生涯で二度目の自殺をしようとした時、ぼくは当時カンボジアに住んでいた父母の家に国際電話をかけた。夜中の1時頃だったと思う。寝ぼけ声で電話に出た父に対し、ぼくはこれから死のうと思うということと、これまでの恨み辛みからくる呪いの言葉を吐きかけて、叩きつけるように公衆電話を切った。日野市にある高幡不動駅の駅前にあった公衆電話だ。ぼくが32歳の時なので、今から11年前の西暦2000年の時のことだ。 死のうと思ったぼくには、その前に一つだけ行こうと思っている場所があった。それは多摩クリスタルだった。ぼくは、二度目の自殺を決意するずっと以前から、自殺をしたいという思いに長い間とらえられていて、自殺についていろいろ思いを巡らせたり敏感になったりしていた。その中で読んだ『ナニワ金融道』に、自殺についてのエピソードがあった。ナニワ金融道 (9) (モーニングKC (341))作者: 青木雄二出版社/メーカー