Twitterには投稿しましたが、3ヶ月ほどブログをお休みします。 技術士の二次試験をうけるためです。 海の日が終わったらブログとか創作活動全般を再開します!
Photo by Syd Sujuaan on Unsplash この記事は人生advent calendar 2018の19日目の記事です。 楽しさばかりが溢れている。そのような日々を過ごしている。コーヒーを飲んだり、文章を書いたり、ものを作ったり、会社へ行ったり、子供の世話などをしている。どれもが日常にあるべき物事であるが、私はそれに楽しさを感じる。なぜか。コントロールできることが何かわかったからだ。 日常には自分でコントロールできることとそうでないことがある。今日はどんな靴を履くかはコントロールできるが、犬の糞を不幸にも踏んでしまうのはコントロールできない。そんな当たり前のことを最近になるまでわからなかったのだ。雨が降るのはどうしようもない。自分のせいではない。それならば傘をさせばいい。そうだね、そのとおり。 決められることと決められないことがわかると、悩みは課題に変わる。漠然とした
すっごい楽しそうな記事を読んだ。 www.nakahara-lab.net 人間の学習にはインプットとアウトプットだけではだめで、読み込んだ情報をじぶんで咀嚼することが大事だよーと書いてあった。たしかにそうだ!と思い、記事下で紹介されていた本を購入した。久しぶりに衝動買いをした。でも読んだみたらびっくりするほどいまの自分にフィットしていて、春が来たんだなぁと実感した。それが写真の本。「働く大人のための『学び』の教科書」。 内容はほんとうにそのまんま。働く大人に対して学びの重要性を説き、どのような原則でもって学びを進めていけばよいかが書かれていた。そのあとは7つの具体的な方法論が記されており、最後の章は七人の「学び上手さん」の紹介が載っていた。 具体的に書こう。みなさんも考えているように、いまの時代はひとつの組織や技術で一生を生き抜けるほど単純ではなくなってしまった。時の流れが早くなったのだ
photo 「そんなに優しくされたらとっても迷惑なんです」という歌があって、返し返され~あたりが昔の童謡の響きがして好きだ。普通の言葉から刻みの良いものを選び取ったようなフレーズも心地いい。それは傍に置いて、やりたいことリストをしばらく書いてなかったことを思い出したので書き出してみたい。 3Dプリンターで機構ものをつくる fusion360を使いこなす 統計学を学ぶ 存在と時間(下)を読む 黄金比スケーラーをつくる いちごを栽培する 行動経済学を学ぶ 「子供が質問しそうなことをあらかじめ答えておくブログ」を開設する。 マトリョーシカ的雑貨店に新商品を3つ置く 新聞の投稿欄に載る 技術士になる 魚釣りゲームを3Dプリンターで作る 粘土の型抜きを3Dプリンターで作る レーザーカッターで名刺をつくる 万年筆インク吸引用のホルダーをつくる 電子書籍をひとつ書く なんかの講演をしたい 息子とメイカー
たまには何も参照しない、自分の話をしようか。さいきんは仕事が忙しくてブログを書いたり、ものをつくったりする時間がなかなかとれないけど、種まきは時々している。楽しさの種まきである。いつか気づいたことだが、自分の行いと結果には相応の遅れ系があって、「レスポンスは遅れてやってくる」らしい。当たり前といえば当たり前なのだが、私は簡単には分からなかった。即時的な現代人に感化されたのかもしれない。だから、「こんなことがしたい」「あんなこと楽しそう」と思ったことがすぐには叶わなくても、100%諦めなくてもいいんじゃないかというスタンスになった。 しばらく前に親戚が亡くなった。彼の法事に参加した際に、係りの人々や親族が淡々と彼の半生の要約を述べていた。何が好きで、何をして、どんなことを残したか。そんなとき、私は「このままでは、このままだ」という感覚に陥ってしまった。結局それから何をしたわけではないが、やは
Mountain, sky, alp and fog HD photo by asoggetti (@asoggetti) on Unsplash それぞれが文章を装備して生きている。そのようなことを考えた。いくらかの残業をしたあと電車に乗ると人々はまばらだった。じっと外を見つめたが何もなかった。そういう時間だった。結局のところ、私の人生はなにをもって正解となすのだろう。自身の充足感はどこで得られるのだろう。渇きとか飢えとかいう成分を利用して創作を行っている気がしてならない。もっとうまいやりかたがないかと探している。 日々は同じことの繰り返しだけれど、少しずつ上昇しつつあるようだ。ちょうど螺旋階段を昇るように。ひとつの願望がひとつの行動を生み、ひとつの行動がひとつの結果を生んだ。良いものであった。それが繰り返された。こうして着実になにかのステップを重ねつつあるのだが、それでも不安はあった。
Photo by Manu Adán on Unsplash 生き死にを繰り返しながらそれでも生きていて、ついこの間買ったひまわりは一週間で花瓶の中で枯れた。逆に言えば彼らは切り花になりながらも、一週間は生命を維持できたわけであって、それは会社の近くで鳴いていたセミのそれに等しい。私はというと順調に年を経ているようで、文章を書かなくてもしっかりと呼吸はできているし、笑うし涙を流すこともあってめまぐるしさが付着している。ノアザミはようやく姿を消した。 通勤電車の中で野帳に言葉を記入することがあって、その内容は日々の思考の切れ端でしかないが、その効能はわりと優れている。出力の頻度を高めることは実現を早めることにつながるようだ。私は一年以上前から似たようなことを考えるくせがあるらしく、変わらない想いを胸に抱いて両手を広げていた。それが最近では実現可能性の助詞を使うようになり、日常がアップデートし
いったいどのように言葉を紡げばよかったか。それらの質感を確かめないままこうして空気中に放り込む。そうやって酸化されたそれは表面に不動態を生成し、私からの観察を妨げる。 誕生日プレゼントとしてけいろー (id:ornith) さんから池上彰著「学校では教えない『社会人のための現代史』」をいただいた。ありがとうございます!!!!amazonのwishリストに登録していたものだ。私は現代史に疎く、社会人として、父としてこの先うまく生き残れるか多少不安である。池上さんが解説している本なら、手っ取り早く読めるかなと思った次第だ。想像以上に分かりやすかった。 上記の文章からここに至るまでわりと長いブランクがあるため、文章の展開がつかめない。きっと世界大戦によって発生したひずみの二元論を適当になにかにくくりつけて、いろいろなことを語るはずだったのだろう。ただ、ひとつ確かなことはニュースは自分の言葉で語っ
どうぞ。 純粋理性批判を適当に解説した本 作者: 局長発売日: 2016/07/27メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 妙に忙しい一ヶ月だった。残業はなく、予定も多くなかったのにそうなってしまった。ブログから離れていたせいで、私は記事の書き方を忘れてしまった。以前はもっとうまくやれた気がするが、仕方ない。 以前から興味があった電子書籍の出版をやってみた。内容はカントの純粋理性批判を解説したもの。昨年に公開した記事を集めてひとまとめにし、加筆修正した。しかし、あの記事たちは解説より、私のどうでもいい話に文字が多く割かれていた。そのせいで本当の解説だけを抜き出してみたら、一万字にも満たなかった。少ない。まぁいいか。 そういうわけで、価格も安いです。100円です。買ってみてね。 以下、電子書籍の出版のやり方をざっくり書く。 原稿をかく まずは文字がなくてはいけない。私の場合は自
1 いいかげん車を買わなくてはいけない。子どもが生まれて数ヶ月経ち、移動手段を持っていないことにだんだんと不便さを感じるようになった。雨の日に家族揃って出かけるのが難しいし、外出先では授乳スペースを探すのに時間がかかった。息子が成長すれば学校や習い事の送迎などで車を使うだろう。なにより「運転できない」という事実に、私は社会に対してどこか後ろめたさを感じていた。やはりタイヤが四つ付いた乗り物を所有しなければいけないようだ。しかし、恐ろしいことに私と妻は車をほとんど運転しない。免許証は両者ともピカピカのゴールドである。 「とりあえず、車屋さんへ行ってみよう」1月初旬のことだった。幸い、近くには何件か中古車販売店があった。それまでは「車がいっぱい置いてあるな」としか認識していなかった場所だった。私はママチャリでA店に行った。駐輪場らしきスペースはなく、適当なところに停めた。すると、店内にいる人間
私は今まで多くのものを受け取ってきた。それは本に書かれている知識であったり、ネット上に点在している有益な情報であったり、上司からのアドバイスであった。学生のころは友達からノートを貸してもらったり、先輩にご飯をおごってらもらったり、親から経済的な援助を受けたりした。実にもらい放題の人生だ。 そうやって思い起こすと、私が他人に与えたものはもらったものに比べればごくわずかなんだと気がついた。というわけで、今年は与えまくる年にする。与えまくるのは以下の三つだ。 ひとつはワクワクだ。このブログは「ワクワクばらまく明日のブログ。」であるから、心躍るものごとを与えまくりたい。昨年は通勤学にそれを見出した。野草や脳内BGMは実生活には何の役にも立たないかもしれない。しかし、問題はない。ワクワクは有用無用問わずそれだけで価値を持っている。理屈の通用しない快がそこにある。 ふたつめはモノだ。インターネットの世
ふいに「どっこいしょ祭り」という言葉が頭から降りてきた。きっと、けんか神輿の対極をなす平和的な祭りなのだろう。私はどっこいしょ祭りについて深く言及したくないので、この話はとりやめにしよう。WIREDのことを書こう。先週WIREDの十一月号を買ってきた。テーマは「言葉の未来」で、言葉がもつ曖昧で普遍的な力を理解し、活用していこうぜという内容だった。私はなるほどと思いながら読んだ。まだ全部読んでいないので、あと数回はなるほどと思うはずだ。 考えてみると言葉というのは不思議なものである。声帯の自由がききはじるめると、人類は自らの声でもって相手と交信をはじめた。だれかに規定されたわけではないのに、みな勝手にしゃべりはじめ、自然になにかに意味が付加されていく。大事なものは表現の幅が広く、それほどでもないものはそれらしい幅で居座る。声を使った交信は動物たちの間でも行われている。それに加えて、人間たちは
この四年で私は卒業して、引越して、修了して、引越して、入籍して、就職して、子どもが出来た。なんだかもういろいろあって過去をうまく振り返ることが出来ない。写真にもあまり残していないものだから、ときどき自分がどこから来たのか分からなくなる。と書ければカッコいいが一応分かる。私は長野県の奥地からここへ来た。してみると、四年で変わったことが多すぎて、変わらないことを考える方が難しいくらいになっている。ジンは「俺が俺であることだ」とかのたまうけれど、私の場合はえも言われぬ。 全てを考えるのはちょっとしんどいので、私の趣味の観点から考えよう。この四年で私の趣味、嗜好はどのように変わったのか。 電子工作は昔から興味が合ったが、3年ほど前にArduinoを購入してからは実際に作ることが増えた。もっとも一年間でやっとライントレースロボを完成させるくらいなのでペースとしては非常におそい。現在「つくったブログ」
「大学まで行ってなにか得るものがあったのか」と聞かれたら「日本語の読み書きが少しできるようになりました」と答えたい。ただ、この少しというのが侮れない。私はよく社内ネットワークの掲示板を閲覧するが、日本語がおかしいものが多い。社内には助詞を入れずに熟語をつなげるのが粋という風習でもあるのだろうか。表題には聞いたことのない造語がじゃんじゃん出てくる。そしてその返信もなんだか変だ。こはいかに、と実際に話を聞いてみると文章とはまったく違う印象を受けたりする。最近会社で書き物をすることが増えた。いまのご時世、何でも文章で残しておかないといけない。上司は面倒くさいとつぶやいていた。私も面倒だと思った。ただ、文章作成は手早く終えることが出来る。上手くではなく、手早く。さささと終わらし定時で帰る。文章は大事だ。 私は文章によって全体の構造を理解することは不得意ではない。しかし会話から内容を汲み取るのがまっ
書斎を解体することにした。それによって本を置けるところが少なくなったので、本を整理しようと思う。そこらの古本屋にでも売ればいいが、二束三文にしかならないのであまり面白くない。というわけで無料で差し上げることにした。送料はこちらが負担。本の感想をどっかに投げてくれると私が喜びます。興味がある人はお問い合わせフォームへ。 本のリスト ※追記しました。リクエストがあったものは斜線をひいています。 ※20150907 終了しました。 小説 -九マイルは遠すぎる 【書評】足を動かさない推理小説と、一足とびにやってくる真理/ 九マイルは遠すぎる【感想】 - マトリョーシカ的日常 DIVE!! 上下巻 【書評/感想】何かに打ち込んだ者だけが手に入れられる強さ/「DIVE!!〈上〉」 - マトリョーシカ的日常 【書評/感想】あなたがモチベーションとするのは何か/「DIVE!!(下)」 - マトリョーシカ的
やたら長い一週間だった。金属をひたすら削っていた。正確に言うと、金属が削られていくのをひたすら見守っていた。私が取り扱うステンレスは難削材と呼ばれる、削りにくい材料である。しかし、わたしは今までステンレスしか加工していないので、他のS45Cとか鋳物がどのような挙動を見せるのか知らない。比べられることが出来ないのだから難しいもなにもない。そんなことばかりしていたので、帰り道にそびえるアパートメントを見て、「あれはG02の円弧切削で出来上がったものなのでは」とありもしないことを考えた。ピーちゃんは相変わらず元気そうだった。 先日、Letter from Kyotoの川添(id:kkzy9)さんと話をした。Skypeでの通話が途切れとぎれになる不具合が発生し、先方には迷惑をかけたと思う。私は喋るのが苦手だったので、お酒を飲み、口のまわりの筋肉をほぐすことにした。しかしあまり効果はなかった。投稿さ
日々多くの文章に囲まれて生活をしているが、彼らが私に与えてくれたものはなにひとつない。そして私が彼らに与えられるものもない。そうであってほしいと願う。皆、もとから何かを持っており、それを捨て去ることはないし変化させることもしない。変わらないということが重要であり当たり前であり真だ。 一週間が終わった。今週も鉄を削っていた。彼らはなにも言わないため、こちらから語りかける必要がある。一振りごとに調子は、どうだい、調子は、どんなだい。と。いや、誇張した。私がやったのはボタンを押すこととドアを開けることくらいだ。あとは全て機械がやってくれる。待ち時間はお絵描きと図画工作をしていた。車の運転をそろそろ頑張らないといけない。会社は教習所にもなる。 (暗転) いま、量子力学について勉強しているんだと言ったら、え、漁師力学?なにそれ?と聞かれた。私は脳の三割ほどを釣り針のモーメントの行き先で埋め、残りを漁
「メルババ」はトルコ語の「こんにちは」にあたる言葉だが、それは「あなたの周りに広がりはあるか」という意味になる。砂漠の民は周囲が開けていた方が幸福を感じるらしい。私は砂漠の民なのだろうか。メルババが好きだ。広がりは物理的なそれではなく精神的、心理的な意味のそれではないか。可能性と置き換えよう。平日の湿った拘束感とは裏腹に、週末は可能性で溢れておりなんでもできそうな気がする。そうやって今朝も早く起きたが特になにもしていない。 「コーヒーが廻り世界史が廻る」を読んだ。これも先月の誕生日にプレゼントで頂いたものだ。送り主のアサハラさんからはこれを含めて計三冊も本を頂いてしまい、本当にありがたい。内容としては、世界にコーヒーが誕生しそれが拡散される様を数百年の歴史を縦断しながら解説している本だ。著者の奥深い知識と軽快な語り口に引き込まれ、一気に読んでしまった。一つの記事で書ききるにはもったいないの
コーヒーが好きだったのでドトールの株を買った。近頃は世間が頑張ってみなに投資を勧めてきていて、少し興味があった。給与が振り込まれるのとは別の口座にまったく手を付けていないお金があったので、それを利用した。銀行に預けておくより利回りがいいかもしれない。株はSBI証券に口座を開いて購入した。100株で二十数万円。高い買い物だ。 株を買ってしまうと、否が応でもニュースが気になる。日経平均株価のアップダウンに過敏になり、なぜ上がったのか下がったのか理由が知りたくなる。本当の理由なんてものは誰も知らないが、偉い人たちが解釈をつけては平民たちに真実を押し付けてくる。でもだいたいはそれらしいものが多い。日本の景気は回復しているらしい。まったく実感がわかないがそういうものなのか。コンビニのスイーツはどんどん高くなるし、近くのコンビニは人手不足に悩まされている。町ではそこかしこで工事が行われ、高層アパートや
今朝もコーヒーを入れた。最近は豆を均一に炒るコツが分かってきて、昨日焙煎した豆は先週のそれよりもおいしくなった気がした。しかし、喫茶店のマスターのようにうまくドリップできない。どうしても落とす湯量が一定にならず、お湯が先っぽでぶれる。練習が必要だ。 週末は喫茶店へ行き、コーヒーの本を読んだ。けいろー (id:ornith) さんから誕生日プレゼントいただいた本だ。感謝。『カフェと日本人』は名古屋生まれのジャーナリストが、日本のコーヒー文化を取材・調査したものだ。コーヒーが日本にやってきた経緯から、大正・昭和時代の喫茶店の紹介、日本各地の喫茶店レビューなど内容は多岐にわたる。また、地元名古屋とコーヒーのつながりについても詳しく書かれている。最後は、現代の隠れたコーヒー市場である「うちカフェ」に焦点を置き、その規模や対応する企業の作戦について述べられている。 昨今の日本のコーヒー事情について言
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