■断絶の4年間 ■「自由」ではなく劣化した「組織」 ジーコの就任で「組織」から「自由」に方針が変わったといわれている。これはとんでもないミスリードだ。 フランスW杯での敗退以来、「個」の能力差を「組織」で埋めることが日本の基本方針だった。攻撃面では局面で数的有利を作り、複数人のコンビネーションで崩す。守備面でも数的有利を作ることが基本だ。1対1でも簡単に飛び込まずパスコースを限定しながら相手をサイドに追い込み囲い込んでボールを奪う。攻守両面において数的有利を作るためには、組織的な規律を保ちながら、あえてゾーンバランスを崩す高度な判断能力とそれを支える豊富な運動量が必要不可欠だ。 筆者はサッカー新聞『エル・ゴラッソ』に寄稿した今大会の総括で「明確な戦術的方針を打ち出さなかったジーコ率いる日本代表は必然的に選手が普段慣れ親しんだJリーグの戦術を選択した」と書いた。つまり、ドイツW杯での日本代表
イタリアに敗れW杯の舞台から姿を消すことになったオーストラリアだが、ヒディンク監督のカリスマ性は増すばかりだ【 (C)Getty Images/AFLO 】 オーストラリアは泣いている。終了間際、イタリアに与えられたPKはオーストラリアにとって不可思議で、その結果敗れたことに怒りと悲しみを募らせている。ヒディンクも、「(審判は)あまりに簡単にPKを与え過ぎだ」と納得していない。しかし、もしカンタレホ主審がPKの判定をしなければ、今度はイタリア人が怒っただろう。いずれの判定にしても、レフェリーの笛が万人を納得させるのは不可能だった。 それにしても、ウルグアイとのプレーオフから始まったヒディンクのチームビルディングには、やはり“恐るべし”と思わされた。イタリア戦でもチームにオートマティズムがあり、選手の走り出しにまったく迷いがなかった。縦に出たボールの脇を、フリーの選手がスペースを目指して走
惨敗。一丸となれない選手たち。応援に熱が感じられないスタンド。 そんな雰囲気の中で、「サッカー好きじゃねえ奴は、見に行くな」とか「ドイツ行かねえんなら、最初からチケットに手を出すな」みたいに、今回、観光目的でW杯を見に来てた観客や、チケット争奪戦にのみ情熱を傾けた人たちが、やつ当たり気味に批判浴びてるだろうことは、なんとなく想像がつく。 でも、「サッカーが好きだ」っていう理由なんか、最初は誰にもないのだよ。「おめえサッカー好きじゃねえだろ」みたいなこと言う人だって、どっかのタイミングでサッカーを好きになったんだろうし、そしたら「好きになる前」ってのもあるはずだ。 「サッカーなんか見たことないけど、W杯を見たかった」という気持ちを、頭から否定してもしゃあないよ。そういう人ばかりのスタンドはなんだか国体を見てるような雰囲気で、実にうすら寒くて悲しいけど、でも、「初めてサッカー見るんです」って人
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