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critiqueに関するorbisのブックマーク (548)

  • 【漫画感想】「鬼滅の刃」22巻まで読んですごいと思ったところを、黒死牟のエピソードを例に話したい。 - うさるの厨二病な読書日記

    鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL) 作者:吾峠呼世晴 発売日: 2016/06/17 メディア: Kindle版 今さらだけど、「鬼滅の刃」の既刊22巻までとアニメシーズン1を観た。 もうさんざん色々と言われつくされていると思うが、それでも自分の感じ方を書きたくなるくらい面白かった。 「鬼滅の刃」ですごいなと思った点は、ひとつのエピソードで問題として語られていることが、他のエピソードで自由に補完できるところだ。 自由度が高い、というと事象について余り説明を入れず解釈の幅を持たせるやり方が一般的だが、この話はエピソードのつながりを読み手に任せることで、自由度に幅を持たせている。 1ピースだけでも楽しめるし、全部組み合わせて何かを作って楽しめる、寄せ木細工のように組み合わせを楽しめる。 特に上弦の月のエピソードはこの傾向が強い。 黒死牟こと継国巌勝は、弟の縁壱への嫉妬と強さへの

    【漫画感想】「鬼滅の刃」22巻まで読んですごいと思ったところを、黒死牟のエピソードを例に話したい。 - うさるの厨二病な読書日記
  • 逆シャア以後の富野アニメはコックピットをどう描いたか? - 玖足手帖-アニメブログ-

    前回のあらすじ あでのいさんのこの記事が発端。 adenoi-today.hatenablog.com それに対するコメントを記事にしたのがこちら。 nuryouguda.hatenablog.com 自分としては割と雑な印象論だと思うので、53もブックマークがつくとは思いもしなかった。(そもそも元は他人さんのブログに突っかかったコメントにすぎないので)(文字数が少なくて雑な方が長文エントリーよりも読まれやすい?) しかし、雑に書いたほうが読者にわかりやすいという問題もあるものの、興味を引かれる題材であることは分かった。 じゃぁ、全方位モニターの発明の後の富野アニメはどうなったのか、それをざっくりと解説して、〆めとしたい。 僕は80年代の富野アニメの全方位モニターは「パイロットの身体感覚の喪失」とか「機械とパイロットの境界線がバイオ技術によって曖昧になる」「精神的に不安定になるようなZガン

    逆シャア以後の富野アニメはコックピットをどう描いたか? - 玖足手帖-アニメブログ-
  • 「パトレイバーTNG」と「海外ドラマはなぜ面白いか」の関係

    まさか、帯に使わせていただいたショーン・コネリーさんがの発売直前にお亡くなりになるとは……(書影はこちら)。何もの映画を楽しませていただきました。謹んでご冥福をお祈りさせていただきます。 「007」から「仁義なき戦い」、そして「野性の証明」に「キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー」、などなどなどをご紹介してきた連載がになりました。タイトルはそのまま『押井守監督が語る 映画で学ぶ現代史』。発売前からアマゾンでカテゴリー1位(社会史)をいただくなど、注目されております。 これまでの連載を再編成して公開された時系列に並べ、「映画は時代の不安のタイムカプセル」という視点がより分かりやすくなったかと思います。野田真外さんによる映画の紹介と、増量された西尾鉄也さんのイラスト、そしてなにより、単行のプレミアムとして、連載では未掲載の「海外ドラマ編」と「アフターコロナの日映画」を追加し

    「パトレイバーTNG」と「海外ドラマはなぜ面白いか」の関係
  • ブギーポップは流行らない……(人の痛みについて)

    おいィ? どうして流行らないのかと言うと、例えば新しく作られたアニメが古株イラストレーターとの折衝で揉めてグダグダなスタートを切った辺りで既に炎上してたりしたこととか、むべなるかな、その後のアニメの展開もイマイチブギーポップの魅力を伝えているとは考えられない展開が続いて、あんまりインパクトを与えずに実質的なアニメ二期が終了してしまったこととかに問題があった気がする。とは言え十話を筆頭に面白い回もなくはなかったんだけどね……アニメ陣営の努力は認めるんだけど。 でもとりあえず第一作の『ブギーポップは笑わない』から第十作の『ジンクスショップへようこそ!』までは個人的に安心しておすすめできる作品である。是非皆さんも読んでほしいんだけど、個人的に特にオススメなのは第二作の『vsイマジネーター』と第五作の『夜明けのブギーポップ』。第六作の『ペパーミントの魔術師』それから第七作『エンブリオ侵・炎生』辺

    ブギーポップは流行らない……(人の痛みについて)
  • 例の漫画は「立場が強いクライアントが立場の弱い美大生を食い物にしている」作品ではなく、むしろその逆だと私は思う - 頭の上にミカンをのせる

    例の漫画については批判されるべき点が無いとは言いません。批判されるべき点がない作品など存在しないと思っています。なので、批判すること自体は全然いいと思います。*1 note.com ただ、例の漫画について「立場が強いクライアントが立場の弱いクリエイターをい物にしてそれを美談のように語っている」というものを多く見かけました。 これは、私と解釈違いすぎる。 私の解釈が絶対的に正しいとは思いませんが、少なくとも上の理解はちょっと作品を正しく読めているとは感じないので、その旨について書いておきます。 大前提として、作者は両者の関係を「美大生の方が立場が強い」という態で描いていると私は思う 説得力があるかどうかはともかくとして、このことは明確に意図した描写として表れています。 設定について断片的に設置された表現のことを「置き石」と呼ぶらしいですが、この作品にはきちんと置き石が置かれています。その置

    例の漫画は「立場が強いクライアントが立場の弱い美大生を食い物にしている」作品ではなく、むしろその逆だと私は思う - 頭の上にミカンをのせる
  • 批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。 だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。 レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか

    批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..
  • 多分こうするつもりだったんだと思うタイムパラドクスゴーストライター|clock96

    週刊少年ジャンプで(以下TPGW)が最終回を迎えた。 ぶっちゃけあまり面白い話ではなかった。 終盤の数話なんかもう予想を一切外れない展開が続くばかりだった。 ……そう、終盤の数話は予想が完璧についてしまったのだ。 なぜ予想がついたかと言うと、この漫画、エンタメとしての面白さほぼ全てと引き換えに異常なまでに布石伏線の張り方が丁寧なのだ。 やるべきことを殆ど全部事前に口にしている。怖い。 殆ど自己言及だけで構成されていると言ってもいい。 毎話のクリフハンガーと辻褄が合っていくと言う部分の面白さだけでやっていこうとでもしてんのかってぐらいだった(まあ結局やっていけなかった訳だし打ち切りは残当である)。 正直連載中めちゃくちゃ怖かった。 何が怖かったかって、振り返ると次々と辻褄が合いまくっていくのに、それが全然解ってないのか整合性に文句言う感想をかなりの量見かけたことだ。 いやこれはアンチは目が曇

    多分こうするつもりだったんだと思うタイムパラドクスゴーストライター|clock96
  • 『もののけ姫』の「シシ神」は、なぜ「シシ神」という名前なのか?

    「おのれが、人の命を絶ち、その肉(しし)むらをひなどするものは、かくぞある。おのれら、承れ。たしかにしや首斬(き)りて、犬に飼ひてん」 ――「吾人、生贄をとどむる事」、『宇治拾遺物語』 「生きることはまことに苦しくつらい・・・ 世を呪い 人を呪い それでも生きたい・・・」 ―― 病者の長、『もののけ姫』 宮崎駿さんが脚を担当し、 スタジオジブリが製作した、 長編アニメーション映画 『もののけ姫』 という作品があることはご存知だと思います。 この『もののけ姫』の物語のなかに、 「シシ神」 という名前の「神」が登場します。 この「神」、 すこし変わった名前だと思いませんか? 「神」であるにしては、 すこし威厳に欠ける名前のように感じられます。 これなら、猪族の長である巨猪、 「乙事主(おっことぬし)」の方が、 よほど威厳のある名前のように感じます。 この「シシ神」は、 『もののけ姫』の物

    『もののけ姫』の「シシ神」は、なぜ「シシ神」という名前なのか?
  • 「普通の人でいいのに!」:"繊細さ"と被害者意識と文学性 - THE★映画日記

    comic-days.com 数週間前に、話題になった作品だ。批判意見や拒否反応も多い一方で、「共感できた」とか「実際に東京にいそうな人物をリアルに描けている」という肯定意見もちらほらと見かける。 わたしが最初に流し読みしたときには、あまりに赤裸々な内容から、逆に「主人公のような女性には心では共感していない、別のポジションにいる作者が、皮肉や揶揄を込めて戯画的に描いた」タイプの作品であるように感じられてしまった。しかし、しっかり読んでみると、作者は明らかに主人公に共感しており、ある程度までは主人公と自分を同一視している作品であることも伝わってきた。つまりは、私小説的な作品であるのだろう。 女性にせよ男性にせよ、一部の人は20歳を過ぎていい年になっても「こじらせ」とか「面倒くささ」とかを抱えているものだ。特に、漫画や絵を描いたり文章を書いたり動画を作ったり音楽をしたりと、なんらかの形での"

    「普通の人でいいのに!」:"繊細さ"と被害者意識と文学性 - THE★映画日記
  • 『あつまれ どうぶつの森』はコミュニケーションが主軸なのにひとりで遊べる“ヘン”なゲームだ ── その問題に見える部分こそが実は魅力ではないか

    IGN JAPANのクラベ・エスラが『あつまれ どうぶつの森』を長時間遊ぶときに感じる問題という記事を書いている。「どうぶつの森」と彼のミスマッチはなぜ起こるのだろうか? 答えのひとつとしては、クラベがこのゲームをひとり用シミュレーターとして捉えていることが挙げられる。 「平成の100大ゲームを振り返る !」という記事で、クラベは「『シムピープル』が「どうぶつの森」シリーズに影響を与えている」かのような文章を書いているが、これは正しいとは思えない。もともと初代『どうぶつの森』はダンジョンRPGの企画が変化したものであるし、構想的にはオンラインゲームに近いと思われる。「人間シミュレーター」といえる『シムピープル』とはだいぶ違うだろう。 また、『あつまれ どうぶつの森』で私の島にクラベが遊びにきたとき、「これまで他人の島(村)に行ったことがなかった」と語っていた。当然ながら彼はマルチプレイがフ

    『あつまれ どうぶつの森』はコミュニケーションが主軸なのにひとりで遊べる“ヘン”なゲームだ ── その問題に見える部分こそが実は魅力ではないか
  • 『Ghost of Tsushima』は文化盗用なのか?抜け落ちた“ゲーム”としての論点 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

    2020年7月17日に発売され、わずか3日間で全世界の累計実売数が240万を突破したプレイステーション4用ゲーム『Ghost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)』。 日の史実「元寇」を題材にしたこのゲームは、アメリカゲーム会社が開発。その世界観は日でも(おおむね)受け入れられ、賛辞の声が寄せられている。しかし欧米では、「欧米による日文化の盗用である」と炎上しているのだ。 『僕たちのゲーム史』などの著書を持つライターのさやわか氏は、この文化盗用の議論には抜け落ちている論点があるという――。 「歴史警察」みたいな方々の指摘は、ひとまず「どうでもいい」 日の(そしてモンゴルの)史実である「元寇」を題材にしたゲーム『Ghost of Tsushima』が炎上している。 そもそもこのゲーム、玄界灘に浮かぶ対馬をオープンワールドで再現し、リアルな3Dグラフィックで日の景勝

    『Ghost of Tsushima』は文化盗用なのか?抜け落ちた“ゲーム”としての論点 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
  • 『もののけ姫』でアシタカがなぜ「たたら場に残った」のかようやく理解した - 旅するトナカイ

    ナウシカ、千と千尋に続いて見てきました。『もののけ姫』。 まずは感想漫画をどうぞ(3ページ)。 さて、ひとしきり悟ったところで。 私が今まで見たジブリの中で最も難解だった『もののけ姫』でしたが、この歳になってようやくいろんなことがわかりました。 映画のラストで、なぜアシタカが「たたら場に残ろう」と言い出したのか。いや、そう言わざるを得なかったのか。 …今更ですけど映画のラストまでネタバレ全開なのでお気をつけください(タイトルの時点で手遅れですね)。 [この記事の目次です] 1. 「女の敵」と思われがち、不遇のアシタカ 2. アシタカは村で死刑宣告を受けている 3. アシタカにとってのカヤの存在は 4. たたら場は被差別者の受け皿 5. 呪いが解けても、アシタカに帰る場所はない 6. サンとアシタカー「捨てられたもの同士」で「共に生きる」 1. 「女の敵」と思われがち、不遇のアシタカ アシタ

    『もののけ姫』でアシタカがなぜ「たたら場に残った」のかようやく理解した - 旅するトナカイ
  • 「おけパ中島があまりピンと来なかったけど考えた」2020年7月4日の日記|品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

    ・きのう、起きたらタイムラインが「おけけパワー中島」という単語で埋め尽くされており、そういうコンピュータウイルスに感染したかと思った。実際はそういう登場人物が出てくる短編マンガがウイルスのような規模で拡散していたのだった。 ・すでに読まれた方も多いかと思うのですが、上記のマンガを読んでどう思いました!? 私は「面白い!! こういう考え方の人間もいるのか!!」みたいな感じだったんだけど、感想サーチしてみた限りだと「わかる……!」という反応がかなり多い。つまり登場人物の心情にシンクロしている人が多数だった。そうか、これはポピュラーな感情の動きだったのか……! ・特に共感を集めていたのが、バズワードにもなった「おけけパワー中島(人名、以下おけパ)」の存在だ。おけパは自分が崇め奉っているクリエイターに馴れ馴れしくリプライを飛ばし、親しそうに交流した挙げ句、自分の好きなジャンルへ誘導したりもする「陽

    「おけパ中島があまりピンと来なかったけど考えた」2020年7月4日の日記|品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)
  • 大塚英志という病い - king-biscuit WORKS

    ● 今はもうなくなっちまったけれども、かつてそれなりにカッコいい場所とされてもいた池袋のスタジオ200で、何やら連続講座をやっていた時のやつの身振りを思い出す。 借りてきたようなスーツ着込んでさ、片手に役人みてえなブリーフケース抱えてさ、教室の後ろからいかにももっともらしい風でしゃなりしゃなりとやってきやがった。で、たどりついた教卓の上に、そのケースからメモや書類をうっとりと取り出すその手つきのいやらしさ! ほらほら、こうやってセンセイやってみせてるボクってなんてステキ、てな恍惚丸見え、ああ、こいつ、こういう身振りでこういう「センセイ」ぶり、「文化人」ぶりをやらかしたかったんだろうなあ、というのが、あまりに露骨にバレてしまうみっともなさだった。 いや、そりゃね、田舎モンったらそれまでなんだけど、でもって、そういう客気や若気の至りもある時期肥やしになったりするってのもわかるんだけど、でも、こ

    大塚英志という病い - king-biscuit WORKS
  • 日本のマンガにはどうしてハナが描かれていないのか?

    きたがわ翔 @kitagawa_sho 漫画家。主に漫画、飼いのツイート多し。静岡出身。投稿する画像や写真の転載は御遠慮下さい。お仕事に関する依頼や相談事は直接DMにて。 【通販】kitagawasho.booth.pm 【instagram】instagram.com/sho.kitagawa.i… ameblo.jp/sho-kitagawa/ きたがわ翔 @kitagawa_sho 外国の方が日漫画絵を見て一番不思議がるのは鼻がない事らしい。今ではもはやただの点、が主流である。私たち漫画家の間で鼻問題は昔から切実だったが他の国では鼻をリアルに描く=可愛くないとは思わないらしい。日におけるリアル鼻=醜悪の感覚はいつからなのだろうか? 2019-08-30 14:43:04

    日本のマンガにはどうしてハナが描かれていないのか?
  • 『AKIRA』『Dr.スランプ』が起こした革命とは? 「パーツの描かれ方」で振り返る“ジャパニメーション”の歴史【語り手:マンガ家・山田玲司氏】

    乙君: うんうんうん。 山田: で、「どこまでも限りなく~♪」なわけじゃないですか(笑)。 一同: (笑)。 山田: そんな人たちはモリモリ、盛っていく方向で、キラッキラになっていくわけですよ。『少女革命ウテナ』なんか典型的にそうで、『ウテナ』から劇場版の『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』に至って、バロックの系譜で言うと、多分ピークになるんじゃない? 乙君: ああ。 山田: 一方で、「週刊少年ジャンプ」で起こっていた“ひそかなクール化”というのがあって。 乙君: クール化? 山田: そう。男たちのバトルとか、熱い友情とかをやっているのに、俺は目がどうも「虚無」に感じてしまうわけだよ。「ドラゴンボール」とかもそうで、なんで瞳に光が入らねえんだ?っていう。【※】 ※放送の前半では、虚無を“テン目”で表現する系譜があったと山田氏は言及。瞳をあえて描きこまないことで、ある種の情念の発生を避け

    『AKIRA』『Dr.スランプ』が起こした革命とは? 「パーツの描かれ方」で振り返る“ジャパニメーション”の歴史【語り手:マンガ家・山田玲司氏】
  • 問題作『連ちゃんパパ』は本当に"吐き気を催す邪悪"なのか?

    惣流・ドルフ・ラングレン弐号機 @YZNlfuMP8Vbaaoj 巷で話題となった『連ちゃんパパ』を読んでみた 前評判では主人公の所業に対して"吐き気を催す邪悪"や胸糞過ぎる等の感想が溢れていて、怖いもの見たさのドキドキと同時にワクワクもしながら期待を膨らませた。 読了後の感想は確かに不快感はある。が、同時に主人公に対して"痛快"さも感じる漫画だ。 pic.twitter.com/QxHAK49O0W 2020-06-07 04:29:45 惣流・ドルフ・ラングレン弐号機 @YZNlfuMP8Vbaaoj パチンコ狂いのに家出された高校教師である至って普通な小市民、日之進が自身もパチンコをキッカケにして、倫理観の欠如ぶりを露にしていく様をコミカル、或いはシニカルに描写していくのが独自の作風であり見所だ。 主人公を悪人として描く其の形態は"ピカレスクロマン"のジャンルの範疇だろう。 pi

    問題作『連ちゃんパパ』は本当に"吐き気を催す邪悪"なのか?
  • 書いたな!俺の前で!チェンソーマンの話を!

    anond:20200603135913 つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。 漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。 で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに

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  • ピクセルアートの美学<br>第2回 ピクセルアートと様式 - メディア芸術カレントコンテンツ

    「ピクセルアート」という視覚表現がある。ピクセルアートは、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っている。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」ひとつのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつある。このシリーズでは、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介していく。第2回は、ピクセルアートにはさまざまなタイプのものがあることを示したうえで、その多様さを「様式」という美術史的な視点から考える。 『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』(Superbrothers & Capybara Games、2011) いろいろなピクセルアート 第1回では、ピクセルアートとは何かをはっきりさせた。簡単に言えば、ピクセルアートとは、〈正方形に類する形をした互いに大きさが等しいピクセルの集まりでできてお

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  • アニメだから表現できた現実と虚構のミックス――没後10年を迎える今敏監督作品を観よう

    「じゃ、お先に」――そんな言葉を2010年8月25日付けのブログに残して、アニメーション監督の今敏が逝ってしまってから、2020年の夏で10年が経つ。衝撃は日に限らず世界に広がり、ロサンゼルス・タイムズがサイトのトップで顔写真を添えて訃報を伝え、ニューヨーク・タイムズも長文の追悼記事を掲載した。2019年には第47回アニー賞で生涯功労賞のウィンザー・マッケイ賞を受賞。もしも存命だったら……といった思いは10年経って尽きないどころか、ますます大きくなっている。だが、それはかなわぬ思い。だから今、長引きそうな“巣ごもり”の中でできることとして、今監督が遺したアニメ作品を見てはどうだろう。今監督の偉才を偲びつつ、圧倒的な面白さを味わい、名前と作品を未来に繋げるために。没後10年を超えて続くアニメーションの道を、より素晴らしいものにするために。 今敏監督の訃報を伝えるロサンゼルス・タイムズのサイ

    アニメだから表現できた現実と虚構のミックス――没後10年を迎える今敏監督作品を観よう