行方不明になった時に、百閒が出した訊ねの新聞折込広告。 ノラが居なくなったのが1957年(昭和32年)3月27日のこと。この時の百閒の取り乱し様は随筆「ノラや」の中で自身が書いている。(引用しようと思ったんだけど、が何処にあるのか判らない。というか何で俺は仕事場に私物のをダンボール箱何箱も置いているのか?)「ノラや」の発表は「小説新潮 7月号」で失意の最中の執筆であった。前年の1955年6月25日には、盟友であった宮城道雄が列車から転落事故で死亡しており、百閒にとっては2年続けて親しきものを失う不幸に見舞われたことになる。 2回目の広告の周りに書かれている文字は、「たちわかれいなばの山のみねにおふる、まつとしきかばいまかへり来む」という歌で、が帰っ

    nobody
    nobody 2005/07/13
    百鬼園。
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