そんな受け入れがたい現実との折り合いをつけるために、人は物語を必要とする。物語りは物騙りであるからこそ、固有名詞を剥ぎ、バッファーを設けることができる。受け手が飲みこめるよう現実を変形させる、安全装置となっているのだ。 だから、つぎはぎしたり、つじつま合わせの必要なんてない。嘘と嘘への欲望を、そのまま代弁してくれるだけでいい。小説とも随想ともつかぬ本書では、古代ローマの残酷でエロティックな物語と、それを紡ぎだす作家アルブキウスの奇妙な人生を重ねながら、物語と作家がお互いを必要としたことを炙り出してくれる。 こんな風に始まる。わたしは、このイントロで夢中になった。 現在がほとんど喜びを与えてくれず、これからやってこようとしている月日には繰り返ししか望めないとき、人は過去へ押し入ることで日々の単調をまぎらわす。死者たちの股が開かれ、その腹(二千年の昔の古くて柔らかい腹だ)が触れ合い、折り重なる
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