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考え方とオタクに関するokishima_kのブックマーク (3)

  • 物語を消費するのがしんどくなってきた

    「物語を消費する」とかクッソ偉そうなこと書いたけど、要はアニメ観るのがしんどくなってきた。 例えば、重厚で深い設定を読み込む必要のある物語や悲しくも美しく泣かせる物語みたいに、少し身構える必要のあるアニメじゃなくても、観るのがしんどい。 ヤマカン言うところの「美少女動物園」とかでも、まず第一話を観るのがしんどい(これから物語にいざなわれる、その体験がまず面倒くさい)。 重い腰を上げて第一話を観ると意外と楽しめたりするんだけど、途中で飽きて最後まで観られなかったりする。最後まで観ることに成功して「ああ、よかったなあ」と思っても、その「ああ、よかったなあ」が続かなくて、やはり最終話まで観ることがない。 そういえば前期は「長門有希ちゃんの消失」を楽しく観ていたはずなんだけど、途中で観なくなってしまった。何か特別な理由があるわけではなくて、ぷつりと観なくなってしまった。 「別にアニメなんて観なくて

    物語を消費するのがしんどくなってきた
  • よく勘違いされるけど、「オタク=内向的」ではありません

    オタクに関する偏見は色々あるが、オタクの知り合いがいない人によく勘違いされるのが「オタクは内向的」というイメージだ。 もっと断言するならば、オタクだから友達がいない・いても内輪の趣味で固まるから人間関係が更新されないという風に思ってるような読み物も多い。 典型的なのが、このマイルドヤンキーを定義するために用いられた図である。 マイルドヤンキーの筆者の原田曜平氏の定義では「オタク友達を新規開拓しない」というカテゴリーに入ってるが…自分の周りのオタクライフを見てるとぜんぜん違う。 「外向的なオタクという例外もいる」という話ではなくむしろ、「内向的な部分しか持ってない人がオタク趣味を続けていくのは辛いと思う。辛くなった結果、口下手で人見知りかもしれないが、外向的にはなる」のだ。 この観点でオタクの生態を語ってみたい。 そもそもオタクとはなんぞや?オタクというとマニアやサブカル系のように「普通の

    よく勘違いされるけど、「オタク=内向的」ではありません
  • アニメの愛し方

    俺の友人に、アニメにめっちゃ詳しい奴がいる。 声優情報はもちろん押さえているし、この作品の監督は誰だ、作画はどれと同じだ、会社の経済状況はこんな感じだ、今度こんなグッズが出る、BDは何枚売れた、とか。EDのクレジットをそらで言えるんじゃないかというぐらい色々なことを知っている。 まああいつはもともと頭のいいやつだ。なんに関しても要領がいいし、知識量が半端じゃなくて、薀蓄を語らせればのべつ幕なしに出てくる。アニメに関しても例外じゃない。 反対に俺は、そういった情報は、興味を持てない。 別に、声優なんか誰だっていいだろう、監督なんて誰だっていいだろう、会社の経済状況なんてどうでもいいだろう、グッズなんてどうでもいいだろう、BDの売り上げなんてどうでもいいだろう。 そう考えてしまう。ある程度の相関はある。それは、絶対にそうだ。そう考えるから、興味が無いなりにそういう情報もインプットしようとしてい

    アニメの愛し方
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