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ブックマーク / inkyodanshi21.com (154)

  • 「考える」はすべて趣味になる。

    僕は「これからの○○を考える」をテーマに掲げて活動することが多いです。 このブログのテーマは「これからの生き方を考える」ですし、「灯台もと暮らし」は「これからの暮らしを考える」です。 また、「Wasei Salon」の新テーマは「これからの働くを考える」。 そうすると、考えることが何よりも大切そうだと思っていそうだからなのか、「考えないひと」を否定するタイプのひとから同意を求められることも多いです。 でも僕は、考えないことが悪いことだとは一切思ってません。 なぜなら、すべての「考える」は、限りなく趣味に近づいていくはずだから。 今日はそんなお話を少しだけ。 「考えない」が悪いわけでは決してない。 どうしても、自分が必死に考えていることを蔑ろにしたり、疎かにしていたりする人をみると、イラッとしてしまうのが人間です。 特に、自分や大切なひとが「生き残る」ために考えていることに関しては、なおさら

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    ornith 2019/06/13
    「すべての知的活動はやがて趣味になる」と言い換えるとディストピア的ではあるけれど、洗濯機の例にもあるように、それが「豊かさ」なのかなーと。逆に「考える余裕がある」ことも一種の「豊かさ」だと思う。
  • 「その言葉とどこで出会ったのか?」で、言葉の捉え方が変わる。

    言葉は、その言葉の来の意味とは別に「誰が言ったのか?」でその意味合いが変わってきます。 更に、その言葉と「どこで出会ったのか?」のも非常に重要な要素になってくるなと気づきました。 今日はそんなお話を少しだけ。 「ノブレス・オブリージュ」の捉え方が様々。 なぜ、突然そんなことを思ったのか? 「ノブレス・オブリージュ」という言葉が、人それぞれでその捉え方が大きく異なるなあと思ったからです。 「ノブレス・オブリージュ」とは、フランス語で「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という意味です。 最近、Twitter上でも話題になり、一部のひとたちの間で賛否両論を巻き起こしていました。 アニメ作品『東のエデン』で初めて知った。 僕がこの言葉に初めて出会ったのは、大学時代にアニメを見漁っていたころ。 『東のエデン』というアニメ作品の中で初めて知りました。 ネタバレになるの

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    ornith 2019/04/23
    (特に議論の場などで)ある言葉を用いるとき、その定義をすり合わせるのは大切だと言われるけれど、各々が抱く「印象」まではほとんど考えたことがなかったかもしれない。
  • 自分の中で、物分りよく折り合いをつけてしまったことって何ですか?

    最初は違和感だらけだったのに、よくよく調べていくうちに物分りよく折り合いをつけてしまったこと。 負けず嫌いで賢いひとほど、必ずひとつやふたつは存在すると思います。 そこに、自分自身が人生をかけて取り組むこと、そのヒントが隠されているような気がします。 今日はそんなお話を少しだけ。 学生時代、校則に感じていた違和感。 そう思ったきっかけがありまして。 それが、校則。 僕にとって、学校の校則は当に違和感だらけでした。 特に、髪の毛の色。 僕自身、地毛の色が明るくて、何度も何度も教師に呼び出されて、どれだけ地毛だと説明しても理解してくれなくて、教員室の前に数時間立たされたこともありました。 なんとか黒染めすること自体は免れましたが、当時は当に理不尽だと感じていたんです。 当時の悔しい気持ちも、今や完全に忘れてしまった。 だから、調べました。 大学に行くまで、ずっと当時の悔しい記憶を根に持ちな

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    ornith 2019/04/15
    日常の小さな引っ掛かりを違和感として認識できるか、それを咀嚼して言語化できるか、さらに突き詰めて問いとして消化できるか。
  • 絶望的な苦手が、得意を生み出すこともある。

    僕は、人前で自分の話をするのが苦手です。 だからずっと、人前では他人の話を聞くことに逃げてきました。 でも面倒くさいことに、人並みに承認欲求も持ち合わせているため、自分の話を聞いて欲しいという思いもある…。 だから、毎日ブログを書くようになりました。 でも、そうやってえ自分の苦手から逃げてきたおかげで、「話を聞くのが上手ですね。」と徐々にまわりから言ってもらえるようになり、ブログも多くの方に読んでもらえるようになりました。 圧倒的に能力が欠けている絶望感は、チャンスかもしれない。 思うに、絶望的な苦手が、功を奏することもあります。 普通のひとは当たり前のようにできるのに、自分だけはなぜかできない…。 圧倒的に能力が欠けているという絶望感。 でも、そうやって自分の欠けている部分があるからこそ、そこから逃げるためにずっと続けることが、実は自分の得意になったりするんですよね。 僕のまわりで成功し

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    ornith 2019/03/15
    わかるーーー!わかりみーーーー!!/“自分の欠けている部分があるからこそ、そこから逃げるためにずっと続けることが、実は自分の得意になったりする”
  • 自分の中の「違和感」や「好奇心」を見て見ぬふりしない。

    昨日、こんなツイートをしてみました。 自分の中の違和感は、それが将来的にただの“こじらせ”だったと判断される可能性が高くても、なるべく大切にしたほうがいいと思います。あの時こじらせていたなあって反省する方が、きっと自分の成長にはつながるはずだから。違和感があるのに、その違和感を見て見ぬふりするほうが良くないと思います。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月27日 そしてこれは、「違和感」を「好奇心」に置き換えても、全く同じことが言えると思っていて。将来的に失敗する可能性が高いとわかっていたとしても、自分の中の「好奇心」に従って行動してみたほうがいい。たとえ当に失敗したとしても、それは自分にとっては、とても大きな成長につながるはずだから。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月27日 そこまで自信を持てないときの人間の行動。 どうしても僕らは、自分

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    ornith 2019/02/28
    「何かおかしい」という違和感も「面白そうだ」という好奇心も、どちらも等しく自分の感覚に訴えかけるシグナルのようなもの。他の人がそうとは感じていない物事に思うことがあるのなら、きっとそこには何かがある。
  • 今の自分を置き去りにする。

    先日のイベントでも少しだけお話したのですが、「今の自分を置き去りにすること」がとても大切だなあと思っていて。 今日はそんなお話を少しだけ。 「過去の自分」にして、他人のように眺めてみる。 言い換えれば、自己を客観視できるようになること、他人のように判断することが大事だ、という話なんだと思います。 思うに、「今の自分」と地続きで自分自身のことを判断してしまうから、になってしまうと思うんですよね。 参照:自分のことばかり考えているからになる。 | 隠居系男子 そうじゃなくて、自分のことを考えるときであっても、「過去の自分」として切り離して、他人のように眺めてみることが大事なのかなと。 それがナチュラルにできてしまうひとが、自己プロデュースが上手なひとなのだと思います。 何かしらの表現物に「今の自分」を落とし込む。 でも僕らのような凡人は、今の自分をちゃんと意識的に置き去りにしていかないと、

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    ornith 2019/02/27
    ある時ある瞬間の自分の考えや感情を形にして残すことによって、「過去の自分」との対話が可能になる。ほぼ毎日「X年前の自分のブログ記事」を振り返る生活をしていると、常に過去の自分と話しているようで楽しい。
  • 他者の言動に違和感を感じたときの対処法。

    他者とコミュニケーションしているときに感じた「当にそうかな…?」と違和感を感じるときってありますよね。 それを放置していると、そのモヤモヤがドンドン肥大化していって、怒りとなってあらわれたり、イライラに変貌して、影で相手の悪口を言ったりするようになってしまう…。 まさに、最近までの自分がそうでした。 参照:怒らなければ、うまくいく。 | 隠居系男子 自分の中にある要素をつぶさに観察してみる。 そこで一つ試してみてもらいたい方法が、その違和感を感じたときに生まれた力のベクトルを、他者ではなくて、自分自身の方向に向けてみること。 具体的には、「なぜいま自分は、彼(彼女)のこの言動に反応してしまったのか…?」それを相手ではなく、自分の中に探しにいってみて欲しいんですよね。 誰かの言動が気になってしまうしまうということは、必ず自分の中にその要素があるからなのだと僕は思っています。 だからこそ、他

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    ornith 2019/01/24
    すっごく共感。理不尽や違和感に対して声を上げることは大切だけど、その前に自分なりに咀嚼することも必要なのかなあと。/“原因を他者に求めない。自分の中にある“本当の原因”を探ること”
  • 2月22日(金)渋谷 BOOK LAB TOKYO主催「“読む”で繋がる関係とは!」に登壇します。

    2月22日(金曜日)に渋谷・BOOK LAB TOKYOさんで開催されるイベントに登壇させていただきます。 日はその告知です。 渋谷にあるBOOK LAB TOKYOさんで、最所あさみさんと対談イベントを開催することになりました!ご興味のある方は、ぜひお気軽に遊びに来てもらえると嬉しいです!:2月22日(金)【スペシャル対談】『"読む"で繋がる関係とは!』(最所 あさみさん×鳥井 弘文さん) https://t.co/M9YauIcQea — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月22日 イベントを開催することになったきっかけは? 今回のイベントのきっかけは、昨年行われたるってぃさん主催の「今日から人生を変えるの読み方と伝え方」。 このイベントに登壇させてもらったときに、僕が下記の記事の内容に言及したことがきっかけでした。(ちなみにこの話を振ってくれたのは伊佐さん。ナイ

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    ornith 2019/01/24
    タイトルからしてむっちゃ心惹かれるやつだ……!めもめも。
  • きっかけや気づきを与えてくれたひとを、一番最初に巻き込みたい。

    僕は、どんなときに人が楽しそうにしているのかってことと同じぐらい、どんなときに人が寂しそうにしているかってこともよく観察してしまう癖があります。 そこで最近気が付いたのは、「自分と一緒に盛り上がった話題(アイディア)のはずなのに、その企画が実行されるときに自分が呼ばれていない」ときに、ひとはとっても寂しそうだなと。 その“置いてけぼり感”が、たまらなく寂しく感じさせるのだと思います。 正直、僕自身はその感覚をあまり持ち合わせておらず、逆に僕の全く知らないところで話がドンドン進んでいると嬉しくなってしまうタイプ。 参照:一番多幸感ある瞬間。 | 隠居系男子 ただし、一般的にはそうじゃないんだって気が付いたんですよね。 「何ができるか」よりも「どういう形であれば、ご一緒できるのか」。 だからこそ、最近僕が大切にしていることは、きっかけや気づきを与えてくれたひとを、一番に最初に巻き込むこと。 「

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    ornith 2019/01/18
    置いてけぼり感、わかる(つらい)。こういうところまでしっかり見ている人は、それだけで心底から信頼できる(してしまう)のじゃ……。
  • ブログはもうオワコンなのか? | 隠居系男子

    最近また「ブログはオワコンなのか?」という議論が盛り上がってきましたね。 「他者にアプローチするため」という観点からは、確かにブログはもうオワコンなのかもしれません。 テキストコンテンツよりも、Instagramのような写真コンテンツや、YouTubeのような動画コンテンツのほうが圧倒的にリーチしやすいということは火を見るよりも明らかです。 ただ、そういった「届ける」ための手段ではなく、「自分自身と向き合う」ため、「考える時間」を確保するためには、やっぱりまだまだブログが群を抜いて優れていると思っています。 今日はそんなお話を少しだけ書いてみようかなと。 おもしろい話ができる ≒ おもしろいコンテンツをつくり出すことができる。 そもそもこの問題って、なんだか主従関係が逆のような気がしていて。 「他者からおもしろいコンテンツだと思ってもらえるかだどうか?」は、「そのひとの話がおもしろいかどう

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    ornith 2018/12/12
    おもしろいものを生み出すためには、内省の時間が不可欠。特に、膨大な情報と他者の感情にさらされて自他の境界が曖昧になりやすいネット上では、己の思考と感情を整理するのにブログが適しているのかなーと。
  • わからない問いを、あえてわからないままにしておくことの重要性。 | 隠居系男子

    最近、ずっと考えていることがあります。 それが今日のタイトルにもあるように「わからない問いを、あえてわからないままにしておくことの重要性」について。 どうしても僕らは何か新しい問いを見つけると、その答えをすぐに求めてしまいがち…。 でもそうすると、どうしても短絡的な発想になってしまうんですよね。 それは当の答えじゃなくて、自分にとって都合のいい“偽りの答え”です。 その事象をネガティブにとらえてしまうのは、もったいない。 たとえば誰かが「新しい商品」について全力で宣伝していたとしましょう。 その様子を見て、「どうしてこの人はPRを手伝っているんだろう…?」と思ったとする。 そのときに、「どうせお金をもらっているんだろう」と短絡的な答えをだしてしまったことってありませんか…? 確かに、当に当事者同士の間で金銭の授受が行われているかもしれません。 でも当の動機は、また別のところにあるかも

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    ornith 2018/10/15
    極論が注目を集め、わかりやすさが評価され、誰もが明確な答えを求めているからこそ、灰色の「わからない」が必要とされる場面も少なくないと思ってる。少しずつ色を塗り重ねて、自分なりの「色」を見つけたい。
  • 自分を自分から切り離し、客観視することの重要性。 | 隠居系男子

    突然ですが、自分のことをちょっとでも「嫌なヤツだな」って思っているひとは、自分の話している様子をスマホなどで録音してみて、実際に聴いてみると良いですよ。 自分の話し方を自分の耳で聴いてみると、当にめちゃくちゃ嫌なヤツで驚きますから。 自分の話し方を、自分の耳で聴いてみて整えることの重要性。 ご多分に漏れず、僕も自分のことをずっと嫌なヤツだなあと思っていたんです。 そして、今の仕事を始めてから、自分のインタビュー音声を初めて聞いた時、とても驚愕しました…。 当に聞くに堪えないほど、めちゃくちゃ嫌なヤツだったからです。 そこから、少しずつ意識的に自分の話し方を変えるようにしてきて、最近はやっと自分でも聞くに耐えうるレベルになってきました。 ただ、まだまだ嫌なヤツ要素に溢れているので、これからも日々改善していきたいと思っています。 鏡を見て自分の身なりを整えるように、自分の話し方も録音してみ

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    ornith 2018/10/05
    コミュニケーションを苦手に感じている人ほど、なんでもない会話を録音して聴いてみるだけで多くの気づきがありそう。話の内容や相手とのやり取りもだけど、やっぱり「話し方」にいろいろ出るのよね……。
  • 正論だから反発する。 | 隠居系男子

    昨日こんなツイートをしてみました。 「これだけ正論なのに、なんでわかってもらえないの…!?」と感じているひとが多い気がするんだけど、正論だからこそ、反発するんですよね。反対派が読んだら、ちょっとでも耳を傾けたくなるような発信にしていかないと、いつまでたっても世界は変わっていかない。より対立が深まる一方だと思います。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月26日 だけど、いまの世の中に多いのは、世界をより良い方向に進めていこうとするためのものではなく、良くも悪くも、それぞれの仲間内で結束力を高めるためだけの過激な主張ばかりになってしまっている気がします。それがものすごくもったいない。相手の気持ちを想像することが当に大切だなあと思います。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月26日 いつもこのブログを読んでくださっている方の中には、「鳥井さん、また同

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    ornith 2018/09/27
    「人それぞれ」を許容して、相手の立場で物事を考えられること、それ自体が一種の「スキル」になりつつあるようにも感じる。「どっちもどっち」で思考停止するのはよくないけれど。
  • かっこいいインフルエンサーよりも、親近感のあるインフルエンサーが重宝がられる時代。

    このブログではもうお馴染みの堀口さんが更新していた、こちらのインタビュー記事を読みまして。 2012年に著書の中で「iPhoneは7で失速しiPhone8で終わりを迎える」「iPhone Xというハイエンドモデルが登場する」と予言をしていた神田昌典さんへmonographでインタビューをさせていただきました。… #NewsPicks https://t.co/eZGyAxT9sR — 堀口英剛 #モノマリスト発売中! (@infoNumber333) 2018年9月18日 当におもしろい記事なので、このブログの読者のみなさんにもぜひ読んでみて欲しいです。 そして、僕が一番気になった部分はここ。 “今は憧れよりも、親近感が大切ということを理解しているんでしょうね。エッジを立てず、大衆と離れすぎない。それを分かって、あえてダサくの演出をしているのがすごいです。自分の魅せ方が分かっている。”

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    ornith 2018/09/19
    もともと「親近感」を高めるツールとして評価されていたSNSが、一周まわって戻ってきたような。/“かっこいい側として個人で活躍したければ、インフルエンサーよりも、クリエイターになったほうがいい”
  • ドネーション制(寄付型)のトークイベントを開催することはできるのか?

    昨日こんなツイートをしてみました。 参加費が最初から決まっているイベントじゃなくて、「ドネーション制(寄付型)」のトークイベントを都内でやってみたらおもしろそうだなと。無料で参加できて、イベントの最後にpolcaのQRコードがスライドに映し出されて、自分の納得感のある金額を来場者の皆さんに投げ銭してもらうというような。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月30日 よくよく考えると、参加者全員から同じ金額を徴収する必要って全くないと思うんですよね。刺さった部分が多ければ、追加で課金したいこともよくあるし。入り口は無料(か会場費など赤字にならない最低ラインの金額で)、あとは満足感に応じて投げ銭して帰ってもらうみたいな形は結構おもしろいかなと。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月30日 反響が多く、すでに実践したことがあるという方々も多いようです。

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    ornith 2018/07/31
    これいいなー!有料noteですら金額設定に頭を悩ませてしまうし、同じ内容でも各々が感じる価値はさまざまだと思ってるので、「相手に決めてもらう」のは気持ち的にすっきりする。多ければそれだけで嬉しいし。
  • 「自分の在りたい姿を実現できる居場所がない」はピンチではなく、チャンスである。

    最近、若い方々とお話している中で、よく思うことがあります。 それは、今の若いひとって「何になりたいのか?」は曖昧でも「どう在りたいか?」は驚くほど明確だなあと。 だからこそ、思うのです。 「これだから今の若者は…!」など上の世代の典型的な批判に惑わされることなく、それぞれが自身の納得感を大切にして、在りたい姿に忠実に生き抜いて欲しいなと。 今の世の中には自分の在りたい姿を実現するのに適した居場所はない。 でも、そのうえで思うのですが、「何になりたいのか?」という問いに対して明確に答えられないということは、やっぱり今の世の中には自分の在りたい姿を実現する適した居場所(職種)が存在しな可能性は高いんですよね。 それでも無理やり、雇用者側や周囲の人間に対して「私はこうありたいんだから、こうしてくれ…!」と条件を提示してみたところで、それは無理な注文になる可能性が高いです。 なぜなら、最初からそれ

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    ornith 2018/07/17
    不安定で流動的な社会においては、何か特定の「○○になる」のは難しいと実感している人が多い──という見方もできるのかな。人気のコミュニティを見ても、「なりたい」よりも「ありたい」でつながっている印象。
  • 普遍的な表現は「私とあなた」の「いま」を切り取ってできている。

    先日こちらのを読みまして。 おとなの小論文教室。 (河出文庫) | 山田ズーニー| Amazon その中でも特にハッとしたのが、ここの一節。 “表現をする人は、「いま」をつかまえることのプロだと。作家にしても、写真家にしても、音楽家も、「いま」をつかまえなければ、二度とできない表現、というのがあって、プロは「いま」しかないという、その「いま」をパッとつかまえると。決して逃さないのだ、と。” https://t.co/5AIvKvOszJ — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月2日 “「表現」を、生活と切り離されたユートピアのように仰ぐ人は、「センス」に望み、「どうしたらなれるか」と勉強法にも熱心だ。「いつかその気になれば」と「いつか」を仰ぎ、結局、「いま」を逃しつづけている。結局、何も自分を表現できずにいる。” https://t.co/5AIvKvOszJ — 鳥井

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    ornith 2018/07/02
    ブログでもメディアでも、特定個人へ向けて発信したほうが大勢に読まれやすい印象。そして誰かへ向けて書くのが難しい場合、その“個人”は「未来の自分」でも良いんだよね。
  • 「群れずに群れたい」を実現するためにはどうすればいいのか?

    昨日、SUSONOとWaseisalonどちらにも所属してくれている木津さんのブログを読んでこんなツイートをしてみました。 最近、僕のまわりの若くて感度の高いひとたちがみんな、口をそろえて「群れずに群れたい」とか「属さず属したい」って言っているの、おもしろい。僕らより上の世代だと、どっちかに振り切っているひとが多いから、この感覚は何なんだろうなあって思いながら、観察してる。 https://t.co/g3XEkUrltq — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月17日 引用RTで多くの方が自分の意見を表明してくださって、当にとっても参考になりました。どうもありがとうございます。 今日は少しだけ自分の意見も書き残しておこうかなと。 他者に自己の意思決定権を手渡さない限りは、群れずにいられる。 思うに、それぞれが自分で考えることを放棄しない限り、僕は群れずにいられると思って

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    ornith 2018/06/18
    「わかりやすい答え」に向かうコミュニティでは多様性が生まれにくい印象。/“「ファン」や「信者」と呼ばれるような人々を束ねていきたいのであれば、どんどん答えらしきものを提示していったほうが効率は良い”
  • 極端な偏愛もそれがお仕事につながると「アイツは昔からすごかった」と言われるようになる。

    昨日、こんなツイートをしてみました。 これはもう確信に近いのだけど、Twitterやブログで何かの偏愛を垂れ流すようになって「いいよ、もうわかったよ。そのネタ飽きたよ。」ってリアルの友人たちが囁き始めた時から、お仕事が入り始める。「アイツ痛いなあ」みたいな声がまわりから聞こえてきたタイミングが一番の粘り時なんだと思います。 — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年5月29日 自分のバカがバレることを恐れずに勇気をもって一歩踏み出すと、次にぶち当たる課題がこの「アイツ痛いなあ」という声に対する恐怖なのかなと。 参照:なぜ人はわかっていても行動できないのか? | 隠居系男子 いま、僕のまわりにそんな人たちが増えてきているように感じていたので、次のこの悩みを乗り越えるためのエールというか、勇気づけになるようなことを伝えたかったんです。 だから、このツイートに対して「勇気になる」や「

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    ornith 2018/05/30
    SNSでも「また同じ話してる……」とか言われ始めた頃になって、仕事や問い合わせが増える気がするなー。
  • 人生を楽しむための教養。

    デジハリ大阪校イベントの打ち上げ終盤、主催者の松永さんがおもむろに聞いてきました。 「鳥井さん、世界ってきれいですか…?」と。 あまりにもド直球な質問だっただけに、しっかりと答えられたかどうか不安だったので、少しだけ自分の考えをこのブログにまとめておきたいと思います。 世界はもともと無色透明。 たぶん、世界はきれいでも汚くもなくて、もともと。 自分がどう見るのか?どう見たいのか?に尽きるんだと思います。 だからこそ「事実」をちゃんと知ることも同じぐらい大切だなと。 事実を知ればもちろん、残酷だと気付いたり、汚いなと思ったりすることもあるでしょう。 でも、その「事実」を突きつけられてもなお、拗らせない強さを持ち合わせたい。 宮﨑駿さんが引退記者会見で仰っていたように、「それでも、この世は生きるに値する。」そう信じて主張し続けることができるかどうかなんだろうなあと。 僕はそれを“諦めたピュア感

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    ornith 2018/05/22
    “世の中のすべての事象は「おもしろいかどうか」ではなく「自分がおもしろがれるかどうか」に尽きる”