少し前のニュースですが、「「EMだんご」で阿蘇海浄化 宮津 住民ら1000個投げ入れ:京都新聞」を読んで、大変驚きました。 EMとは、乳酸菌、酵母などの「人間にとって」有用と考えられる微生物を集めたものをいいます。 このEMは、堆肥等に使う人がいるほか、「掃除や洗濯に使うとよい」といった口コミを介して、家庭にも広まっています。米のとぎ汁を用いて自宅で培養し、手渡しで伝えられたりもしているようです。EMの培養液そのものを、霧吹きなどで流しや床に吹きかけると、悪臭がなくなったり、きれいになったりする、ということのようです。 そのような効果があることが学術的に証明されたという話はまだ聞きませんが、流しや床の掃除、または水の浄化槽など、限られた条件の中であれば、ある程度の効果を示すかもしれません。 しかし、ここしばらく、このEMを河川などの自然環境にそのまま投入して水質の向上をはかる、と
太平洋戦争が終わって国民国家という概念は表面上は消え去り,没個性の 20 世紀が 終わって日本も「多様性」の社会になったと言われる.士農工商の時代には 人口のほとんどが農業従事者で,同じ様な生活をしていた.戦争の時代には 心の底はいざ知らず,表面上はみんな天皇の為に戦うことで一致団結していた. 高度経済成長でもほとんどが中流家庭を演じ,同じモノを買い同じモノを食べ 同じテレビを見ていた.長いこと「一様性」の社会に親しんで来た日本人だけど, ここ近年様子が違うなというのはみんな感じているだろう. 「一様」という社会 生来的には国内一様が理想であるはずの公教育ですら「子ども達の個性を大事に」とか なんとか言っている.彼らが言う個性は「ある方向」という大きな枠組みの中での 多様性に過ぎないので本質的には多様性ではない.しかしまぁそれでもだいぶ 多様性に近づいたとは言えるだろう. 人間は本質的には
大 阪 大 学 教 育 学 年 報 第12号 刃ηη∂130fβ4召o∂1ゴoηa15友 」(∫fθ3Vo1.12 27 グラ ウ ンデ ツ ドセ オ リー と現 象 学的記 述 の位相 につ い ての一 考察 梁 誠 崇 【要 旨】 本研 究は,質 的研究法の代表的 な方法論の ユつであるグラウンデ ッ ドセオ リー について批判的検討 を行 うもので あ る.グ ラウンデ ッ ドセオ リーは,誇 大理論を相対化 し,非 理論的性格か ら出発 した方法論 としてその適用範 囲を 広げるこ とがで きた一方で,方 法論 と しての評価基 準を確立 してい くために,分 析技法 としては実証 主義的性格 を 帯びるよ うになった.そ のために現象への介入やデータ収集 において認識論的課題 を残す結果 とな り,さ らに公理 論の志向性 によって現象の記述性 が損 なわれ る可能性 をもつ
「現実と虚構の区別」の話は今までも別の文脈で何回かしたわけだが、今回はこれをメインテーマにしてきちんと書いておこうと思う。 よく「アニメやゲームのような虚構ばかりを見て育つと、現実と虚構の区別がつかなくなってしまう」と言われる。アニメやゲームのことをわかっていれば、当然、こんなに一般的なことは言えるはずはない。アニメやゲームはいろいろな種類があるのだから。 しかし、だからといって、これをまったくのウソだと言うこともできない。現実と虚構の区別がつかなくなってしまうタイプのアニメやマンガやゲームは確かに存在する。そして、そういうものの影響で、実際に区別がつかなくなってしまっている人も少なからず存在する。そして、同じアニメを見ても、受け取る側の問題で、現実と虚構を見分けられないこともある。これは主に見る側の問題だが、これらが虚構である以上、この問題に対して影響なしと言うことはできない。 今回は、
前のエントリに、はてなブックマークがついていました。 http://b.hatena.ne.jp/ublftbo/20090503#bookmark-13265956 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://discontinuous.blog44.fc2.com/blog-entry-112.html lets_skepticさんの発言に違和感を覚えた人と覚えなかった人の相互理解が進んだのはいいことだと思うんですが、しかし問題は、 「lets_skepticさんの今回の発言をどう捉えるか」ではなく、 「lets_skepticさんの発言とそれに対する反応のように、傍から見ていて『身内に甘い』と思われがちなやり取りがニセ科学蔓延対策活動をしている人のブログなどではしばしば見られるのではないか(だとすればそれに対してどうするか)」 なのではないかと……。
A)僕たちはありもしないものを見る 【呪術は全面的な因果性をその公準とする】ネタの続きというか補足というか。 僕たちはランダムなパターンの中に何らかの意味を見出すような心性を生まれつき持っているようですにゃ。インチキやプリントミスでない心霊写真というのは、だいたいランダムなパターンに顔を発見してしまうものですよにゃ。【後から】意味を見出すということにゃんね。 心霊写真のほかに、典型的なのが例えばこれ 第2次世界大戦で空襲を受けたときのロンドン市民の反応など歴史事例にも、この傾向は見られる。戦後の統計解析では空襲は都市全体にランダムに行われたことが明確に示されているが、人々は都市の特定の場所が狙われ、別の場所は狙われていないと確信していた。狙われていない場所に住む人々は、ナチのシンパだと疑われ、生活や安全を脅かされた。そして、狙われていると思われる地区から人々は、実際に系統的空襲ではないのに
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
いま授業でヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)を読んでいる。テキストとして遣っているのは、『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳、岩波文、2005)。これは、かつて思索社から刊行された『生物から見た世界』(日高敏隆・野田保之訳、思索社、1973)の前半部を改訳したものである。事実、新しい訳のほうが数段読みやすいし正確な訳となっている。 ただ残念なのは、一つに、旧版の後半部をなす「意味の理論」が収載されていないこと、二つに、古いテキストでカラーの挿絵だったものがモノクロになったこと、三つには、古い版ではポルトマン(Portman)とトゥーレン・フォン・ユクスキュル(Thure von Uexküll )の解説が併載されていたのだが、今回の文庫版ではこれらが割愛されたことである。 『意味の理論』(Bedeutungslehre)はぜひとも新たに訳出して欲しか
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
まずは、ジェイムス・ギブソンの主著の一部を自分で翻訳(これでも意訳気味)してみました。 まとめ 媒体、物質、表面、対象、場所、他の動物はある動物に対するアフォーダンスを持っている。それらは、利益や危害を与えたり、生や死を与えたりする。これこそがそれらが知覚される必要のある理由だ。 環境のもつ可能性とその動物の生活の仕方はいっしょで切り離すことはできない。環境には動物ができることが含まれており、生態学におけるニッチという概念にはその事実が反映されている。限界の範囲内において、人間種は環境のアフォーダンスを変えることが出来るが、それでもある状況の下にある生き物なのだ。 物の物体的特性に対して刺激の中の情報が存在し、さらに思うに環境の特性に関する情報が存在する。私たちが物事の意味を学ぶことが可能になる前に私たちは物事のもつ変化間の違いを見分けていなければならない、ということを導く原則は疑わしい。
精神科Q&A 【1087】家の中にストーカーがいます Q: 38歳の弟のことです。 もう7~8年、定職に付かず家にいます。 以前から、姉である私に対して、幼稚な嫌がらせをしたりしていましたが、最近はそれがエスカレートしております。 私の部屋と弟の部屋は、本来続き間ですが、襖を閉め家具を置くことで分けております。 建具では、壁のような防音効果は無く、お互いの立てる物音が、全て筒抜けになります。 平日の弟は、私が起きる時間より1時間~30分早く、大音量で目覚ましをセットして起きます。 私が起きて階下へ降りると、後から降りてきます。 私が二階へ上がると、直ぐに二階に上がって来て、私の部屋の前で気味の悪い声を上げて笑い、自分の部屋のドアを勢いよく閉めます。 朝の支度で、何度も二階と一階を行き来する時も、その度に同じくついてきます。 洗面所を使うと、直ぐ後に洗面所を使います。 手が汚れたりして洗いに
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