「あそこでネリが打つとすれば、僕の常識だと左ボディなんですよ。あの距離の近さだと左ボディが一番当てやすい。なのに左フックを打ってきた」(長谷川穂積)
アメリカに降り立った瞬間、井上尚弥(大橋)のパウンド・フォー・パウンド(PFP)ランキング1位浮上を支持する数々のメールが目に飛び込んできた。 「井上、井上、クロフォード、井上、クロフォード、井上……」 東京ドーム興行の取材を終えて、羽田空港からニューヨークに向けて帰路に着いたのは井上対ルイス・ネリ(メキシコ)戦の翌々日にあたる5月8日のこと。チェーンメールで選定委員(パネリスト)が意見を出し合う形で行われるリングマガジンのランキング選考が本格化するのは、ちょうど筆者が機内にいるタイミングだった。 昨夏以降、テレンス・クロフォード(アメリカ)がPFP1位を守ってきたが、2位につける井上が逆転するかどうかが今回の焦点。6日、東京ドームで行われたスーパーバンタム級の4冠戦で井上は初回に痛烈なダウンを喫したものの、ネリから3度のダウンを奪い返して劇的なKO勝ちを飾っていた。世界中に散らばるパネリ
打率、安打、二塁打、長打率、OPS、長打、塁打はメジャーでも1位 ■ジャイアンツ 4ー1 ドジャース(日本時間16日・サンフランシスコ) ドジャース・大谷翔平投手は15日(日本時間16日)、敵地・ジャイアンツ戦に「2番・指名打者」で出場し3試合連続、メジャー最多20度目のマルチ安打をマークした。4打数2安打で打率を.364まで上昇させ、ナ・リーグ9冠を維持した。 大谷は初回無死一塁の第1打席は四球を選んだが、3回先頭の第2打席では追い込まれてから低めのスイーパーに見逃し三振。大谷は首を振って判定に不満をあらわにした。さらに7回2死の第4打席でも再び外角をストライクと判定され、見逃し三振となった。 際どい判定に泣かされながらも、第2打席では中前に、第5打席では左前に運んだ。3試合連続のマルチで5月は打率.452(42打数19安打)、5本塁打11打点と絶好調だ。 ここまで63安打、16二塁打、
5月は名人戦(藤井聡太名人-豊島将之九段)と叡王戦(藤井叡王-伊藤匠七段)の対局が並行して行われている。両タイトル戦の方式を比較すると、7番勝負と5番勝負、2日制と1日制、持ち時間は各9時間と各4時間の違いがある(いずれも前者が名人戦)。消費時間を計測する手段も違っていて、勝負に微妙に影響しているようだ。それに関連して「秒読み」にまつわる公式戦の対局でのエピソードを田丸昇九段が紹介する。【棋士の肩書は当時】 消費時間を「加算」する方が秒読みになりやすい 8タイトル戦のうち、竜王戦、名人戦などは59秒以下の消費時間を「切り捨て」(ストップウォッチ方式)にする。叡王戦、王座戦などはすべての消費時間を「加算」(チェスクロック方式)する。 前者の場合、消費時間を20分20秒、10分30秒、5分40秒、1分50秒、0分59秒と使うと、秒を切り捨てにするので実際の消費時間は「36分」となる。後者の場合
箱根駅伝でお馴染みの国道15号線(第一京浜)を東京方面から走って多摩川の橋を渡ると、白い外壁のスタンドが左手に見える。神奈川県に入ってすぐの交差点脇、国道沿いに位置する川崎競馬場は最寄りの港町駅(京浜急行)から徒歩3分、川崎市の中心・川崎駅からも徒歩圏内(約15分)の至便な場所にある。ターミナル駅の周囲に広がる大繁華街とまさに隣り合わせ。コースの奥には高層マンションが建ち並び、初めて訪ねた人は「こんな街中に競馬場があるのか」と目を丸くするに違いない。 ユニークな立地条件の半面、敷地面積の狭さは国内屈指。しかしコンパクトな場内には“見どころ”が盛りだくさんだ。まずは世界最大級のサイズを誇るドリームビジョン。同様のビジョンは内馬場に設置されるのが一般的だが、川崎競馬場のドリームビジョンは向正面の奥に設置されている。
試合を見ると、いつも涙が出てしまう リングに上がれば、小さい頃から知る幼なじみが近くて遠い存在になる。5月6日、4万3000人が熱狂する東京ドームのリングサイドに近い席で、手に汗握りながら井上尚弥のルイス・ネリ(メキシコ)との防衛戦を観戦していた。1回のキャリア初ダウンには驚きを隠せずに言葉を失い、2回にダウンを奪い返すと、声をからすほど叫んで立ちくらみを起こす。そして、6回には圧巻のTKO劇を目の当たりにして、思わず涙腺が緩みかけた。 「ナオ(尚弥)の試合を見ると、いつも感情移入して涙が出てしまうんです。あの日はなんとか我慢しましたけどね。昔から一緒にロードワークをしていますし、準備の過程も知っています。想像を絶するプレッシャーはあったと思いますが、試合前からそんなところは一切見せなくて。勝つたびに思うんです。頑張ってきたことが報われて良かったと」
生まれは鹿児島の薩摩隼人。育ちは大阪。名門・浪商のケンカ野球で生を受け、明治大学島岡学科の首席卒業と呼ばれた神宮の華から、V9巨人の川上野球を骨身に刻み込んだ現役時代。引退した後は、日本ハム監督、巨人二軍監督、北海道移転後の日本ハムGM、ヤクルト監督と各地を転々としながら、若いチームの土台づくりを担ってきた。一線を退いていた2011年12月。親会社が変わったDeNAベイスターズから三顧の礼で迎えられ、チーム作りを任されるGMに就任。焼け野原の中から7年間かけ、チームの土台をつくりあげると、2018年いっぱいでGMを退任した。御年78歳。第一線から退いて早5年。高田繁が語ったプロ野球「ルーキー論」とは?
5月14日、イタリア・セリエAの強豪ペルージャへの移籍を発表したバレーボール日本代表・石川祐希(28歳)。セリエA参戦9年目の今季はミラノをクラブ史上初のプレーオフ3位に導くなど、世界最高峰の舞台でも「イシカワ」は常に話題の中心にいた。現地在住23年のスポーツジャーナリスト弓削高志氏がレポートする。
「僕の手の方が翔平の手より少し大きかった。僕(2メートル3)は翔平(1メートル93)より少し背が高いからね」 大谷は体格は1メートル93、102キロとメジャートップクラスだが、比較的手が小さいことで知られ、足のサイズも28.5センチ。一方、グラスノーは「自分の手の大きさは分からないが、足は16インチ(34.0センチ)だ」と言った。 私は規格外のサイズに驚き「欲しい靴は見つかりますか? 全てオーダーメイドですか?」と尋ねたが「店舗ではなかなかないけどネットで買えるよ。オーダーメイドではなく既製品だね」と笑顔で明かしてくれた。 大谷も受けた“ハイブリッド手術”についても レイズから移籍1年目のグラスノーは5月12日(日本時間13日)時点でリーグ2位となる6勝、同単独トップ73奪三振と存在感を発揮している。21年8月に人工じん帯を入れてより強化する「インターナル・ブレース」と、自身の腱を移植する
井上は同じタイミングで、左アッパーの返しで右のストレートを狙っていた。まさにパンチを繰り出そうと腰を入れたとき、一瞬早くネリのパンチが着弾。下位置から変則的な軌道で繰り出された左フックをもろに食らった井上は、反時計回りに一回転した。ただ、ド派手な見た目とは裏腹に、井上の体重移動に沿ったベクトルだったため、さほどダメージは感じられなかった。 ダウンの瞬間は「何が起きたのか…」 モンスターのダウンシーンを後から振り返ると、こんな感じだ。 とはいえ、その瞬間は何が起こったのかわからなかったのが、現場での実感だ。この感覚は、ノニト・ドネアとの第一戦目に井上が右瞼をカットしたときも同じだった。接近戦での乱打戦における、死角のパンチで、どちらも左フック。大別すると、シチュエーションもアングルも、似ていたかもしれない。 あのときは、写真を撮りながらカットした様子を見て「バッティングか?」と考えた。モンス
「私が見た中で最高のファイター」井上尚弥を絶賛する重鎮の主張に英メディアが見解「時期尚早かもしれないが」 タグ: ボクシング, チャンピオン, 井上尚弥, 格闘技, ニュース, ルイス・ネリ2024/5/15 ボクシングのスーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥(大橋)が5月6日、東京ドームでルイス・ネリ(メキシコ)をTKOで破り、4本のベルト防衛を果たした。1ラウンドでの井上のダウン、その後の両者の気迫に満ちた打ち合い、さらにラストラウンドとなった6回での王者のフィニッシュシーンなど、激闘の余韻は今なお、ファンの脳裏に色濃く映ったままだ。 【画像】鮮烈KOで防衛成功!”悪童”ネリを打ち砕いた井上尚弥の圧巻ファイトを厳選写真でプレーバック 大舞台でみせつけることとなった井上の強さは、改めて世界中に衝撃を与えた。その中で、今後の対戦相手も含め、各国メディアがこれまで以上に「モンスター」への
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