2008年07月14日10:45 カテゴリ書評/画評/品評Culture 「大きなお世話」 - 書評 - ケータイ小説的。 大西@原書房様より献本御礼。 ケータイ小説的。 速水健朗 で、結論。 ケータイ小説を読まない者にとってケータイ小説に対する最も適切な態度は、笑止して放置して無視すること。 本書「ケータイ小説的。」は、これまで書かれたケータイ小説論の中で最も秀逸な一冊。ケータイ小説とその読者に関しては、これ一冊読めばもう事足りる。あとは不要。ケータイ小説も含めて。 目次 - 原書房新刊案内 ケータイ小説的。 - 速水健朗 (04163-3)より ■第1章 「情景」のない世界 ケータイ小説のキーパーソン 『恋空』に見る、浜崎あゆみの影 『赤い糸』という題名はどこから来たのか 携帯電話の普及とそれを司る女神の存在 「コギャル」の教祖から「女子高生」のカリスマへ 回想的モノローグと『NANA
なんか、たまたまネットウロウロしていたらいわゆる「ケータイ小説」を分析した本が何冊か出ていて、それの書評が書かれていた。 私は、それらの本をまだ読んでない。でもその書評のいくつかを読んですごく気になった。 ・その1 まず、根本的な疑問として、なんで「ケータイ小説」を分析しなければならんの? 「ケータイ小説」を分析することの意義は、以下の二点にしかないはず。 ・自分も「ケータイ小説」、あるいは「ケータイ小説的なもの」をリリースして、お金をもうけたい ・明らかに書籍を読まず、通常の文学には食指を動かさない「ケータイ小説」の読者の心情を理解し、彼女たちに向けた言葉をつむぎなおして、最終的に世の中をよくすることに役立てる いやホント、笑うところじゃないから。まあ、「ケータイ小説」の読者が奪っているのがマンガの読者か、ライトノベルか、ゲームかはわからないし、商売上の分析をするのはわからないではない。
「バロック」「キングオブワンズ」「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「魔導物語」等のゲームを監督/脚本/企画した米光一成のSite “ケータイ小説に関して何かを語ろうとする場合、なにはさておいても、浜崎あゆみについて触れなければならない。” から始まる速水健朗『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』がおもしろい。 そう。「浜崎あゆみ」なんだよなー。 『國文學 2008年 04月号』に「ケータイ小説の新しさと古くささ」という論考を書いたとき、浜崎あゆみに触れたかったのだけど、ぼく自身詳しくなかったので、うまくそこに言及することができなかった(『恋愛小説ふいんき語り』の『恋空』の項では、チラっとふれていたはず)。 速水健朗『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』は、まずケータイ小説で描かれる内容が、古くから少女たちの間では定番の物語であることを指摘する(『ポップティ
"いま本を読む人は、研究者や評論家や編集者といった職業読書人を除くと、むしろ多くの「弱者」たちなんじゃないだろうか。自己啓発本やベストセラー、ケータイ小説やライトノベル、あるいは格差本やワーキングプア本といった出版商品(と呼ぶべきだろう)の売れ方は、そんな実態を連想させる。*1いまも本のもっともよき消費者は、主婦や中高生だろう。そうなると、「自分の読みたい本は自分で選べ」というのは、書店の実態からも消費者の実態からもかけ離れた、「強者」の論理でしかないということになる。 「強者」の論理、あるいはエリート主義で本や書店の問題を語ることには限界がある。梅田望夫の本への感想を書いた、先のエントリー http://d.hatena.ne.jp/solar/20080610#p1 と同じ結論になるが、とりあえずは知的中間層(大学生、ビジネスマン)の押し上げしかないとないと思う。おそらくこの層(20〜
ケータイ小説狂騒曲、その後 『ケータイ小説はブンガクの夢を見るか?』2008年6月10日[評者]落合早苗 6月の新潮文庫のラインナップに、以前このコーナーで紹介した『いじわるペニス』(内藤みか著/新潮社)がある。縁あって、その解説を寄稿させていただいた。著者でもないのに、そわそわして書店店頭の文庫新刊台をチェックをしていると、同じ内藤みか氏による共著『LOVE※』(内藤みか・尾谷幸憲共著/講談社文庫) 、『恋空スペシャル・バージョン』(美嘉著/アスキー・メディアワークス魔法のiらんど文庫)が並んでいる。 『いじわるペニス』はコンテンツ課金モデルとして、『LOVE※』はlivedoorモバイルでの集客モデルとして、そして『恋空』は昨年のベストセラーを賑わせたコミュニティ発信モデルとして、それぞれ話題となった。よりイメージしやすく分類するなら、『いじわるペニス』は雑誌型、『LOVE※』はフリー
速水健朗新刊(原書房)。ちょうおもしろい! 社会学的な見立てもばっちり決まって、綿密なリサーチと共に展開される論旨も説得力じゅうぶん。ケータイ小説を論じながら、同時に郊外論であり、携帯電話の普及にともなうあたらしいかたちのコミュニケーション論でもあり、九〇年代から〇〇年代にかけての文化論でもある。こうしたたくさんのキーワードが、速水の提示するひとつの枠組みの中にぴったりと収まる気持ちよさが味わえる好著でした。これ、すごくいいですよ。「なにかを上手に説明されるとすごく気持ちがいい」というわたしの性格にぴったりの一冊、「説明されたがり」の欲求を満たしてくれるテキストである。 わたしは東京に住んでいて、ふだんは新宿の紀伊国屋か、渋谷のブックファースト(移転してからはいまひとつ好きではない)、もしくはパルコ地下のリブロで本を買う。映画を見るのも、同じく新宿か渋谷。車は持っていないから、買いものをす
総合1位「ホームレス中学生」 今年上半期の書籍ベストセラー(トーハン調べ、昨年12月〜今年5月)が3日発表され、昨年の年間ベストセラー文芸部門でベスト3を占めた「ケータイ小説」は、9、10位にランクインするにとどまった。 ケータイ小説は、携帯電話やパソコンのサイト上に横書きで発表される小説。10代〜30代の女性らが実体験をもとに創作し、同年代の女性を中心に読まれている。美嘉著「恋空」(スターツ出版)など、書籍化され100万部を超えるヒットも出ており、昨年の年間ベストセラー文芸部門ではベスト10の半数を占めたが、今回は9位のreY著「白いジャージ 先生と私」(同)、10位のメイ著「赤い糸precious」(ゴマブックス)の2作だけだった。 情報社会に詳しい国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員の鈴木謙介さん(32)は、「ケータイ小説の総数が増えた結果、大きなヒットは出なくなったの
皆さん、初めまして。 ライブドアパブリッシングの窪田です。 以前このブログで、ライブドアパブリッシングについてのお話と、本ができる工程について、同僚のシベリアンが書いてくれたので、 今回はその先のお話をしたいと思います。 本は作っただけでは売れません。 本屋に並べただけでも売れません。 そして、いい本が必ず売れるということもありません。 皆さんもミリオンセラーになっている本を読まれたときに 「え? これが本当に100万部も売れたの?」 と思われたことも一度ならずあったのではないでしょうか。 私はよくあります。 いかに、その本の読者ターゲットに 「あなたちが欲しいと思っている本が出たよぉぉぉおぉー♪♪♪」 と何度も何度も刷り込むかによって、本の売れ行きが大きく変わってくるのです。 そこで今回は、ケータイ小説『俺はお前を一生愛す』(略して『俺愛』)のプロモーションについてお話したいと思います。
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日午前、都内で会合を開き、携帯電話の有害情報から小中学生を守る対策について討議し、今月末にまとめる報告書に、小中学生には「教育的な観点から携帯電話を持たせない」との項目を明記することを決めた。 保護者や業者に対する強いメッセージとして盛り込むことにしたものだ。報告書は福田首相に提出する。 懇談会はまた、保護者に対し、携帯電話の機能を通話と居場所確認に限定したものだけを持たせるよう提言することでも一致した。 子供が携帯電話を持つことについて、福田首相は15日、「必要性がそれほどあるとは思わない。むしろ有害情報の心配をした方が良い」と記者団に語るなど、疑問を呈している。
今回のエントリーは ケータイ小説はケータイメール文化圏から生まれたもの。 だから、同人小説とかオンライン小説とは、ちょっと違う背景を持っている 読者はメールと同じ画面でケータイ小説を読んでいる。 作家と読者の関係は、活字時代とはちょっと違う。 という考察です。 長電話 最近の「ケータイ依存症」は、長電話で話すのではなくて、「メール依存症」が問題になっているのかな? 90年代は「電話依存症」というのが問題になっていた。 要するに「長電話」のこと とある1997年作成の用語集の項目「携帯電話の文化」より PHSは外出時に使えるコードレス電話として開発されたが、実際は安価な携帯電話として受容され、最近は十代の若者が長電話するための道具として特化しつつある。ポケベルはかつて専ら業務用だったが、90年代に十代の若者に普及し、数字や文字をやりとりしながらコミュニケーションを楽しむ文化が生まれた。参考:
文学フリマなるところに行ってみたところ、ゆと部報なる珍書が売られていた。ゆとり世代がつくった同人誌だそうである。ゆとり世代部のid:amuhimaくんが「冊子は薄いし中身も薄い!」という営業トークをしていた。「部屋のインテリアに!」という掛け声をしていた者もいる。 もちろんこれは謙遜だろう。一読してみたが「ゆとり世代」がケータイ小説読んで馬鹿になっているというのは何かのデマではないかと思う。仮に馬鹿になっていたとしても、それは自分が馬鹿であることを知っている馬鹿、すなわち自らが無知であることを知っている賢者である。 小説に対するひとことレビューをまとめておく。 タイトル 作者 レビュー 冷蔵庫 littlelielittle 狭く冷たいところでも、気持ち次第で広く暖かくなる kopy machine littlelielittle 「もうひとりの自分」が人気なのは自己申告のデータだから?
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