An overthinking self-deprecating sarcastic weird nerdy treehugging 17 year old mad scientist/intellectual in training who likes cream cheese far too much to be considered healthy.
すでに、Twitterなどでご存じの方もいらっしゃるかとおもいますが、市民団体が、村木厚子さん裁判に関して、前田元検事を特別公務員職権乱用罪で告発するための告発状を、最高検に提出いたしました。 この事件の本質が、単なる資料の改竄などではなく、前田検事がはじめから村木さんが無実であることを知っていながら、彼女を逮捕し、彼女が簡単に「自白」しないと見ると、有罪に落とし込むために、彼女の無実の証拠であったフロッピーディスクの日付を書き換えたということを考えると、怖ろしい事件です。 奇しくも、去る10月12日、国会予算委員会で、刑事局長が「冤罪には二種類あると言っている。無罪であると知りながら事件にする冤罪と、有罪だと思って事件にしたが無罪だったという冤罪です」と発言。 あの、それ、違うでしょ? それって、市民感覚で考えると、前者は「それ自体が犯罪」ではないかと。 まさに村木さんのケースです。しか
1月7日(水)のブログにました長谷部泰男さん(東大法学部教授)杉田敦さん(法政大学法学部教授)との朝日新聞の対談記事を読んだ高校生二人の感想と意見を記します。 (A君) 長谷部さんは、宮内庁が独自で定めた「30日ルール」は大事だ。カントも言うように天皇を利用価値のある「手段」として扱ってはならず「目的」として扱うべきだ、そうでないと、天皇や皇室独自の価値や尊厳が崩されてしまう、というが、 その考えは、おかしいと思う。 誰か特定の人や家族に尊厳があるとすれば、その他の人や家族には尊厳はない(少ない)ことになってしまう。ぼくたちは、みな対等・平等な価値をもった人間であって、特定の人が生まれながらして「偉い」というのは、第二次大戦の前と同じ考えでしかないと思う。いまの憲法は、天皇主権から国民主権に変わり、天皇は儀礼的なことをする人でしかないはず。長谷部さんは憲法学者だと言うが、どうしてこんなおか
ゼミに行くと欠席が9名。 ほとんどの四年生は最終学年はゼミしか授業がないはずであるので、ゼミに来ないということは、フルタイムで就活に走り回っている、ということである。 気の毒である。 だが、浮き足立ってことをなして成功するということはあまりない。 大事に臨んでは、まずゆっくり腰を据えて、お茶漬けなど食べるというのが日本古来の風儀である。 ゼミを休むほどに浮き足立ってはろくな結果にならない。 それに、私に「ろくな結果にならない」というようなことを言わせてはいけない。 私の言葉はたいへん遂行性が強いからである。 私が「そんなことをすると、ろくな結果にならない」とうっかり口走ってしまうと、それはきわめて高い確率で現実化するのである。 だから、君たちがわが身の安全をほんとうに案ずるなら、私を怒らせてはいけない。 ご存じのように、私は学生に対して威圧的になったり、がみがみやかましく叱ったりすることが
中国の思潮の変化について、読んで考えたことをまとめました。参考にした中国の文献はとうてい訳しきれませんが、時期をみて抜粋だけでもアップしたいと思います。 追伸:本夕、人民銀行が1ヶ月を措かずに預金準備率の再引き上げを公表しました。 前回は、人民元問題で譲歩せず、アンチ・ダンピングや対台武器売却に対抗措置を打ち出し、政府機関にサイバー・アタックまでかけてくる中国の姿勢を見て、オバマ政権が中国に対する違和感と“frustration”を募らせ、対中姿勢を 「硬化」 させつつあるのではないかと述べた。 中国に対する違和感、“frustration”を募らせているのは米国だけではない。欧州ではもっと顕著になりつつある。COP15で完膚無きまでに欧州のメンツを潰した中国の振る舞いを見て、欧州には 「中国と本当に良好なパートナーシップを築いていけるのか」 という深刻な疑問・不安が増大し始めたと感ずるの
「一般意志2.0」の議論では、「中間集団の否定」という文脈で、 ドゥルーズの「非コミュニケーション」が引用されています。*1 言論も、コミュニケーションも、すでに腐りきっているかもしれないのです。言論とコミュニケーションはすみずみまで金銭に浸食されている。しかも偶然そうなったのではなく、もともと金銭に毒されていたのです。だから言論の方向転換が必要なのです。創造するということは、これまでも常にコミュニケーションとは異なる活動でした。そこで重要になってくるのは、非=コミュニケーションの空洞や、断続器をつくりあげ、管理からの逃走をこころみることだろうと思います。 (ジル・ドゥルーズ 『記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)』 p.352、ネグりによるインタビュー) 一方ドゥルーズは、『アンチ・オイディプス』と同じ1972年に出た『精神分析と transversalité ―制度分析
X「そんなこんなで、 今回のGoogleの戦法は、フェアユース+集団訴訟のコンボだった 作家組合が(あまりにも素直に?)和解しちゃったせいでグーグル(以下グ社)はタナボタ大儲け 日本中の著作権者が封書をもらって「でもどうしたらいいのよ!?」状態に そして期限は目の前だ! 以下次号! と思ったら『期限は9月4日まで延ばします』というオチが! というのが、ここまでの大ざっぱな要約なんだが」 S「まぁ落ち着いて考える時間ができたのは、良かったじゃないですか。――ということで、先日の早見表で『さてどうしよう』と悩んでいる方向けのアイデアを披露したいと思います。すなわち、グーグル書籍サーチに真っ向から対抗するための」 M「それって和解案から離脱するのとは違うんですか」 S「うん、もうちょっと根本的な対抗策だよ。すなわち〈第2書籍サーチ〉を構築すればいい、という案――クラウド・スキャニングによってね」
ロストジェネレーションというのは1973〜1982年生まれの世代のことを指す*1。景気の悪かった、いわゆる「失われた十年」に就職をしなければならなかった世代である。彼らは不景気により、正規雇用を得ることができず、割を食ったということである。2005年に景気回復があり、これ以降の世代は就職状況が良かったという認識から、狭間の世代がロストジェネレーション(ロスジェネ)と呼ばれている。 ロスジェネのうち先頭の1973年生まれの人は高卒で1992年、短大卒で1994年、大卒で1996年に就職している。一番後ろの1982年生まれの人は高卒で2001年、短大卒で2003年、大卒で2005年(就活は2004年)に就職した人である。 Wikipediaにはこのような解説がある。 この氷河期世代には、安定した職に就けず、派遣労働やフリーターといった社会保険の無い不安定労働者(プレカリアート)である者が非常に
選挙おもしろい@sociologbookについて。 以前、県内某所でボランティアの平和ガイドやってる教員崩れの腐れナイチャー(笑)が、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」(原文ママ)と発言したときにぶち切れた俺だが(笑)、「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである。 わかるんだけど、やっぱり違う、というか。ここできしさんが「腐れナイチャー」と言う文脈は、想像できなくはないんだけど、とりあえず、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」という文言自体がまちがっているかというと、それは違う、と思うんだよな。モヤモヤするので、整理する。 きしさんが紹介しているような「無駄な公共事業」は、もうどうしようもなく無駄であっ
【特別直言】「投票の秘密」は守られているか 2009年8月27日 総選挙の投票日が迫っている。今回の衆議院解散の「耐えがたき軽さ」や、政権公約に「マニフェスト」という横文字を使うことへの違和感についてはすでに書いた。これら政治や政党をめぐる問題とは別に、投票日を前にして、述べておきたいことがある。それは、どの党も「マニフェスト」で触れていない事柄、すなわち「投票所改革」についてである。これは憲法上の問題を含んでいる。この国の今後を決定する総選挙の投票日を前にして、「特別直言」として問題提起しておきたい。 総務省によると、前回の総選挙では、全国53021カ所に投票所が開設された。だが、世界には、まともに投票所を設けられない国もある。先週行われたアフガニスタン大統領選挙では、タリバンの選挙妨害により、全国で800カ所の投票所が開設できなかったという(『毎日新聞』8月21日付夕刊)。 このニュー
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