ぼくは宇野常寛がきらいだ。16歳のころ、かれがまだ「善良な市民」だったころから文章を読んでいる。ちっとも好きになれない。悪意ある人間観察眼のまなざし。冷笑的で露悪的なレビュー。根拠にとぼしいレッテル貼り。旧惑星開発委員会の「日記」にあった、北海道の「最底辺大学」サークルめぐり、なんて話題には吐き気すらおぼえた。『ゼロ年代の想像力』は、雑誌で断片的に読んでいた。やはり違和感をいだいた。かれは、作品固有の語りから喚起される、あるいは湧きいづる感興にもとづいて批評することができない。と、いわないまでも、ほとんどできない。すでに自分のなかに厳然としてある価値観のマップをもとに作品を分類していくスタイルにちかい。そこが、信頼するにはむずかしい理由なのだと思う。そして作品にそなわった魅力を引き出し、絶賛することをいつも失敗する。もっといえば、ほめるのが下手だということだ。それでも、なんらかの意味での鋭