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2020年2月27日のブックマーク (2件)

  • サイバーフェミニズムはトランス排除を正当化できない①|社会学徒のアライさん(シャライさん)|note

    私は公然と「バッド・フェミニスト」を名乗ります。なぜかというと、私は欠点だらけで、人間だから。私はフェミニズム史を熟知しているわけではありません。私はフェミニズムの主流からはずれてしまうような関心、個人的資質、意見を持っているけれど、それでもなおフェミニストです。そういう自分を受け入れることがどんなに晴れ晴れとした気分か、言葉では言い表せないぐらいです。 ロクサーヌ・ゲイ[1] うぅえるかむ to じゃぱりぱーく! シャライさんのnoteにようこそなのだ! 突然だけど、今この文章を読んでくれてるフレンズたちはフェミニズムあるいはフェミニストに対してどういう印象を抱いているのだ?notetwitterと親和性がとても高いプラットフォームなので、おそらくこれを読んでいるあなたはtwitterに登録している、あるいはtwitterのリンクからここに飛んできたって人も多いとシャライさんは踏んでい

    サイバーフェミニズムはトランス排除を正当化できない①|社会学徒のアライさん(シャライさん)|note
  • 「無能」は多くの場合、「個人の能力」ではなく「組織の能力」が不足している。

    「無能」という言葉を聞いて、気を悪くする人もいるかもしれない。 が、無能とは、すなわち成果を出す能力の欠如であるため、会社を運営する上で「無能」をどう扱えば良いかは、常に頭の痛い話だ。 事実、ピーター・ドラッカーの著作には「無能」という言葉が多数使われている。 彼は非常に「無能」を問題視していた。 無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーを必要とする。 しかるに、多くの人達、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命になっている。 資源にしても、時間にしても、強みをもとに、スターを生むために使うべきである。 ところが「無能」の解決は、そう簡単ではない。 なぜなら、無能は 「頭が悪い」 「コミュニケーション能力が不足している」 「粘り強くない」 といった、わかりやすい個人の性質ではないからだ。 誤解をしている人もいると思うが、仕事をする人間の能力

    「無能」は多くの場合、「個人の能力」ではなく「組織の能力」が不足している。