タグ

社会(体観察)学に関するnoitseuQのブックマーク (4)

  • 何かに「駆り立てられる」ことから決別するために…|On The Groove

    『子供は自分の中に二十二の襞を持って生まれ、それらの襞を一つ一つ拡げることが、その人にとって最も重要なのだ』と書いたのは、フランスの詩人アンリ・ミショーでした。その襞はいたずらに露顕されることもなく、人目に触れずおごそかに秘蔵されているのでしょう。 この言葉を思い起こすとき、僕の脳裏には何故かいつも【自由】についての考えがよぎります。そこで今日は、ハーマン・メルヴィルの小説『バートルビー』を敷衍しながら、そのことについて少し書いてみようと思います。 主人公(バートルビー)はまず、ひたむきな勤勉さを請われて、書記として弁護士事務所で雇われるのですが、他の書記たちと比べてとにかく寡黙さが際立っています。でも彼は単に無口なわけじゃない。雇い主である弁護士や同僚に何を依頼されても、またどんな些細なことを促されても、彼の答えは決まっていつも、『できれば、しないほうがいいのですが…(I would p

    何かに「駆り立てられる」ことから決別するために…|On The Groove
    noitseuQ
    noitseuQ 2024/03/05
    現代社会においては、「ありのままの欲求」や「自分らしさ」を実現する手段と目的は、『個性的であれ』という命題とともに、そのほとんどが消費/生産活動と直結されており、経済システム全体の中に組み込まれてい
  • 「社会学」を嫌いにならないで!

    どうも、英司です。最近、メディアに「社会学者」を自称する人がたくさん出て、好き勝手なことを言っているお陰でここ数年、非常にイメージが悪くなった「社会学」について書きたいと思います。 なぜ社会学がここまで嫌われるようになったのか?そして、実は面白い社会学の魅力について解説していきたいと思います。 昨今、「社会学」のイメージが非常に悪いです。私は社会学部で4年間学んで卒業した身として、昨今一部の社会学者を自称する人たちの身勝手な言動により、社会学という学問領域そのものまでが信頼性を損ない始めている現状を、非常に嘆かわしい気持ちで傍観して来ました。 私には学問における権威はまったくありませんが、そろそろこの辺りで、まかりなりにも社会学の学士号を持っている者の一人として何か発言しなくてはという気持ちになり、今回筆を執りました。 社会学が嫌われる原因は「自称社会学者」たちにあり もう10年以上前の話

    「社会学」を嫌いにならないで!
    noitseuQ
    noitseuQ 2024/02/18
    物事をそれ単体ではなく、前後関係や背景を意識し、大きな文脈の中のひとつの出来事として大局観を持って考える、という力…
  • 抑圧と権力から逃れている自転車という趣味

    世の中では筋トレが流行しています。空前の筋トレブームです。私はブームとは関係なく筋トレをやっていますが、なぜこんなに筋トレが流行しているのかについて、哲学者の千葉雅也氏が新聞記事で非常に面白い論考を展開していました。 義務教育における体育の目的この部分は当に共感しました。 心と身体を支配し、人間を従順な存在に仕立て上げることを規律訓練、ディシプリンといいます。これはフランスの哲学者ミシェル・フーコーの概念で、基的に日の体育の授業はこれに当たる。たとえば運動会の行進自体に意味はなくて、要は「お前らを支配するぞ」ということを示している。義務教育の目的は「いかに権力に逆らわないで従順に働く主体をつくるか」であって、体育はまさにそういう抑圧的な身体教育をやっている。だから僕にとって、筋トレも含めてスポーツをもう一度やろうという動機は、権力による身体の支配に対して、いかに自己準拠的な身体を取り

    抑圧と権力から逃れている自転車という趣味
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/06/27
    他人の自転車がカッコいい、悪い、というメッセージを発信する精神の根底にあるのは、何かしらの「見えない権力」に対して進んで従属するマゾヒストな精神性であるように感じます。
  • 社会の原理と個人の原理が異なることについて - 歴史と個人と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    在日韓国・朝鮮人のことについて少し書くつもりなのだが、私は決してその方面に明るくはない。むしろ、私より上の世代の常識を基準にしていえば無知な部類に入るのだと思う。それでもその私の理解を書こうというのは、そういった不正確で誤りの多い理解でさえ、それ以後の時代に急速に失われているのではないかと危惧するからだ。実際にはそうでないのかもしれない。それは比較しなければわからないし、比較するためにはとりあえず標をひとつ、ここに置いておくのがいいのではないか、と思うからだ。 私の理解している在日朝鮮人の歴史 在日朝鮮人のルーツが戦前の日の朝鮮半島統治にあることは言うまでもないだろう。戦争以前は、戸籍は朝鮮籍でありながら国籍は日であるという奇妙な地位を朝鮮半島の人々は占めていた。同化政策、皇民化政策がとられていたのとは裏腹に、彼らは大日帝国を構成する二級国民として位置づけられていた。だから日(内

    社会の原理と個人の原理が異なることについて - 歴史と個人と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/06/24
    社会とは、個人の集団である。しかし、社会の行動原理は、個人の行動原理とはまったく異なる。つまり、人間によって構成されるものでありながら、人間とはまったく別個の研究の対象になる。それが社会学の立場だ。
  • 1