昭和20年夏、農村も荒廃しており、日本農業は崩壊の寸前であった。食料事情が極端に悪化しており、農村でも飯米不足が重大問題となっている。 中でも、象徴的な事件は秋田県雄勝郡山田村(現湯沢町)で発生した。内務省にとって重篤な事例であり、衝撃を受けたものであった。米が足りなくなった農家が、向かいの家から米を少量盗み、放火する事件が発生したのである。 内務省警保局保安課が接受した特高秘発第六七八号文書がある。昭和20年9月20日、秋田県知事久安博忠から、内務大臣山崎厳に宛てられた「飯米窮乏ヲ繞[めぐ]ル放火事件発生検挙二関スル件」と題されている。 文書によると、事件は昭和20年8月15日夜に発生している。若妻と子供しかいない応召軍人の小作農家に入り込み、米3俵を盗み、その証拠隠滅のために放火したとある。 内務省にとって深刻なのは、農村社会が崩壊する兆しがあったことである。ついに米農家が米にこまり、