岡村 金太郎(おかむら きんたろう、慶応3年4月2日(1867年5月5日) - 昭和10年(1935年)8月21日)は、日本の海藻学者・水産学者。日本海藻学の開拓者として明治から昭和初期にかけて活躍し、養殖の基礎を築いた。また、日本で初めてプランクトンを定性的に研究した[1][2]。発表した論文は約250編[3][4]、海藻に関する著書が極めて多い[3]。 慶応3年4月2日(1867年5月5日)に岡村清七、セイの長男として江戸芝新幸町(現在の東京都港区新橋1丁目)に生まれる[3][5]。芝新銭座町の攻玉塾、東京大学予備門を経て明治18年(1885年)7月に東京大学理学部(後の帝国大学理科大学)へ入学した[3]。明治22年(1889年)7月の帝国大学理科大学植物学科卒業後は同大学大学院に入学、矢田部良吉のもとで藻類学研究を開始した[3]。明治24年(1891年)4月に水産伝習所[註 1]教師