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2009年5月5日のブックマーク (9件)

  • ∀ ガンダム第28話「託されたもの」 - 玖足手帖-アニメブログ-

    ・星山博之 絵コンテ・西森章 演出・西森章 作画監督・しんぼたくろう/中田栄治 http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/3829/words28_TurnA.html http://www.turn-a-gundam.net/story/28.htm 「ディアナ奮戦」以来、久々の星山脚。 なんだが・・・。いろんな意味で破たんしているように見える…。 おれ、富野信者だし、星山さんはすごいベテランでヒットメーカーだと思うから、そんなに批判したくないんだけど…。 これ、駄目だろう。 と、思った。しかし、星山さんが破たんした脚を書くだろうか?3月中にこの話を見たのだが、いろいろと忙しかった。ので、1ヶ月くらい、考えたり、mp3ウォークマンに録音して聞き直したり、考えた。いや、まあ、ガンダムを録音して聞くのはGacktでもやってることだから、

    ∀ ガンダム第28話「託されたもの」 - 玖足手帖-アニメブログ-
    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    しかし、連休にならないと更新できないとか、他のエントリを書かないように力を配分することを覚えないとなあ。富野ブログを書くのは心地よく疲れるが、パンチドランカーになりそう
  • なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - umeten's blog

    アニメだからという理由で、「客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。」というのが許されるから。 もうそれは「ハードルが低い」のではなくて、「ハードルをなぎ倒している」ことになると思う。 でも、アニメだからという理由でまたそれが「萌え要素」*1にカウントされてさらにぐだぐだに。 こなた理論に基づいて曰く、「つかさはかわいい馬鹿キャラだけど、ドジっ子が実際に身近にいると実害があってウザイよね〜」*2 <自> なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - mattuneのアニメとか作画とか http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090505/1241459422 *1:アニメファン≒アニメに言及する者のたしなみ *2:単なる「アニメ萌え」=感想も面白いけど、ロクな分析的パースペクティブの持ち合わせもないものまで批評に含まれるとなるとどうしようもない

    なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - umeten's blog
    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    さてさてさて、みんなー!グダちんが何となく書いたことからクネクネの輪が広がっていっているよ~!クネクネするときは心を明るくして精神的に離れてみてねー!
  • ガンダム30周年イベントに富野由悠季監督制作ショート映像

    ■富野由悠季監督、イタリアにて受賞 先日のイタリア受賞に引き続き、第2報です。今回は吉井会長の口から発表したものですから、間違いはほぼありません。まず、レポートを見てください。イタリア語だけど。 ●Tomino in Italia - Reportage dal Cartoons on the Bay(富野に関する記事らしい) ●Yoshiyuki Tomino in Italy(写真集!) ●Gundam Unicorn: Confermato il film!(ユニコーンが映画化の記事らしい) で、ユニコーンの記事のなかの動画を見てください。そこには、サンライズのガンダム30周年に関する展開の吉井による宣告があります。以下はあくまで自分が聞き取れる内容+自分の偏見の塊なので、聞き取れない部分や間違ってる部分は一杯ありますので、もし誰か正しい内容に教えてくだされば、ありがたいです(秒数は

    ガンダム30周年イベントに富野由悠季監督制作ショート映像
    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    忙しくてよ見逃してました。すみません。ビッグサイトに行こう。マジで。
  • たまには“神経”も労わってあげてくださいよ  - シロクマの屑籠

    GWもそろそろ後半戦。 充実した時間を過ごされた方も多いんじゃないかと思う。 反面、身体や神経を使い果たして疲労困憊、とにかく休みたいという人も結構いるんじゃないだろうか。特にGWの場合、ストレスの溜まりやすい4月直後の連休ということもあって“心の充足感”を夢中に求めてしまいやすく、気付かぬうちに疲労を溜め込んで体調を崩してしまいやすい。 メンタルヘルスを語る際、人々は“心の充足感”に着眼するし、“他者への依存”や“承認欲求”などに強い関心を示す。そして、よく語る。世間でも、「コミュニケーションを介して他人から元気をわけてもらう」などといった表現がまかり通っている。 けれども、コミュニケーションやレジャーの類は“心の充足感”には寄与しても、“神経の疲労”をとってくれるわけではない。そして神経が疲労しすぎてくれば、楽しいものも楽しめなくなるし、仕事でもプライベートでも領発揮が困難になってし

    たまには“神経”も労わってあげてくださいよ  - シロクマの屑籠
    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    で、おれはさっきガンダムの長文感想で神経運動をして、マラソンの後のような心地よさを味わっているわけだが。パンチドランカーになりそう。でも、やらないとそれはそれでストレス。とりあえず、寝るときは寝る。
  • CLANNAD──さいごの毒吐き - おでんといえば大根

    充電期間(笑)中なのでぬるめに。 番外編で和んだので、はてな界隈のCLANNAD記事を軽く読んでたんですが。 ボクの最終回までの感想はこれ(http://d.hatena.ne.jp/nemuke/20090315/1236958328)。 否定的ですよ。 肯定意見としては例えばコチラ様。 http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20090322/1237731128 でも真剣に生死を書いてるのかと思わせておいて、不思議パワーで人生やり直しとか死が軽くなってると感じたんですが。ボクはね。 前にも書きましたけど近しい人の死も含めて人生なんであって、その死を無かったことにして幸せになりましたってのがひっかかってるんであって、理解しきれないとかそういうことじゃないのです。 で、世界観理解としてはこういう考察が。 http://blog.livedoor.jp/basicc

    CLANNAD──さいごの毒吐き - おでんといえば大根
  • 『機動戦士Zガンダム』 第37話 「ダカールの日」 囚人022の避難所

    恥ずかしながら、約ひと月ぶりの『Zガンダム』再見日記です。さすがにレンタルし直してきて見返したんですけど、意外にも違和感もなく、飽きもせず。不思議なもんであります。富野アニメでは例外的に、気持ちのいい「完」に向かっていく物語ではないことは、当然分かっちゃいるんですけどねー。 劇場版ではオミットされたエピソードのひとつ「ダカールの日」。シャアとカミーユの二回目の地球降下自体が、『ZZ』の製作決定で引き延ばされた『Z』後半エピソードの一環なのだろうなーと思いながら見ておりますが、再登場したアムロがなかなかカッコいいセリフを言っています。それはいいんですけど、この後の展開(『逆襲のシャア』まで含めて)を知っていると、微妙ですよねぇ。 それにしても、この回の作画の悪さは何なんでしょう?今だったら「作画崩壊」と騒がれてもおかしくないレベル。 一話完結のエピソードとして見てみると、この「ダカールの日」

    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    "(カミーユが)「人って絶対に分かり合える」などという、はかない希望に取り付かれて""彼の神経がもう持たなくなってしまう遠因になってしまっている"これは無邪気なSFの00にはない視座。
  • なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか

    前回のブクマレスを兼ねて、 ブコメの情報を取り入れてみた。 Q、なぜ、感想と批評の境界があやふやなのか A、 第一に、話題にすべき要素が多く、ただの感想に見えにくい(前回から流用) 第二に、批評のハードルが低い →なぜ批評のハードルが低いのか? ?一見、批評のためのヒントが多い(=簡単そう) ?先人が少ない(=難解な批評用語が少ない) ?原作との比較でお手軽批評(原作モノ限定) 第三に、感想に自分語りが混じって、批評っぽく見える(実際にはただの感想) ・批評と感想 批評と感想の違いは客観的か主観的かの差だと思います。 客観自体が存在するか、とかの哲学的な問いはスルーします。 つまり、批評というのは、 あるかないかも分からない、その作品の「客観的な評価=正解」 を探る作業だと思うわけです。 まあ宝探しみたいなものですね。 zsphereさんの言うように、そんな宝はないのかもしれない。 「漱石

    なぜ、アニメは感想と批評の境界があやふやなのか - まっつねのアニメとか作画とか
    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    言及されませんでした。(笑)まあ、論旨は僕も同じことを考えているので、(つまり感想と批評のグレーゾーンがあるということ)なので、これでいいです。僕はアニメに限ったことじゃないとは思いますが
  • アニメの『批評』とか、『感想』とか 囚人022の避難所

    設問;アニメ感想はなぜ批評に近くなるのか - カオスの縁 ――無節操日記 『批評』って何なんだろうと分からないまま、『感想』を書き続けている私なんですが、zsphereさんの上記の設問への反応に興味深いものがとても多かったので、自分の整理用に少しメモしておきます。 「アニメ感想」の困難(←何度目だ) - トボフアンカル・ミニ・メディア(T:M:M) まず一応言っときますがいわゆる「アニメ批評」には興味はありません。興味があるのは(というかそうならざるを得ないのですが)、「感想」の方です。個人的には(もうはっきり言いますが)「アニメをダシにした自分語り」以外興味ないし、それしか出来ません。 中途半端な知識、伝聞で書きながらも、そういった用語を使うことで読み手に「批評」と誤解される可能性が高い。「感想」なら、そんな用語を使わなくったって書けるはず。「批評」じゃないんだから。でもそのハードルは高

    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    ”誰かの『愛』に応え得るものといえば、(たとえどんなに貧しくとも)自らの『愛』でしかないじゃないですか。”
  • けいおん!を本気で考える その2 ~けいおん!がここまで盛り上がる理由~ - 日記

    nuryouguda
    nuryouguda 2009/05/05
    日常を描いた作品が受けるらしい。理由は軽いから。日常って軽いか?じゃりン子チエとか赤毛のアンの高畑日常ものが軽いかどうかはともかく、面白いよな。昔からあるよー