弾左衛門(だんざえもん)は、江戸時代の被差別民であった穢多・非人身分の頭領。穢多頭(えたがしら)。江戸幕府から関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領などを除く)・伊豆全域、及び甲斐都留郡・駿河駿東郡・陸奥白川郡・三河設楽郡の一部の被差別民を統轄する権限を与えられ、触頭と称して全国の穢多非人に号令を下す権限をも与えられた。「穢多頭」は幕府側の呼称で、みずからは代々長吏頭(ちょうりがしら)矢野弾左衛門と称した[1]。また、浅草を本拠としたため「浅草弾左衛門」とも呼ばれた。 概要[編集] 戦国時代において、関東の穢多非人の有力者は小田原近在の山王原の太郎左衛門であり[2]、弾左衛門は鎌倉近在の由比ヶ浜界隈の有力者に過ぎなかった(ただし、太郎左衛門家の権力も、それほど強いものではなかったとされる)。ところが、1590年に後北条氏が滅亡し、代わって徳川家康が関東の支配者となった。小田原太郎左衛門は後北条