気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「ウィキリークス」が話題になっているが、それを語る論理は、まだ軸足が定まっていないように感じられる。 2010年12月24日付の毎日新聞で、そのジャーナリズム史的評価について疑問を呈した。今回は限られた紙幅の中で書かれたがゆえに、その寄稿文では省略されていた論旨の補充から始めて、いわゆる「ウィキリークス問題」の輪郭を改めて素描してみたい。 ウィキリークスによる米政府機密事項の暴露が始まった時、1971年に米紙「ニューヨーク・タイムズ」が米国防省の秘密書類を暴露した「ペンタゴン文書事件」を引く論者が多くいた。そして、両者を共に国家の情報統制に対する暴露報道の勝利だと謳いあげる。筆者が疑問を感じるのは、こうした断定的な評価だ。 確かに内部機密の暴
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