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*政と*史に関するnobodyplaceのブックマーク (9)

  • 千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る(田中淳夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    千葉を訪れた。駆け足ながら、9月9日の明け方に千葉県に上陸した台風15号の被害を目にして、そのすさまじさを感じることになった。もっとも大変なのは、家屋などの破壊だけでなく電力の供給網が寸断され大規模な停電が発生したことだろう。そして1週間過ぎた今も停電は多くの地域で続いているのである。なぜ、こんなに復旧に時間がかかるのか? 停電したのは強風によって鉄塔や電信柱が倒壊したうえに、おびただしい数の倒木が生じたためだろう。倒木が道をふさぎ、事故現場に到達しにくいという問題と、倒木そのものがが架線を切断、もしくは引っかかったままになっている問題が重なっている。倒木処理が停電解消には欠かせないことがわかる。 そんな現場を見て感じたことを2点記したい。 非常に難しい倒木やかかり木の処理 倒木なんて、人海戦術でさっさと片づけろと思われる人もいるかもしれない。だが倒木処理は、非常に難易度が高いのだ。復旧を

    千葉大停電の遠因か。倒木処理の難しさと山武杉の悲劇を振り返る(田中淳夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だったと言っても韓国政府に通じない理由: 極東ブログ

    この手の議論には参戦したくはないし、する気もないが(原理的に不毛だからということをこれから説明する)、このところなんどかツイッターとかで見かけたブログの話題に、韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だった、というのがあった。 そういうネタを書く人々のことがまったく理解できないわけでもないし、いやそれは違うと反論したいわけでもない。だがそれ以前に、そのネタ話は、原理的に韓国政府に通じない理由は、はっきりさせておいたほうがいいんじゃないかとは思った。ネタを真面目に受け止めている人が多そうなである。 ところが、ネタを正す話になるとあまり見かけないように思う。ネットだとどうしても反韓か反日みたいな紅白歌合戦風になってしまうので、しかたがないのかもしれない。簡単に概要だけはメモしておきたい。 このネタ話だが、前提を簡単にまとめておく必要があるだろう。曰く……戦前の朝鮮半島は日の領土であり、その地の市

    nobodyplace
    nobodyplace 2014/09/30
    史実や事実はどうあれ、韓国が自国をこう規定しちゃってるんじゃ通じるわけないわなあ。なるほど納得
  • 集団的自衛権強行で支持率が大変なことに - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    メルマガでも書いたんですが、ちょっと例の集団的自衛権の閣議決定を強行したことで明らかに安倍政権に対する支持の構造が劣化したように感じられるのでメモ風に。 興味関心の部分においては細谷雄一さんのブログに概要までは書いてありますけれども、中韓首脳会議前にブチ込みたかった件や公明党との鍔迫り合いその他で「この時期しかなかった」というのは分からないでもないんですけどね。 集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定 http://blog.livedoor.jp/hosoyayuichi/archives/1865199.html 速報その他については読売が書いてますが…。 内閣支持率、5割切る…政府・与党に衝撃 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140703-OYT1T50197.html アメリカなどと違い、日の場合は投票に行く人と行かない人との差はあまり考慮

    集団的自衛権強行で支持率が大変なことに - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    nobodyplace
    nobodyplace 2014/07/04
    まあそうだろうなーこれまで5割切ってないのが不思議な感じすらあるし。
  • 日本と中国と「歴史問題」(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

    (フィナンシャル・タイムズ 2012年8月22日初出 翻訳gooニュース) アジア編集長デビッド・ピリング 3年前に政権を獲得したとき、日の民主党は外交政策の抜的な見直しを約束した。日米関係と日中関係のバランスを見直し、過剰な「対米依存」を是正し、中国との緊張関係を改善しようとした。当時の鳩山由紀夫首相は、世界はアメリカ一極時代から多極化へと移行しつつあり、日は自分たちが生きていく「基的な生活空間」としてアジアを再発見するのだと述べていた。 壮大なビジョンだった。今ではもうボロボロだが。いかにボロボロかは今週さらに明らかになった。中国が「釣魚台」と呼び、日が実効支配する尖閣諸島をめぐり、日中で舌戦が繰り広げられた後、週末には中国各地の都市で反日デモが勃発した。こうした日中関係の緊張を受けて、日政府は駐北京大使を交代したのだ。 政権の座についた民主党は、中国とより親しい関係を築け

  • 中国に「日本と軍事協定を結ぶな」と脅される韓国:日経ビジネスオンライン

    「日と軍事協定を結ぶな」と中国韓国を脅す。だが、この協定は米国の強い意向を受けたものだ。果たして米中どちらの言うことを聞くべきか――韓国は板挟みだ。 米国主導で“陣構え” 中国韓国に結ぶなと要求している協定は日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA、通称「情報保護協定」)。 日韓両国政府の公式見解は「この協定で第3国への情報の流出に歯止めをかける。それにより両国間の安全保障に関する情報交流を増やす」。両当局ともに「交換するのは主に、3代目が継いで不安定化する北朝鮮の情報」と説明している。 韓国人の反米感情をかきたてることを恐れてだろう、米韓両国政府は「米国主導」を否定する。しかし、韓国各紙は「数年前から米国はこの軍事協定を結ぶよう強く求めていた。最終的には今年6月にワシントンで開いた外務・国防閣僚会合(2プラス2)で米国が韓国に受け入れさせた」(朝鮮日報6月29日付)と報じている。 日

    中国に「日本と軍事協定を結ぶな」と脅される韓国:日経ビジネスオンライン
    nobodyplace
    nobodyplace 2012/07/10
    なんか歴史の話みたいだ。いや、現実なんだけども。
  • 毎日 社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年− 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    ちょっと書き方がわかりづらいようだ。 30年で1世代というから、60年だと2世代になる。敗戦で尾羽(おは)打ち枯らした日が独立を取り戻したのは60年前の1952年4月28日だ。この日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効し、日は国際社会に復帰した。そして今日、3世代目の第一歩を踏み出す。 講和と安保は、戦後日の「国のかたち」を決めた。領土の放棄、西側の仲間入り、東京裁判の受諾。その一方、沖縄を米国統治に委ねたのもこの日である。沖縄は土に復帰し、来月で40年を迎えるが、今も基地問題の重圧に苦しむ。正の部分も負の部分も含め、戦後日歴史はこの日から始まったのだ。 4月28日沖縄デーは、「沖縄を米国統治に委ねた」というけど、これは沖縄から見れば、土から見捨てられた日であった。以降沖縄は熱心に日の丸を振って日に呼びかけたものだった。「沖縄は土に復帰し」はこの文章からすると曖

    毎日 社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年− 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記
  • 今、改めて天皇機関説事件をおおざっぱに振り返ってみた~@noiehoieさんつぶやき編集

    菅野完 @noiehoie 機関説論争の端緒となったのは、菊池議員(陸軍中将)による貴族院会議での滝川事件に関する質疑。美濃部の著書の片言隻句を引用して、「学匪」「反逆者」と罵った。で、その後、美濃部は「一身上の弁明」として会議で演説を行った。その日の貴族院は議席はもとより傍聴席も満員だったという(続く 2010-11-20 22:50:03 菅野完 @noiehoie (承前)美濃部は演説の中で「天皇主権説であれば、国際条約は天皇個人の契約となってしまう」等の例をあげながら機関説の妥当性を訴えた。一時間を超えたこの演説は、人々の共感を呼び、演説の最後には貴族院では珍しく議席からも傍聴席からも拍手が起こったという(続く) 2010-11-20 22:54:42 菅野完 @noiehoie (承前)この演説の結果、当の菊池中将から「徒に美濃部博士を侮辱したものではない。また博士の著作を通

    今、改めて天皇機関説事件をおおざっぱに振り返ってみた~@noiehoieさんつぶやき編集
  • 【尖閣衝突事件】仙谷氏「日本が中国に迷惑」対中観で不一致 - MSN産経ニュース

    仙谷由人官房長官は4日の記者会見で、民主党の枝野幸男幹事長代理が沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐり、中国を「悪(あ)しき隣人だ」などと批判したことに反論。戦前の日が「侵略によって中国に迷惑をかけた」ことを理由に中国を擁護した。「対中観」で不一致が露呈した形だ。 仙谷氏はこの中で「古くから中国から伝来した文化が基となり日文化・文明を形成している」と歴史を説きおこし、「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」と中国文化的優位性を強調した。 さらに「歴史の俎上(そじょう)に載せれば、そんなに中国のことを(悪く)言うべきではない」と枝野発言を否定。「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」と中国の近代史に同情してみ

  • 普天間飛行場について:イザ!

    (いすけ屋) Wikipediaによると、普天間飛行場について、次のように記されている。 < 戦前、飛行場が建設される前のこの地域にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地であった。また島南部の那覇や首里と北部の国頭(くにがみ)を結ぶ交通の要衝でもあり、琉球松の並木道が続いていたという。 1945年 - 沖縄戦の最中に、宜野湾一帯がアメリカ軍の支配下に置かれると、アメリカ陸軍工兵隊の発注により中頭郡宜野湾村(現・宜野湾市)の一部土地を接収し、2,400m級の滑走路を持つ飛行場が建設された。 1953年 - 滑走路が2,700メートル(9,000フィート)に延長され、ナイキミサイルが配備された。 1960年 - アメリカ陸軍からアメリカ海兵隊へ移管された。民有地については、琉球政府が住民から土地を一括で借り上げたうえで米海兵隊に又貸しをし、軍用地料(基地・飛行場の土地

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