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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (182)

  • 2020年の在名古屋米国領事館前ビラ撒き事件から始まったある救援活動をまとめた『自称・救援ノート』発売中です。 - ohnosakiko’s blog

    『自称・救援ノート 救援される前に読んどく』が刊行されました。私は執筆と編集で関わっています。BOOTHで冊子概要と目次を公開していますので、是非ご覧ください。https://jisyokyuennote.booth.pm/items/5270402 「自称」とは「自称・救援会」から来ており、「自称・救援会」は当時救援対象だった「自称・室伏良平」に倣っています。 活動家のハンドブックとして歴史の長い冊子『救援ノート』と似たタイトル・外見にしたのは、パロディではありません。当該が担ってきた役割を評価しつつも、それが基盤としている左派の運動の構えとは距離を置き、別の視点を提示しようとする我々のスタンスを示すものです。 今回、初公開の情報が多いので、一連の事件や救援活動についてTwitterなどで概略は知っていたという方も、是非「はじめに」から順を追って読まれることをお勧めします。 【参照】

    2020年の在名古屋米国領事館前ビラ撒き事件から始まったある救援活動をまとめた『自称・救援ノート』発売中です。 - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2023/11/28
    これまで伏せていた情報を公開し、救援活動のみならず(左派の)社会運動そのものに潜在する問題について提起しています。408ページで税込1500円。通販もあります。どうぞよろしく。
  • タロと名を呼ばれた時はタロになる自分が誰か俺は知らない - ohnosakiko’s blog

    飼い犬のタロ(柴のオス)が詠み手という想定の「犬短歌」をTwitterで詠み出して、半年経った。短歌や俳句に関して私はまったくの素人でほとんど作ったことがなかったが、偶然、主体が犬の俳句ができたのをきっかけに、面白がって始めた。 俳句もいくつか作ったが、短歌の方が圧倒的に多い。最初は犬画像とセットで出していたので、画像がないと若干意味不明になっているのも最初の方にはある。 「これはかなり制約だな」と思ったのは、人が抱くような複雑な感情を詠めないことだ。その代わり、子供目線は持てる。犬目線とは、私にとっては子供目線に近い。 もちろんそれも、私が勝手に想定している実はありえない犬の目線だ。私の「犬短歌」とは関係妄想の産物である。 途中で、歌人の荻原裕幸さんが目に留めて下さり、「タロのキャラクターがわかるようなのもほほえましいが、タロなのか大野さんなのかわからないようなのが、短歌としてはいいと思

    タロと名を呼ばれた時はタロになる自分が誰か俺は知らない - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2021/12/31
    2021年下半期の犬短歌はこちら。https://ohnosakiko.hatenablog.com/entry/2021/12/30/211306
  • 会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog

    去る5月1日、大阪で行われた合宿勉強会「集まるのが大事vol.2」(テーマ=反抗)の二日目に登壇し、以下のような内容で90分ほどのトークをした。 「反抗 vs 反抗 」の外へ―性的表現と性差別批判の弁証法― 【概要】 美術に現れる女性の裸体表現は、かつては神話の文脈と宗教の縛りの間にあったが、次第にその制約を離れ、個としての性表現へと変化・多様化してきた。一方フェミニズム批評による美術史の読み直しにより、作品中の男性視点や性規範が指摘されるようにもなった。近年は強い反発と撤去要請が起こるような事案も散見される。 議論を呼んだ主な女性ヌード表現及び批判の文脈を辿り、「反抗 vs 反抗」の隘路から「外」に出る視点について考える。 【内容】 ① 「女を見る」をめぐる男/女の非対称性 ② 西洋美術における女性ヌードの位相 ③ 近代日の西洋美術、性道徳の受容 ④ 「性差別」という批判の始まり ⑤

    会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2021/07/15
    >象徴の政治的効果の面から批判→抗議文を読めばそれは明らか。その「効果」をネガティブに感受する側に見えていない、美術の「表象の政治」は街のポスターの様な単純なものではないということを解説してるのだが。
  • 『パーマネント野ばら』と『ライド・ライク・ア・ガール』(連載更新されています) - ohnosakiko’s blog

    「シネマの女は最後に微笑む」第86回と87回のお知らせです。 ◆『パーマネント野ばら』(吉田大八監督、2010) modify2.forbesjapan.com 港町に生きる三人の女性の姿を通して浮かび上がる愛と哀切。第三者的叙述の中に、主人公視点を巧みに取り入れた演出。個人的には原作より好きです。再見して、笑ってちょっと泣きました。 主人公の秘密についてはテキスト後半で軽く触れますが、知っていて見るとなお一層味わいの増す作品かと思います。未見の方は是非。 先月NHK「あさイチ」に出演し、子育ての大変さを語っていた菅野美穂を見ました。ひと段落ついたらまた活躍してほしいな。 ◆『ライド・ライク・ア・ガール』(レイチェル・グリフィス監督、2019) modify2.forbesjapan.com 2015年に女性で初のメルボルン・カップを制した騎手の実話ドラマ。ケレン味のない演出で、女性差別に

    『パーマネント野ばら』と『ライド・ライク・ア・ガール』(連載更新されています) - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2021/06/16
    id:seven_cz 教えて下さってありがとうございます!直しました。
  • 遅まきながら『トーク・トゥ・ハー』 - ohnosakiko’s blog

    トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション [DVD] 出版社/メーカー: 日活発売日: 2004/02/16メディア: DVD クリック: 24回この商品を含むブログ (124件) を見るやっとDVDで見た(2002年、ペドロ・アルモドバル)。 ここでは女は、男に発見され一方的に見られ愛されるだけの存在だ。ほとんど男の幻想とフェティシズムの対象。ああやっぱりそういうことだったのかということです、身も蓋もなく言ってしまうと。 いずれも女の方が事故で植物人間になってしまった二組の男女。 片方はもともと男の方が片思い(ほとんどストーカー)だったべニグノ&バレリーナのアリシア、もう片方は恋人同士だった女闘牛士リディア&マルコ。女性がいずれも「一方的に見られる仕事」に関係しているのが、興味深いポイントだ。 そもそも二人とも、女とは一方向的な出会い方をしている。 ベニグノは窓越しにバレエのレッス

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2019/01/07
    ↓わーお、発掘して下さった方が!ありがとうございます。はてなダイアリーに来る前に他で書いた記事を、2007年にはてなに移行したものなので、あまり読まれてないのかなと。
  • 人は知らぬ間に差別者になり、事後的に反差別を選び直す - ohnosakiko’s blog

    最近、Twitterで千野帽子さんとやりとりさせて頂いた。質問と回答が若干前後しているがそのまま掲載。 では人はいつ差別者となるのでしょうか? それは他人の属性に否定的な意味づけをするときです。つまり、差別者になるかならないかは、自分の選択なのです。 人が被差別者となるのは属性によってであり、差別者となるのは行為によってです。 多くのばあい属性は選択不可能、行為は選択可能です。— 千野 帽子『人はなぜ物語を求めるのか』 (@chinoboshka) 2017年8月19日 RT 差別行為が「選択可能」とは思わない。それは気付かぬうちにしてしまっているものだと思う。赤ちゃんは誰も差別しないが差別のある社会の中でそれを覚えていく。言葉を覚えるように。そのずっと後で初めて己が差別者であることを知り「差別しない」という行為が「選択可能」になると考える。— 大野左紀子 (@anatatachi_ohn

    人は知らぬ間に差別者になり、事後的に反差別を選び直す - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2017/09/12
    「差別を含む社会構造」は、差別しよう、偏見を抱こうという「意思」を「原因」として生まれるものではない、ということを書いてるんですけど。>id:KoshianX
  • 人は知らぬ間に差別者になり、事後的に反差別を選び直す - 2 - ohnosakiko’s blog

    ※20日の記事に追記したら、なぜかもう一つ追記付きの記事が上がってしまいました。とりあえずこちらは追記だけにします。前の記事の続きとしてお読み下さい。 ●追記/この後、またやりとりがありました。そこで思ったことなど。 「差別」の定義が違うのかな。私が理解してるのは以下を満たすもの。 1. 偏見や先入観を元に、特定の属性をもつ人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。 2. 社会的権力関係を前提とし、マジョリティからマイノリティに対して現れる。https://t.co/p4W43bUEyh— 大野左紀子 (@anatatachi_ohno) 2017年8月22日 権力関係は社会的立場の違いに現れる。だから一般女性が男性政治家を「差別」することはできない。侮蔑、批判、抗議がせいぜい。無論それが不当なら批判される。また社会的には男性=マジョリティ、女性=マイノリティだが個別のシーンでは変わるこ

    人は知らぬ間に差別者になり、事後的に反差別を選び直す - 2 - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2017/08/26
    差別になると思います。この場合、「政治家>一般市民」という元々の関係性より、「出自を理由にヘイトする者>される者」という関係性が優先されます。「関係性で決まる」とはそういう意味です。>id:ei-gataro
  • 「性愛用の女」との同居で「生活用の女」にされた妻はその見返りを得たのか?(ラブドールを家庭に持ち込んだ夫についての感想) - ohnosakiko’s blog

    (※7/22追記あります) ラブドールを恋人代わりにする男性のことを初めて知ったのは、10年くらい前にあった某ブログ。彼女との「愛の生活」を綴った日記が面白いということで、一部で人気だった。私も一時期読んでいた。最初に、これ「ピグマリオン」だなと思った。古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に登場する、キプロスの王ピグマリオン(ピュグマリオン)の物語だ。 生身の女性たちに失望したピグマリオンは、完璧な女性を求めて彫像作品を作った。その出来映えがあまりに見事だったので、彼はすっかり彫像の女性に恋をしてしまい、毎日のように語りかけ、贈り物をし、ベッドを共にし、ついに彼女は自分の愛に応えてくれたのではないかと思うようになった。その狂おしい思いと彫像の素晴らしさに打たれたヴィーナスが、褒美として彼女に命を授けてくれた。 SF小説『未来のイヴ』から映画『空気人形』まで、さまざまな小説映画など

    「性愛用の女」との同居で「生活用の女」にされた妻はその見返りを得たのか?(ラブドールを家庭に持ち込んだ夫についての感想) - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2017/07/22
    疑問について追記でお答えしました。>id:crowserpent id:KoshianX id:jiqvuwqwpgc(ただし記事の読み取り方からして違う場合は応答になっていないと思います。その点ご了承下さい)。
  • ジェンダー平等社会のエロの位相、あるいは欲望と配慮の関係 - ohnosakiko’s blog

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2017/07/19
    ここ最近、男性向けポルノ関連のツイートを多発していたので、そのまとめの考察として。
  • 「外部」をめざす内在的絵画論 ––––『無くならない アートとデザインの間』を読んで - ohnosakiko’s blog

    変わったタイトルである。「無くならない」が大きく表示されてタイトルっぽく、「アートとデザインの間」がサブタイトルの扱い。 帯には、「20世紀の思想だったデザインやカウンターとしてのアートがある使命を終えようとしている。」の文言。「はじめに」では、アートとデザインの「ジャンル中間領域」の話でも、「両者の融合」ということでもないとある。 読み進めていくとわかるが、この「間」とは、「アート」として成立する以前、「デザイン」と呼ばれる以前の、名付け得ない行為を指している。今あるようなかたちのアートやデザインがなくなっても、その行為というか営みだけは「無くならない」ということだ。 「描く」という、人間の「無くならない」営みについて、「アートやデザイン以前」から根源的に考えようとする、非常に奥行きの深い内容だった。 著者の佐藤直樹は『WIRED』日版創刊からアートディレクターとして関わり、長年デザイ

    「外部」をめざす内在的絵画論 ––––『無くならない アートとデザインの間』を読んで - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2017/04/27
    最近のアート系の本の中では異色だが、アート、デザイン関係じゃない人が読んでも十分面白いし考えさせられるところがたくさんあるので、是非読んでみて!超おすすめです!誰に向かって言ってるかわからないけど!
  • 「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - ohnosakiko’s blog

    大学の授業内で時々ミニレポートを書かせ、その提出をもって出席票に替えている。その日、家に帰って80人あまりの学生のミニレポートを読んでいたら、ほぼ同じ内容のミニレポートが続けて四枚出てきた。内容もそっくりなら書体もまるでそっくり。すぐに、これは全部一人の学生が書いたなと感じた。 おそらく、四人の中で一番文章量の多いAさんが「主犯」。あらかじめ頼まれていたAさんが、欠席している残りの三人の分も書いたのだ。そして次回は、その三人の中の誰かが「主犯」を引き受けるのだろう。他の学生の出席票も書いて出すとか、代返をするとかと同じ、昔からある大学生の不正互助行為である。 にしても、それを堂々とやっているのにちょっと驚いた。普通はバレないよう、内容や言葉遣いや書体を多少は変えるものだ。これでは「見つけて下さい」と言っているも同然。自分のも含めて四人分を時間内に書かねばならないということで、小細工している

    「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2016/12/22
    (↓↓「故意犯」と「過失犯」を分けて罰則を作るべき=「カンニングや出欠誤摩化しは不正行為(盗みや騙りは悪)」ということを知らない大学生の存在を想定していなかったのが間違い、と。これは大変なことになった。
  • (文化系)女子の憂鬱 - ohnosakiko’s blog

    反発する文化系・しないエビちゃん系 このところ話題になっていた「文化系女子」について、あちこちのブログを巡回して感じたことを書いてみる。 主にダ・ヴィンチの記事(男目線からの文化系女子イメージ)に依拠したと思われる、自称非モテ(男性)の側からのいくつかの「文化系女子が好き」ネット発言に対して、そこに男から女への手前勝手な視線を読み取り、「ほっといてほしい」「文化系の女子を一括りにするな」「文化なんかどうでもいいくせに都合のいいイメージで女を語るな」などの反発が主に女性(たぶん文化系かそれに近い方々)のブログに散見されたわけだが、男の「エビちゃんていいなあ」発言に対して同様の反発がエビちゃんを目指す女子から上がるだろうことは、あまり予測できない。 エビちゃんを目指す女子の思惑の中で、自分が性的対象として見られることは織り込み済みである。 もちろんエビちゃんは、男だけにモテるのではなく女の子に

    (文化系)女子の憂鬱 - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2016/11/22
    昔「女子」話に「こじらせ」使ったことあったなと思ったらこれ(一回ふわっと書いてるだけ/http://ur0.biz/zQQq収録した拙書の告知に雨宮さんの☆、今気付く。「女子をこじらせて」を献本頂いた理由が今頃なんとなく氷解。
  • 「嫌悪感の表明」と「相互理解」の間 - ohnosakiko’s blog

    最近話題になっていた、セクシュアルマイノリティへの施策をめぐる千葉市長の一連のTweet(わかりやすくするため番号を振った) 1 先ほど定例記者会見で、性別が同一である者とパートナーシップを形成している職員が介護休暇や、結婚休暇に相当するパートナー休暇を取得できる制度を発表。 既に事実婚でも休暇の取得が可能なもので、性的多様性に配慮できる項目と判断しました。事実婚で許容されている分野・趣旨を今後も精査します— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2016年11月10日 2性的多様性の話でよく少子化の話をする人が居るのですが、では子供が出来ない年齢での異性婚も認めないということなのでしょうか?今でも性同一性障害の方は性別が変更できるのですが、それに反対しましたか?そもそも多様性を認めなければLGBT等で苦しんでいる方は異性婚に行くと思いますか? https://t.co/

    「嫌悪感の表明」と「相互理解」の間 - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2016/11/14
    (典型的な人が現れたお陰で、本文で「この言い方ではもう先に進めない」と書いた「普通の正統派の言い方」を※欄で延々するはめになった/↑全然違う。そんな人出てこない。市長のtweetよく読んで>id:simplemind
  • 「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog

    「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体

    「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2016/10/27
    ↓早々にありがとうございます(今は実技の先生してないけど)(0点!そんな(泣/追記:Midasさんの連続ブコメが面白いので時系列に並べてプリントアウトしたい(なんでいつも記事より面白いこと書くんだろう悔しい。
  • 「エロいかどうか」より「御しやすそうに見えるかどうか」では - ohnosakiko’s blog

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2016/10/22
    「不快な人にはこう見えたのでは」という話をしてるだけで他の見方を否定したり排除すべきとは言ってないがそう読んでしまう人もいるのだね/半世紀前から不快と言えば不快だが世の中こんなもんだとずっと我慢してる
  • トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録 - ohnosakiko’s blog

    トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録 17日に静岡市のスノドカフェ七間町で行われたトークイベントの、私の喋りの続きです。 後半のトーク 後半は、小津安二郎の作品を例にとって考えます。 小津安二郎と言えば、戦後の作品、たとえば「東京物語」に顕著ですが、上の世代と下の世代のズレを通して古い家族形態が崩壊していくさまを描いた監督である、と言われています。そして、監督の目線は一貫して父親目線、あるいはおじさん目線です。 しかしここで重要なのは、彼のダブルヒロインものと言えるような作品で、そうした父権を後退させる若い女がしばしば登場しているということです。ここでは三つの作品を取り上げます。 ● 資料にストーリーが途中まで書いてありますので、未見の方はまず最初の「淑女は何を忘れたか」のところに目を通して下さい。DVDで観て頂くのは、その後の箇所です。 淑女は何を忘れたか(1937)––––

    トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録 - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2016/09/20
    先日のトークの後半の内容。三つの小津作品に、アナ雪を当て嵌めるというアクロバット。画像もあります。
  • トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録 - ohnosakiko’s blog

    去る17日に、静岡市のオルタナティヴスペース「スノドカフェ七間町」で行ったトークイベント「ダブルヒロインの「距離」」の、私の喋りの記録です。 当日録音はしていませんでしたが*1、家で原稿を作成し、時間内に話しきれるかどうか何度かリハーサルをしていたので、その時に取った音声データと原稿を元に書き起こしました。 時間は前半約45分、10分の休憩を挟んで、後半50分程度。長いのでこの記事では前半のみ。後半は明日以降にアップします。 ◆チラシ文面 近年、従来のヒロイン物語に替わってよく見られる「ダブルヒロインの物語」。私たちがダブルヒロインに惹きつけられるのはなぜでしょうか。女の友情が美しく描かれているから? 二人のどちらかに必ず感情移入できるから? 恋愛成就で一件落着‥‥にはもう飽きているから? まだまだ隠された理由がありそうです。映画やドラマに登場したダブルヒロイン物語の二つの系譜、その「距離

    トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録 - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2016/09/20
    先日のトークイベントの喋りの内容(前半)を公開しております。大きな前提確認とそれぞれの映画紹介など。長いです。
  • 愛知県立旭丘高校美術科25期生作品展「にこてん」第三回の展示について - ohnosakiko’s blog

    超ローカルな話です。 先週、名古屋・栄のギャラリー聚で開催された「にこてん」に出品しましたが、まったく不意なかたちになってしまったので、ご覧になった方に向けてここで「訂正」をしておきたいと思います。 ■ 旭丘高校美術科の同級生有志によるこの展覧会は、2012年以降1年おきに行われている。 それより前に美術作家を廃業している私は過去の2回は不参加だったが、今回は自筆イラスト付きのを上梓した後で、代表として名前を出し全体の世話役的な立場の人(Aさんとする)に出品を強く勧誘され、イラスト原画のうち3点を展示し、拙書も少し置かせてもらうことにした。 搬入日はどうしても外せない用があったので、前もってAさんに作品を託した。美大のデザイン科を出ている人で、当然信頼していた。 会期中は仕事もあってなかなか行けず、会期終わり頃のプチパーティ(オープニングパーティの代わり)に行き、入り口近くの自分の展示

    愛知県立旭丘高校美術科25期生作品展「にこてん」第三回の展示について - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2016/05/20
    (高校時代の同級生に卒業40年も経って悪気なくアレな目に遭わされた話、または簡単に人を信用してはいけないという話/↑↑作者の意向は無視していいという新しい意見(出品者が一度も行けないことはざら
  • 新連載「絵を描く人々」のお知らせ - ohnosakiko’s blog

    連載エッセイ「絵を描く人々」が、WEBスナイパー(18禁サイト)*1で始まりました。 絵を描く人々 第一回 人は物心つく前に描き始める 最初に描いた絵を覚えてますか? 好きなものを好きなように描いて楽しかった子ども時代、だんだん描くのが苦手になった思春期もあれば、どんどん描くことに没頭していった思春期もあり‥‥。 「自由に描く」とはどういうことか? 描きたい欲求とエロとの関係は? ちっともデッサンが取れないのはなぜ? 美大受験に石膏デッサンがあるのは? 一生懸命見ているのになぜ描けないの? ただ上手いだけじゃダメだよね? 絵が描けると何かいいことあるの? ‥‥‥などなど、幼稚園児から美大予備校生や専門学校生、一般の人々まで、幅広い年代の「絵を描く人々」を見てきた体験から、「絵を描くってどういうことだろう」について、さまざまなエピソードを織り交ぜながらじっくり考えていきます。 月一の更新。更

    新連載「絵を描く人々」のお知らせ - ohnosakiko’s blog
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    ohnosakiko 2016/05/07
    絵を描くのが好きな人にも苦手な人にも見るだけの人にも。毎回、右手と左手によるデッサン(恥)を公開。どうぞよろしくお願いします。
  • 「嫁が欲しい」「頼れるのは娘」という母親たちの言葉 - ohnosakiko’s blog

    去年の夏前だったかいつものように、義父の家に行って庭の草取りをしていたら、近所の年輩の主婦の人がやって来て、垣根越しに「まあよくやってらっしゃること」と声をかけてから、「いいわねぇ、うちも嫁が欲しいわ」と独り言のように言った。そこの家の息子さんは実家を出て一人暮らしをしている。 こういう時に「嫁が欲しい」って言うのかと思った。「嫁」つまり息子のは、別に草取り要員ではないですよ。義父は高齢の独り住まいで、夫が単身赴任でこちらにいないので、私が時々来て手伝っているのです。私しかいないから、それは当然なのです。もちろん時間のある時しか来れません。別に「嫁」だから何でもする、できるってわけじゃないです。 ‥‥‥と言いたかったが、私は曖昧に笑った。さすがにそういう時にムッとしないでやりすごす世間知はある。 年末にお歳暮を贈った伯母(亡き義母の姉)から御礼の電話が来た時も、義父の家に行っていることを

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    ohnosakiko
    ohnosakiko 2016/01/07
    それは個々の言葉の抽象化であり共通点をまとめてるだけ。一般化(女は女の立場を固定化するような言葉を吐くものだ)してたら最後の一文は出ない>id:ROYGB