上記作品を含めた69編の作品と「序」(これを作品と見なすと70編)からなる詩集[1]。1922 - 1923年に制作された作品が収録されている。 1924年(大正13年)4月20日、東京の関根書店から刊行。ただし事実上は賢治の自費出版である(実際の印刷は賢治の住んでいた花巻川口町の印刷所で行われた)[2]。正確なタイトルは『心象スケツチ 春と修羅』で、賢治自身は「詩集」と呼ばれることを好まなかった[3]。タイトルには第一集とはつかないが、その後の第二集・第三集から遡って(区別するために)第一集とも呼ばれる[4]。本の背文字を書いたのは歌人の尾山篤二郎で、これは賢治の親戚である関徳弥の歌の師であるという縁からだった[5]。 上記表題作のほか「原体剣舞連」「小岩井農場」や妹トシ(とし子)の臨終を題材とした「永訣の朝」、そのトシの魂との交流を求める様子を詠んだ「青森挽歌」「オホーツク挽歌」等の作