こんな話がございます。 紀州の道成寺(どうじょうじ)は古いお寺でございます。 大宝元年の創建ト申しますから、奈良の都より歴史は古い。 この由緒ある道成寺に、かつて曰くつきの鐘がございまして。 二度に渡る消失により、残念ながら今は残っておりません。 二度目の消失は、信長の焼き討ちによるものでございますが。 一度目は何が原因かと申しますト。 それが、これからお話する安珍清姫の物語でございます。 醍醐天皇の御代、遠く奥州より毎年、熊野権現に詣でる山伏がおりました。 名を安珍(あんちん)と申し、若くまた優れた美貌の持ち主として知られておりました。 道成寺はその熊野への途次にございまして。 寺の近くに、真砂の庄司ト申す者が住んでおりました。 庄司には可愛らしい娘が一人おります。 それが、名を清姫(きよひめ)と申す幼な子で。 安珍はこの庄司の家を、毎年、宿にしておりました。 ですから、清姫のことは小さ
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