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Gのレコンギスタに関するohagi23のブックマーク (29)

  • Gのレコンギスタ劇場版の見どころ-富野流編集術と元気な作劇について

    Gのレコンギスタ 劇場版 行け!コア・ファイターを視聴。 令和になっても富野監督作品が見られてただただ嬉しい。 はじめに 私のとってTV版のGレコは 富野由悠季の「科学技術と社会経済の視点から見た世界に対する研究論文」という位置づけだ。 劇場版は主にアイーダ・ベルリの独白や(心情)描写のシーン、 互いが互いに触れてどう感じどう思っているのかを盛り込んだ。 結果、ベルリとアイーダの二人を中心に少年少女と大人が 文明崩壊後の世界を生き抜いていく物語としての色を強めた印象。 富野監督は講演会などでGレコの欠点はドラマ(キャラ)を無視したことと自戒していて、 実際に劇場版ではどう修正してくるのか期待していた。 ドラマを無視した弱点を補強するように、アイーダはTV版以上に 気丈で主張が強く、でもカーヒルを失った悲しみで一人の時は涙を流す、 それでも姫であろうと振舞う描写を挿入することで、 Gレコの物

    Gのレコンギスタ劇場版の見どころ-富野流編集術と元気な作劇について
  • 「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である

    はじめに 「Gのレコンギスタ」最終話を視聴。 ベルり達の冒険がこれから始まるという幕引きだった。 宇宙、月、金星まで行って地球に戻ったベルリが下した結論は、 もう一度世界一周という旅をすることだった。 そして姉のアイーダはクレッセントシップで再び宇宙の旅に出る。 旅する事で得られるサムシングをベルリは、再び手に入れたかったのだろう。 元気いっぱいの未来へ繋がるラストだった。 さて、私が気になったのはベルリの旅の始まりの場所が日のある場所だったこと。 そして旅の道中でベルリが話した老夫婦についてだ。 ピンクの服を着てメガネの老人。どう見ても声を聞いても富野監督自身である。 その傍らにいる女性は、富野監督の奥さんの亜阿子さんであろう。 そしてベルリ達の奥では新幹線のようなものが走り、 さらにその奥には富士山がある。 富野監督、奥には富士山、新幹線のようなものが走っている。 この3つの要素から

    「Gレコ」最終話は「T(富野)のレコンギスタ」である
    ohagi23
    ohagi23 2015/03/28
    富野監督が小田原を描いたのがただただ嬉しかった。
  • 「Gレコ」の物語の本質と「G」に込められた5つの意味について

    「Gのレコンギスタ」25話を視聴。 物語も佳境を向えて、話の終着点も見えてきた感じだ。 では「Gレコ」の物語とは何だったのか。 異郷から故郷へ戻る物語としての「Gレコ」 まず富野作品における物語の大筋の傾向として、 異郷の地から故郷・祖先の地へ、元の所へ戻ろうとする展開が挙げられる。 1999年の「∀ガンダム」では月から地球へ帰還する人たちの物語。 2002年の「キングゲイナー」ではウルグスクからヤーパンへエクソダスする人々の物語。 2006年の「リーンの翼」ではバイストンウェルから日へ戻ろうとするサコミズ王の物語。 「Gレコ」も、月のトワサンガ・金星のジット団といった宇宙の諸勢力が レコンギスタという名目で地球に戻ろうとすること。 そして地球育ちのベルリとアイーダ達が宇宙に旅立ち、 月と金星へ向かい、そして地球に戻ってくる事も含めて、 異郷(宇宙)から故郷(地球)へ帰ってくる物語といえ

    「Gレコ」の物語の本質と「G」に込められた5つの意味について
    ohagi23
    ohagi23 2015/03/21
    Gレコは宇宙という異郷から地球という故郷へレコンギスタする人々の始まりの物語
  • 「Gレコ」における巨大MAと女性の悲劇の歴史-バララとユグドラシル

    はじめに-ユグドラシルの魅力 「Gのレコンギスタ」24話はバララ・ベオールが乗る 巨大モビルアーマーのユグドラシルの描写が圧倒的だった。 ユグドラシル、北欧神話でいう世界樹の名を関する機体は伊達ではなく ユグドラシルが放つテンダービームが世界樹の形のように広がるビジュアルは 今までに見たことがないエフェクト表現だった。 戦争という凄惨な空間でありながら、テンダービームには美しさがあった。 これを見られただけでも、幸せだった。 巨大モビルアーマーと女性の関係性 さて今回の主役は、マニィがルインの元に戻って来たことで 自分の居場所が無くなってしまったバララ・ベオール。 さてバララがこの巨大モビルアーマーユグドラシルに乗ったのは ガンダムシリーズ的に色々思うところがある。 まず女性と巨大モビルアーマーといえば、 今まで1stガンダムであればララァ・スンがエルメス。 Zガンダムでいえば、フォウ・ム

    「Gレコ」における巨大MAと女性の悲劇の歴史-バララとユグドラシル
    ohagi23
    ohagi23 2015/03/14
    巨大MAは複雑な立場に立たされる女性の心を縛る居場所として存在している
  • 「Gのレコンギスタ」が抱える「想像」という問題意識

    「Gのレコンギスタ」20話を視聴。 今回、気になったキーワードは「想像」だ。 特に後半の戦闘が激化するあたりから、 「想像」をキーワードとする3つの描写が印象に残った。 今回はGレコの「想像」について、 作が抱える問題意識と合わせて見てみたい。 「想像しなさい」と「良い結果を想像しましょう」 まずベルリがジット団の攻撃に対抗するために、 オーシャン・リングの近くに行こうとする時のシーンの ベルリとアイーダの会話を見てみる。 ベルリ「ロザリオテンがあるところも見当がついてきました。 けどテンポリスはこの空域では姿は見せません。メガファウナどういうことなんです。」 アイーダ「想像しなさい」 ベルリ「想像しなさい。聞いたことがあるセリフ」 ベルリが聞いたことがあると言ったのは1話で アイーダがGセルフに乗ってクラウンにやってきた時、 ここでベルリがアイーダの通信を聞いた言葉だった。 (※↑1話

    「Gのレコンギスタ」が抱える「想像」という問題意識
  • 「Gのレコンギスタ」はグランドホテル方式のロードムービーである事について

    前に書いた記事と重複する部分もあるが 「Gのレコンギスタ」はロードムービー、もしくは旅番組のような作品なのかもしれない。 ベルリとアイーダが中心となりメガファウナに乗って地球と宇宙の様々な所に赴く。 ベルリはアメリア、トワサンガ、そしてビーナス・グロゥブといった各場所へ訪れ そこで人々と出合いながら、自分が知っていた世界が狭く、 育ての母親から教えられた事やスコード教だけではない世界があることを知る。 アイーダもまた、カシーバミコシに行けばトワサンガ、 トワサンガに行けば金星へ行くと言い、アイーダは一つ何かを知っては また新しい真実を知るために新しい場所へ向かおうとする。 その旅行先では国家があるものの、複数の派閥に分かれている。 そうした状況下でベルリ達は各勢力とロボットプロレスを行い、 戦いを通して人々の考えや人となりを知っていく。 宇宙旅行を通して、世界や自分の境遇の真実を発見してい

    「Gのレコンギスタ」はグランドホテル方式のロードムービーである事について
  • 「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。

    「Gのレコンギスタ」19話を視聴。 今回注目したいのは「考える」ということ。 クレッセントシップ内でベルリ達がエネルギー問題について話すシーンの一幕。 アイーダが強くアメリア側の主張を通そうとするが、 周りのみんなに「教わったこと」「感じていない」と指摘される。 以下、各キャラのセリフと照らし合わせて再現してみる。 アイーダが考えていたのは「刷り込み」でしかないこと ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。 そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。 その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」 アイーダ「エネルギーの配給権をキャピタルタワーに独占させたために他の大陸の人々は…」 ノレド「アメリア人だけの感覚だけで喋るな」 アイーダ「人の自由を侵害されています」 ベルリ「人は自然界のリズムに従うものでしょ」 アイーダ「でも、アメリアでは」 ム

    「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。
    ohagi23
    ohagi23 2015/02/08
    Gレコが難しいという指摘は、本編で考えること自体を問う部分が強く出ているからというのが一因だと思う。
  • 「Gのレコンギスタ」はカッコイイロボットアニメである事を訴えたい。

    「Gのレコンギスタ」18話を視聴。 この作品はモビルスーツのアクションと展開がカッコイイ。 今回はGレコのロボットアニメとしてのカッコよさについて語りたい。 クレッセントシップに痺れる 今回特に痺れたのは、クレッセントシップにメガファウナが逃げ込むシーン。 キャピタルのマスク、アメリアの天才クリム、そしてトワサンガの攻勢から回避し、 引いてはビーナス・グロゥブとヘルメス財団に会いにいくのが目的。 ここでクレッセントシップを傷つけると政治問題になるということで、 どの勢力も傷つけないように最初は配慮するのだが、 戦闘が激化すると、一番敏感なはずのトワサンガですらビームは使ってしまう。 そんな中、メガファウナがギリギリの所で、クレッセントシップに入り込む展開。 傷つけないように飛行するステアを含めたメガファウナのクルー達。 船体が当たらないよう、モビルスーツで抑える、アイーダとラライア。 そし

    「Gのレコンギスタ」はカッコイイロボットアニメである事を訴えたい。
    ohagi23
    ohagi23 2015/02/01
    毎回のように新MSや新戦法が登場し活躍する。それがGレコの最大の魅力。
  • 富野作品にみられる「アイーダ脱ぎ」について

    「機動戦士ZガンダムII 恋人たち」を視聴していたら 新規作画のエマ中尉のパイロットスーツの脱ぎ方が気になってしまった。 この脱ぎ方って、Gレコのアイーダ姫様と同じだなぁと思った。 (Gレコ2クール目OPから) 私はこうした股間辺りまでスーツを開いで脱いでいる 姫様の脱ぎ方を「アイーダ脱ぎ」と言っているが、 エマさんも「アイーダ脱ぎ」だったことがわかった。 むしろエマさんの方が先なので「アイーダ脱ぎ」は「エマ脱ぎ」かなと。 戦い始め、もしくは戦い終わった後の女性パイロットの 富野作品的パイロットスーツの脱ぎ方には共通点があるなぁと思った。 他の富野作品を見返したら、同じ脱ぎ方をしているキャラがいそう。 一方でパイロットスーツを開いていることは、 そのキャラクターの気持ちが開放的に向かっていることでもあると思った。

    富野作品にみられる「アイーダ脱ぎ」について
    ohagi23
    ohagi23 2015/01/24
    アイーダ脱ぎはエロい
  • 「Gのレコンギスタ」16話とベルリの感情

    「Gのレコンギスタ」16話は、ベルリとアイーダが トワサンガのレイハントン家の忘れ形見だという事がわかる話。 しかしそれ以上に重要なのは、 張りぼての人工的な自然しかないコロニーが生まれ故郷という事、 それ以上に想い人が実の姉であるという事に対して、苛立つベルリの姿だ。 「何がレイハントン家だ」 ベルリは半ばヤケを起こしてドレッド家側のMSと衝突する。 流石に相手を殺すような戦い方はしなかったものの、 他の誰もがいうように、戦う必要がない状況ではあった。 確かにベルリの気持ちもわかる。 豊かな自然の地球で育ったのだから、実はコロニーが生まれ故郷だというのは、 すぐには受け入れがたい事実なのかもしれない。 そんなベルリの、コロニーの人工的な自然やその構造に嫌悪感を表明する点が、 今までのガンダムの主人公像とは違っていたのが面白かった。 ただこうしたコロニーへの違和感や嫌悪が、やがて敵視へと繋

    「Gのレコンギスタ」16話とベルリの感情
    ohagi23
    ohagi23 2015/01/22
    情緒に流される事への嫌悪を表明しているかのような富野監督の演出だった
  • 「Gレコ」が未来の技術を描く理由-「子供に見てほしい」富野発言の視点から

    はじめに 「Gのレコンギスタ」は何を見せたい作品なのか。 それは、リギルドセンチュリーで生きる人々の生活と 生活に活用される技術、そして戦争で使われる技術である。 Gレコで描かれる生活描写 ま今回冒頭にあったベルリのシャワーシーン。 ベルリが白い何かを頭にかぶりながらシャワーを浴びている。 おそらく頭髪を洗っているのだろうが、 こうした技術は今の世界では見られない。 今から遥か未来の世界だから、今には無い技術がある。 当たり前の話だが、こうした見たこともない技術を生活描写でサラっと入れる。 これが「Gのレコンギスタ」では大事な要素といえる。 他にも6話ではガムで歯磨きしていたり、今とは違う生活描写が描かれる。 軍事技術について 戦闘で目立つのは、エアバックの描写。 エアバックの描写は逆襲のシャアでもあるのだが、 TVシリーズのガンダムで戦闘シーンで印象的に使われているのは、 作が初めての

    「Gレコ」が未来の技術を描く理由-「子供に見てほしい」富野発言の視点から
    ohagi23
    ohagi23 2015/01/12
    今の世界にはない技術を子供に見せて想像力を刺激したい
  • 男と女の物語としての「Gのレコンギスタ」

    Gのレコンギスタ14話を視聴。 この作品は、宇宙世紀ガンダムの後の歴史を描く中で起こっている 地球や月の諸勢力同士の戦争をスコード教といった宗教や フォトンバッテリーといったエネルギーを交えながら 宇宙エレベーターを世界観の核として描いている。 しかし、こうした戦争中の世界を描く物語の中でも、 その根として描かれるのは、男と女の関係なのだろう。 上記のキャプを見ても、 男女が一つのショットに収まるものを必ず入れてくる。 ベルリとアイーダ ベルリとノレド ベルリとラライア マスク(ルイン)とマニィ マスクとバララ クリムとミック ドニエル艦長とステア マッシュナーとロックパイ 特に14話はそれぞれの織り成す男女の関係性が垣間見えた点で面白かった。 例えばクリムとミックの身体接触を見ても、 二人の関係は相当に深いことがわかるし、 端的にいえば二人はセックスをしているという解釈もできる描写でも

    男と女の物語としての「Gのレコンギスタ」
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    ohagi23 2015/01/01
    富野作品は男女間の関係を直接的に語らず 距離感や身体接触をどう許しているかで見せる傾向がある。
  • Gのレコンギスタの「全体主義」と「戦争」と「旅行」の関係性

    Gの「レコンギスタ」13話を視聴。 今まで私はGレコを「戦争が起こるメカニズム」を描く作品としてみていた。 しかしこの作品が描きたいのは「旅行」「宇宙旅行」だとわかった。 戦争より旅行ー真実を探求するアイーダ それは、最後のアイーダがトワサンガに行くと決意したシーンで この作品は移動の魅力としての「旅行」が描かれることを再確認させられたからだ。 ではなぜ「旅行」が描かれるのか。 まず富野監督が「旅行」「宇宙旅行」を妄想し描くのが大好きだからだ。 富野監督は、宇宙に進出した人類はどんな技術・生活・宗教・価値観 を持っているかを考えて作劇をして世界観を作るからである。 そしてこの事以上に大事なのは、 「全体主義」と「戦争」を克服するために 移動の魅力としての「旅行」が挙げられるからである。 アイーダは月側の使者の「トワサンガ」という言葉を聞いて、直感した。 いくら月からの艦隊の言い分や、他の人

    Gのレコンギスタの「全体主義」と「戦争」と「旅行」の関係性
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    ohagi23 2014/12/21
    Gレコは旅行による真実の探求の物語
  • 「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く

    「Gのレコンギスタ」11話を視聴。 今回、キャピタル・アメリアといった各勢力がある中で 各勢力の内々では個々の思惑が働くことで、 どの勢力も一枚岩ではないことが描かれていた。 ではこの各勢力が一枚岩で描かれない意味とは何か。 この事を戦争がなぜ起こるのかという視点も含めながら考えてみたい。 首脳陣の考えが違うアメリア まず、アメリアの首脳陣の考えの相違についてみてみる。 今回は、クリムの父ズッキーニ大統領が主催する出陣式に パラシュートで降りてやってくるアイーダの父スルガン総監が 大統領のやり方に因縁をつける。 息子のクリムに戦艦サラマンドラを出陣させ キャピタル勢力と戦う事を宣言するズッキーニ大統領。 対して法皇を人質に取り、早期収束を図ろうとするスルガン総監。 スルガン総監はこの事を聞いていないために、統帥権の侵害だと感じている。 以下の会話を見てみよう。 ズッキーニ「キャピタルタワー

    「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く
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    ohagi23 2014/12/07
    Gレコは混沌化した世界を描く
  • 「Gのレコンギスタ」10話のヘルメット演出―荒木哲郎による進撃のレコンギスタ

    「Gのレコンギスタ」10話を視聴。 荒木哲郎さん絵コンテ・演出回のWIT STUDIOグロス回。 グロス回とはいっても、進撃の巨人を支えた精鋭スタッフ勢揃いなので いわゆる只のグロス回ではない。 むしろWIT STUDIOがサンライズにクオリティ合戦を 仕掛け殴り込みをかけるようなものであるという認識。 ただこうした各社ごとで競い合っていく様を見るのは、 見ている側としては楽しい。 11/28日に始まった「Gレコ」のラジオ、 「Gのレコンラジオ」に出演した小形プロデューサーも WIT STUDIOグロス回の出来栄えに悔しさを覚えると話していた。 特に荒木哲郎さんという若い才能が「Gレコ」に加わることで 「Gレコ」に新たなシナジーが生まれたような出来栄えだった。 「Gレコ」10話のヘルメット演出 さて荒木哲郎さんは、富野監督の作品や 富野作品に流れる気さが好きだったようで、 今回の10話で

    「Gのレコンギスタ」10話のヘルメット演出―荒木哲郎による進撃のレコンギスタ
    ohagi23
    ohagi23 2014/11/30
    WIT STUDIOが巨大なものを描いた「進撃の巨人」を手がけた後に、ロボットアニメの「Gレコ」を手がけるのは「進撃の巨人」の方法論を「Gレコ」に援用できる点で、良いタイミングだった。
  • 「Gのレコンギスタ」は違和感で出来ている-富野由悠季のレコンキスタ

    「Gのレコンギスタ」9話を視聴。 今回は「違和感」をキーワードに語ってみたい。 富野作品では、画面もしくは音響面においてあえて違和感を置くことで、 物語を停滞させないような工夫が施されている。 私がこの事を強く感じたのは、8話のマスク大尉ことルインとマニィの会話。 お互いがお互いの事を知りながら、あえて知らないフリをしつつ会話するシーン。 ただ素性を隠しているからこそ、マスク大尉は音も言える。 二人の仲の良さを違う形で表現した格好だ。 こういう「劇」を見せるのが、富野作品の醍醐味の一つだと思う。 今までのGレコの中でも屈指のシーンかもしれない。 しかし逆にいえばこうしたシーンはわざとらしいとも感じられるし そこには「違和感」があるという見方もできると思う。 ただこうした違和感を感じさせるような、 キャラ同士の掛け合い、物語の進行、もしくは画面上・音響上を あえて仕掛けることで作品を停滞さ

    「Gのレコンギスタ」は違和感で出来ている-富野由悠季のレコンキスタ
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    ohagi23 2014/11/22
    富野演出の真髄はあえて画面や音響に違和感を仕掛けることで、物語や映像面の停滞を防ぎ、盛り上げることにある。
  • 失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教

    はじめに 「Gのレコンギスタ」8話を視聴。 今回、特に強く印象に残ったのは、宇宙船で脱出したウィルミット・ゼナムが、 天体観測によって月に驚異が迫っていることを知るも 自身が信じているスコード教の教えを唱えつつ、 まるで思考停止のようなヒステリックな態度を取ってしまうシーン。 今回はヒステリックなウィルミット・ゼナムから 「Gのレコンギスタ」は何を描こうとしているのかを考えてみたい。 Gのレコンギスタと宗教 まず「Gのレコンギスタ」は、スコード教という宗教が重要な役割を果たしている。 それは1話のアバンが終わり、サブタイトルのコール後のカットは スコード教の大聖堂内で法皇がスコード教の教えを話しているシーンに移り変わり、 次に大聖堂の外に画面は移り変わり、続いてキャピタル・宇宙エレベーターを見せる という順番で世界を説明している点でわかる。 ※1話の大聖堂及びキャピタルの描写 つまり、まず

    失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教
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    ohagi23 2014/11/16
    自分が信じている、もしくは自分の中の宗教の価値観以上の事が起こると人は「ものを考えなくて済む」態度を見せることにある。
  • 「Gのレコンギスタ」と全体主義-状況に流される人達の物語

    はじめに 「Gのレコンギスタ」7話を視聴。 「Gのレコンギスタ」で気になっていたのは、 富野由悠季監督がここ数年語っていた「全体主義」について、 Gレコでどうこの事が反映されているのかどうか。 今回は「Gのレコンギスタ」と「全体主義」及び「独自で判断できる人」について考える。 ※全体主義とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想・政治体制の一つ。この体制の国家は、通常一人の個人や一つの党派や階級によって支配される。その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるシステム。全体主義の例としてドイツのナチズムが挙げられる。 富野由悠季監督とハンナ・アーレントと全体主義 富野由悠季監督は政治学者:ハンナ・アーレント及び彼女の「全体主義」を インタビュー等で何度も言及してきた。 富野「2008年に知ったということは今も勉強中で、ハンナ・アーレントの『全体主義

    「Gのレコンギスタ」と全体主義-状況に流される人達の物語
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    ohagi23 2014/11/08
    Gレコは純粋培養されたエリート達によって形成される組織の方針と教義を信じれば生きていける宗教によって、独自の判断ができない人を描いている作品だと思う。
  • 「Gのレコンギスタ」6話の「映像の原則」-ベルリとデレンセンの上手下手

    はじめに Gのレコンギスタ6話を視聴。 サブタイトル名、そしてEDの絵を含め、 デレンセンが死ぬとは予想されていたが、 実際に死ぬシーンは衝撃だった。 デレンセン「何で避けたんだ」 ベルリ「はい。常日頃、臨機応変に対処しろとは大尉殿の教えであります。」 ※1話でのデレンセンとベルリの会話 1話ではデレンセンの仕置を避けるベルリの描写があったが、 今回6話のデレンセンとベルリの戦いの結末が1話のこの描写の再現となったからだ。 デレンセン「ベルリ候補生だったか」 ベルリ「デレンセン教官殿」 避けて相手の懐に飛び込む、Gセルフの動きにベルリを感じ取ったデレンセン。 そしてエルフブルの動きに、同じようにデレンセンを感じたベルリ。 編中では描かれない、二人のやりとりが、この一瞬に詰まっていた。 さて、ベルリが殺してしまったカーヒルとデレンセン。 この二人は画面的にある共通点がある。 ※2話 Gセル

    「Gのレコンギスタ」6話の「映像の原則」-ベルリとデレンセンの上手下手
    ohagi23
    ohagi23 2014/11/02
    富野作品は映像の原則が貫かれて作られている。
  • 「四月は君の嘘」のOPと「Gのレコンギスタ」のEDに共通する止め絵の魅力

    「四月は君の嘘」のOPの出来栄えに感動した。 鮮烈な光と色彩 楽譜をかたどったイメージBG メロディとダイナミックにシンクロするカット割り どれも全てが素晴らしいハーモニーを醸し出している。 そんな中でも「四月は君の嘘」のOPで印象に残ったのは止め絵の使い方だ。 サビが流れる部分での、この二つの止め絵で繋ぐカット割りはすごく気持ちいい。 この二つの止め絵に関しては、 まず上の止め絵のカットは、下から上へと勢いよくカメラが動いて 次のカットは左から右にカメラがゆっくりと動く。 縦運動のカットから横運動のカットで繋ぐのが気持ちいい。 アニメの魅力の一つは、こうした止め絵を上手く使うことで、 絵を動かさなくても、心は動かされる感動を味わえることだ。 そんな止め絵を効果的に使った映像がもう一つ。 「Gのレコンギスタ」(以下Gレコ)のEDだ。 キャラクターの屈託のない笑顔は見ていて気持ちいい。 この

    「四月は君の嘘」のOPと「Gのレコンギスタ」のEDに共通する止め絵の魅力
    ohagi23
    ohagi23 2014/10/31
    止め絵の魅力を引き出した映像