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2023年6月4日のブックマーク (2件)

  • ホリエモンが近鉄買収に名乗りも社長が拒否!球界再編問題はさらに混迷へ【平成球界裏面史】 | 東スポWEB

    【平成球界裏面史 近鉄編⑤】平成16年(2004年)6月13日、近鉄とオリックスが球団合併するというニュースが世間を騒がせた。合併案が出ているという段階ではなかった。すでに球団親会社同士による決定事項として進められていた。そういった事実に、多くの関係者が不信感を募らせた。 12球団で運営するNPBが11球団に減少するとどうなるのか。もう1球団削減して10球団1リーグ制というシナリオも存在した。こうなると近鉄、オリックスだけの問題ではない。他球団の選手、スタッフも他人事ではなくなる。 当時、近鉄の中心選手だった中村紀洋(現中日二軍打撃コーチ)は当時、こんなコメントを残している。 「長年存続している優良企業に内定、就職したにもかかわらず、急に会社がなくなりましたというようなもの。夢の舞台であるはずのプロ野球の世界がこんな状態では、目指す子供も減少してしまう」

    ホリエモンが近鉄買収に名乗りも社長が拒否!球界再編問題はさらに混迷へ【平成球界裏面史】 | 東スポWEB
  • 注目度が桁違いだった! 近鉄・中村紀洋の2002年FA宣言【平成球界裏面史】 | 東スポWEB

    大阪近鉄バファローズの中心選手として球界を席巻。浪速のアーチストとしてその名を轟かせた中日・中村紀洋二軍打撃コーチ。その野球人生の一つの転機は平成14年(2002年)だったに違いない。 01年に近鉄はダイエー、西武との大混戦を制し、前年度最下位からリーグ優勝を果たした。その中で中村は打率3割2分、46塁打、132打点とキャリアハイの数字でVの立役者となった。さらに翌02年は42塁打、115打点でFA権を取得。その去就に注目が集まらないはずはなかった。

    注目度が桁違いだった! 近鉄・中村紀洋の2002年FA宣言【平成球界裏面史】 | 東スポWEB